第50話 2月28日(月)⑧
心臓の鼓動が収まらない。それでも、じっとしているわけにはいかず、アパートの部屋に戻った。瀬川くんの姿。何か考え事をするように窓の外を見ていた。何を思っているんだろう。今とさっきでは瀬川くんを見る目が全く変わっている。
声をかけられないままでいるも、瀬川くんがこちらに気が付いて振り帰った。
「あ、香澄帰った?」
「うん……」
「そっか。俺のことまだ探してた?」
「うん」
ただ頷く。
「悪いね、庇ってもらって」
「いや……」
「あいつは、何考えてんだろうな」
呟くように落とされる瀬川くんの言葉に、思考が脈を打つ。朝井さんが知っていることは、知っているのだろうか。
「放っておいて欲しいんだけどな。俺がこれだけ嫌がってんのは分かるだろうに」
卑屈っぽく口元をゆるめる。なんとなく、自分本位のセリフに聞こえてしまうけど、心の奥を刺激するような言葉だった。放っておいて欲しい、そこにすべてが集約されているのかもしれない。
もちろん、事故の話は最近のことで、朝井さんが聞いてくる将来についてのこととは、直接関係ないかもしれない。それでも、今は何も言えないんじゃないだろうか。
しばらく沈黙が続いた。
どうにもならない動揺を隠せていないこちら様子に、瀬川くんもさすがにおかしく思ったようだった。
「泰樹くんどうした?」
「いや」
「あれ、もしかして知った?」
探るような目。その意味を考えるまでもない。
朝井さんも瀬川くんも、僕を落ち着いていると言っていたけど、でも、こればっかりは二人ともが気付く。どんな顔をしてしまっているのだろう。
返す言葉もなかなか出てこないけど、何かを言わなければならない。
「さっき、香澄ちゃんに教えてもらった」
朝井さんが知っているということを言っていいのか、だけど、隠すことはできなかった。言葉を探す余裕なんてなかった。
「……ああ、やっぱあいつも知ったのか。ま、隠しとけるもんじゃないよな」
また、部屋の中が沈黙に陥る。立ったまま動けない。朝井さんとの会話とは違い、部屋の中であるため風もない。とても静かだ。こたつのヒーターの駆動音が聞こえてくるくらい、静寂に支配されている。
そうした時間が続いた後、何を思ったのか、瀬川くんが、その場を取り繕うようにして口を動かし始めた。
「先週の夜、泰樹くんに久しぶりに会ってここに来たよな。その前日だったんだ」
事故の日のこと。
「親父とは月一回だけ会ってて、あの日もそうだった。たいした話はしないけど、高校卒業したらどうするんだって、しつこくはなかったけど、聞いてきた。俺は『別に』って言ってただけだった。本当に何も決まってなかったし、母親にも、あとは香澄とか担任もだけど、しょっちゅう言われててうんざりだったから」
「うん」
「まあ、そんなことはどうでもいいんだけど、その後だったんだよ
つまり、先週の木曜、瀬川くんと何年かぶり話したあの日、朝井さんと瀬川くんを学校の廊下で目撃した前日とも言い換えられるその日。その前日に、起きていた。
「聞いた話だと、親父は、別に酒を飲んでたわけでもないし、逃げたわけでもない。ただ……相手が、携帯を見ながら赤信号を渡ってたから……いや、どこまで本当か分かんねぇし、だからなんだっていう話なんだけど」
何かを打ち消すように瀬川くんは首を振って、そして続ける。
「そんで相手が江川っていう、同じ高校の奴だってことも知った。結構な重症だっていうのも。それ聞いてすげえビビッて、母親もものすげえ動揺しちゃってて、なんか、落ち着かなかった」
抑えきれない気持ちから、朝井さんにああいう行動をとってしまったということか。退学届も、自分なりに何かできないかと思ってのことなのかもしれない。
そしてもう一つ思いだす。あの日、瀬川くんとテレビを見ていた時、交通事故のニュースが流れていた。近くだったはずだ。それが瀬川くんのお父さんのことかは分からないけど、瀬川くんは「近くだ」と小さくつぶやいていた。動揺で黙っていることができなかった……それは考えすぎだろうか。
「次の日の学校は休んだ。大変なことだっているのは分かるし、結構周りのこととかも考えてな」
それがあの日休んだ理由。風邪と言った仮病。朝井さんが電話をかけてもつながらなかった、取れなかった理由。
だけど、そこに朝井さんは押しかけてしまった。あのときあっさりと電話に出たのは、やっぱり心配させてはいけないと思ったのかもしれない。あるいは相談してみようという気持ちもあったかもしれない。あの日、家に瀬川くんのお母さんがいなかったのは、仕事ではなく、そうしたことで慌ただしくなっていたからか。だけど、朝井さんはボウリングに誘って、僕たちは次の日、行った。
瀬川くんは、そんな状態でボウリングに来ていたのだ。
その心境は、想像もできない。




