第47話 2月28日(月)⑤
部屋に上がり、炬燵に入った瀬川くんへお茶を出す。
でも、とも思う。朝井さんから逃げるにしても、近所であるうちに来るよりも、市外に住む友人のところへ行った方がよほど見つからないような気がした。朝井さんがここに来る可能性もなくはない。それとも、あまり深くは考えてなくて、ただ家にいたくないという理由で来ただけなのだろうか。
一口お茶を飲んだ瀬川くんは、しばらくそのコップを見つめていたのだが、ふと顔を上げて口を開いた。
「そういやさ、今朝、退学届出してきたんだ」
「……え?」
「担任は受理しないって言ってたけど」
口を半開きにしたまま固まってしまう。何を言ったのか。冗談のような軽い口調だったものの、そこに恣意的なものも同時に感じた。
「学校に?」
上手く頭が回らず、そんな当たり前の質問を口にする。
「ああ、朝行ってきた。それだけ出して帰って来たんだよ」
その後、家に帰らずここに来たということか。
「何か言われなかった?」
また、中身のない質問しか出てこない。
「まぁ、多少は言われたよ。ただ、向こうもちょっと困ってたっていうか、動揺してたけどな」
会話の内容とは裏腹にさばさばとした口調ではあるが、瀬川くんは目を合わせない。
「でも、なんでそんなこと」
卒業式は明日で、それが終われば、もう終わりだ。どんな理由があるかは分からないけど、たった一日待てばいいだけだ。どうしてもしんどいのであれば、今日と同じように休めばいいだけではないだろうか。今になってそんなものを出したところで、ただの嫌がらせにしかない、そう思う。
「別に、意味はないよ」
言葉を額面通り受け取っていいのか分からない。
瀬川くんは、何も言えずにいるこちらを観察するようにして、
「あんま驚かないな泰樹くん」
そんなことを言った。心外だ。
「いや、すごい驚いてるけど……」
「そう? 落ちついてるじゃん」
「そんなことないけど……」
思考が止まっている。だから何も言えないだけだ。だけど、それが落ち着いているように見えるらしい。
先日も、市川さんと朝井さんにも「落ち着いている」と言われた。その時だって自分としてはこれ以上ないくらい動揺していたのに。
考えてみれば、感情を隠すのがくせになっているのかもしれない。小五か、あるいは中三、それくらいからの。それが、朝井さんの言う「ドライっぽくなった」ように見えるのだろうか。
「でも、泰樹くんはちゃんと話を聞いてくれるんだよな。他の奴は何も聞かないで頭ごなしになんだかんだ言ってくるから」
「……そうなんだ」
朝井さんのことだろうか。あるいは、先生のことだろうか。そんな感情がたまって、退学届を出すまでの感情が生まれてしまったというのか。
瀬川くんはコップに手を伸ばす。やはり視線は合わない。隠している感情は少なからずあるだろう。薄く笑みを浮かべてはいるものの、表情は硬い、というより、こわばっていた。
「明日も、行かないの?」
聞いた。
「そりゃあね」
退学届を出したのなら当たり前か。でも、今日の明日で受理されるようなものではないだろうし、卒業の認定はされるのだろう。いや、気にするのはそこじゃないくて……。
「……それだけ、言えばいいんじゃない?」
不意に思い、言った。
「え?」
「香澄ちゃんに」
「何を?」
瀬川くん目がこちらを向く。怯む。だけど、
「話を聞いてくれないって」
そうしなければ話が進まない。どちらに転ぶのかは怖いけれど、朝井さんは探しているわけだ。
「話を聞かないのは向こうだからな」
「……」
「顔を合わせても、お互いイライラするだけだよ。おとといのこと、覚えてるだろ?」
「そうだね」
ボウリングの日のことだ。
「あれは悪かったと思ってるよ。泰樹くんにも市川にも」
何も、言えない。




