第41話 2月27日(日)⑬
小五の時に父親が亡くなり、中三の時に母が亡くなった。僕はずっと気を張っていた。誰かに気を遣われないようにしていた。
高校入学前、周りは知らない人ばかりになるはずだから、気は楽だと思っていた。でも実際は違った。自分のことを知らない人と、自分ことを知られたくない自分。必然的に壁ができた。自分から声をかけることもなく、声をかけられてもどう返事をしていいのか迷ってしまう。だから友達はできなかった。
だけどそれすらもごまかして、それが普通であるように振舞った。それがまた壁を厚くした。地元の公立高校のため、同じ中学の生徒はいたが、一年のとき、同じクラスに仲の良かった友人がいなかったのもそんな振舞いに拍車をかけたかもしれない。
ただ、二年では少し変わった。一番の理由は、仲の良かった岸くんと同じクラスになったことだった。何もかも知った上で、当たり前のように声をかけてくれる岸くんと話をしていると、少しずつ緊張したものがほぐれていった。どうやっても動かなかった壁が簡単に消えた。そのつながりから、新しいクラスメイトとも少しずつ話をするようになった。数えるほどだが、高校からの新しい友達もできた。
そんな流れがあったから、市川さんとも話すことができたのだと思う。文化祭の出し物の準備で同じグループになってからだったが、なんとなくテンポの合う話しやすい相手で、あまり違和感なく話ができた。そのため、学校行事については、文化祭にしても体育祭にしてもなんとなく流れに乗るのが精いっぱいで、詳しい内容はあまり覚えていないが、二年の文化祭のことだけは、はっきりと覚えている。
最初は、市川さんに自分のことを知って欲しいとも思えていた。誰かに自分のことを知って欲しい、そんな感情を持ったのは初めてだったかもしれない。市川さんが自分のことを話して聞かせてくれたのが楽しかったのもある。ただ、それも最初の方だけだった。少しずつ感情が悪い方に固まっていった。何を言っても、親のことが付いて回ってしまいそうで、気を遣わせたくない、そう思うと、口が動かなくなった。
そして三年でまた少し変わった。市川さんに就職活動をすることと言うと「そうなんだ。大変そうだね、頑張ってね」とだけ言った。その時は、それまでと比べるとちょっと反応が鈍いなと感じていたが、今思えば、朝井さんから両親のことを聞いていたからこその反応だったのかもしれない。何も言わない僕に、市川さんは距離を感じるようになった。
それからなんとなく市川さんとの距離が開いて行き、そして気持ちが大きく揺れたのは、十月にあった会社の内定式だった。
実際の職場を見学して、そこで働いている社員の話を聞いた。就活中の説明会でも話は聞いていたが、それよりも具体的な話だった。実際に、これからここで働くことになる。だけど、実感はわかなかった。期待感も、高揚感も、好奇心も、何一つ感じることができなかった。頭に残ったのは不安だけ。具体的に何がというものもない、ただの漠然とした不安。
この会社で一生を過ごすことになるかもしれない、そうなる可能性もなくはない。そう考えても、十年後の自分はおろか、五年後も、一年後も、実際に働いているであろう数ヵ月後のことですら全くイメージができなかった。
急に、先の見えない、何も見えない真っ暗な場所に立たされたようだった。
でもそれは自分で決めたことで、無かったことにはできない。相談に乗ってくれた担任の先生のこともある。大学を勧めてくれた叔母さんの話を断ったのもある。だから、逃げるわけにはいかなかった。それを受け止めなければならなかった。
市川さんと会うことが億劫になった。会って何を話せばいいのか。将来が不安だ、仕事が不安だ、穏やかな笑みを見せてくれる市川さんに、そんなことが言えるわけない。
そしてちょうど良かったというべきか、すでに就活に入ったあたりから会う回数は減っていた。当時の忙しい状況を言い訳にして、誘うこともしなくなった。これから市川さんの受験が本格化してくる、そんな理由をさらに付け足した。それでも市川さんはたまに誘ってくれはしたが、会う徐々に頻度は減り、十二月を最後に会わなくなった。
ファミレスで市川さんは「水穂くんは疲れちゃったのかなって」と言った。何もしないという行為が、市川さんにそう思わせた。考えもしなかった。
市川さんは僕を「好き」だと言ってくれたことがある。嬉しかった。それに応えたいと思ったはずだった。だけど結局、そのときの感情を忘れて、市川さんをがっかりさせてしまった。
――。
電気の消えた真っ暗な部屋、布団の中、少しずつ、思考が落ちていく。
バイトでのこと、朝井さんとのこと、今日は前向きになれることがあったはずなのに、得体のしれない何かに飲み込まれてしまっている。そんな大きな渦が、ぐるぐると頭の中で繰り返される。
眠れない。
眠りにつくころ、カーテンの隙間からは、日の明かりが差し込んできていた。




