まずい食事と宿と、ひとときの休息
「……おいしい!」
犬耳少女のコロは一口食べるなり、瞳を輝かせた。
「良かった、ゆっくり食べなさい」
「……んっ、むっ」
食堂のカウンター席に並んで座り、ディーユと犬耳の少女コロは食事をとっていた。
まともな食事が久しぶりなのか、コロは本当に美味しそうにシチューを食べた。歩き疲れて元気がなかったが、尻尾をパタパタさせパクつく様子にほっと安堵する。
とはいえ、店の料理は不味かった。
コロは馬鹿舌なのか空腹ゆえか、旨そうに食べているが……。正体不明の具材を煮込んだドロドロのシチュー、硬く質の悪いパン、やけに酸っぱい果実のジュース。これで銀貨ニ枚だというから驚きだ。
正直、銅貨三枚でも高いくらいだ。王宮のまかない料理が、如何にマトモだったか今更ながら思い知る。
「コロはいつも、何を食べていたんだ?」
「……ぱん」
「パン?」
「……残パン」
「そっちか」
聞かなきゃよかったと後悔する。虐待が日常化する待遇では、まともなものなど食わせてもらっているはずがない。
一息ついて店を見回す。店内は狭く、五席ほどのカウンターとテーブルが二つだけ。さっきまで常連客らしい男がいたが、食事を終えて帰っていった。
無愛想で厚化粧なおばさん店員と、厨房の奥に男が一人。
ディーユと薄汚れた半獣人の少女という珍妙な二人組を、胡散臭さげに時おりチラチラと見ている。
おおかた奴隷商とでも思われているのだろう。
「私のも食べていいぞ」
「……いいの?」
「もうお腹いっぱいなんだ、コロが食べな」
「……あっ、ありがと……ディー……ユごしゅじんさま」
「ディーでいいよ」
「ディーさん?」
「うん、それがいい」
すこし舌足らずだが、コロは素直な子だった。嬉しそうに頷くと、またかきこむように食べ始めた。
よほど空腹だったのだろう。身体の傷は痛々しく、店員のおばさんが料理を運んできた時に「あんたの仕業かい」とばかりにディーユに険しい視線を向けていたほどだ。
虐待は珍しくないが、加害者と思われるのは辛い。あるいは特殊性癖の変質者扱いか……。
しかしながら料理と引き換えに料金を渡し、多めにチップを忍ばせると、おばさん店員は急に愛想が良くなった。
「……あれま、まいど!」
衛兵に通報するのだけは勘弁してくれよと祈るばかりだ。
実はここに来るまで、コロを連れて下町の食堂を何軒か回ったが、どこも断られた。
最初に訪れた店は「半獣人を連れている客はお断りだ」と断られた。王都の中心街はどこもそうだが、奴隷扱いの半獣人は店の外で待つのが普通で、下町地区でも少し上等な良店になると断られる。
第ニ聖都をぐるりと囲む運河にかかる橋を渡り、さらに郊外の居住区へ向かう。振り返ると綺羅びやかな王宮の建物が、天を貫かんばかりに立っている。
「疲れたか? かなり歩いたものな」
「……へいきです」
コロは慣れない人混みに疲れたのか、青ざめていた。健気に大丈夫だと言うが、空腹と傷の痛みのせいかフラフラしていた。
腕に掴まらせ、人混みで離れないようにして進む。夜風に冷えた身体に、コロの体温が伝わってきた。
隣の地区へ入ると、半獣人と貧しい人々が半々ぐらいで暮らしているようだった。食堂はすぐにみつかった。
入店自体は何も問題なかった。ホッとしたのもつかの間、店員の言葉に耳を疑う。
「悪いが売り切れなんだ、出せる料理がもう無くて。すまねぇな」
断る口実かとも思ったが、後から来た客も断っていた。二軒隣の店も店じまいの最中だか声をかけてみた。
「すまないね。どこもかしこも食材不足で、料理の材料が無くなってしまって」
「本当に物資不足でまいっちまう。肉どころか塩さえも手に入りにくいんだ」
「疫病の蔓延で不作、凶作……。穀物も肉も値段がとんでもなく暴騰していてね」
――食材不足、価格高騰
聞こえてくるのは作物の不作だ。立ち枯れ、収穫量の激減。
どこもかしこも王都は異常事態。
ただ事ではないと気がついた。
「なんてこった」
三軒、四軒とまわってみたが、金を払っても食事ができないのだ。飲食店の店主はどこも物流が滞る異常事態だと嘆き、王政府への不満を口にするが、半ば諦めた様子だった。
王宮では地下の食堂でそれなりにまともな食事が出ていた。衛兵や下働き、ランクの低い魔法師向けだが、タダで食えたし食糧不足など気にもしていなかった。
王宮の上階では連日連夜、王侯貴族たちが集まって宴会をしていたし、そのおこぼれ料理にありつけることもあったのだ。
と、コロがくんくんと鼻をならした。
「……ん、あっち」
「匂いでもするのか?」
「良いにおいがするの」
「ふむ?」
半獣人族は特段鼻が良いというわけでもないはずだ。見た目は犬や猫のような耳や尻尾があっても、寿命は人間の半分、体力もやや劣るぐらいが普通だと聞く。
コロが指し示す方に進んでみると、入り組んだ路地の奥に明かりが灯った、看板が見えた。
「食堂だ……!」
こうして、ようやく食事にありつけたのが、裏路地にある隠れ家のような雰囲気の小さな店だった。
今はもう他に客はおらず、落ち着いてメシが食えたのは幸いだった。
「兄さん達、これから何処へいくんだい?」
並銀貨を余計に一枚、チップで大盤振る舞いしたことに気を良くしたのか、派手な厚化粧のおばさん店員が話しかけてきた。
「えぇ、まぁ……明日には聖都を出ようかと」
刺客の襲撃に食糧不足。とても暮らせそうもない。
王宮を追放された後は引退して悠々自適、下町に居を構え、のんびり好きなことをして暮らす……という夢は叶いそうもない。
聖都を出て、隣の商業都市アヴァゾンに向かうか。あるいは、遥か北にある故郷の村、サビレッタ村に戻るか……。
「そうかい? いくなら陸路はおやめよ」
「乗り合いの魔法列車や、乗り合いの定期運行馬車があるはずでは……」
「やめときな、強盗に盗賊。聖都を離れりゃ魔物の襲撃。おかげで物流網もズタズタさぁ。王政府はなんもしやしない」
吐き捨てるように愚痴る。ここまでの様子から外は相当危険で、治安も悪化しているようだ。
「では、どうすれば」
「運河と川、水路はまだ安全だっていうね。まぁ客船は……半獣人がいると船倉に押し込められると思うけどさ」
「なるほど、ありがとうござます」
「なぁに。話だけはタダさ。聖都を出られるだけでも羨ましいよ。アタイもさ、出ていきたいんだけど、ウチのひとがこの店を守るんだーって。バカだね、クソまずい店って評判なのにさ」
「あんだとコノヤロー」
厨房の奥から野太い声が響いてきた。どうやら夫婦経営の店らしい。今気がついたが、店の名前は『五つ星亭』となんとも大胆不敵なものだった。
「おいしかった! すごく、すごく!」
コロが瞳を輝かせて、ピカピカに舐めた皿を見せた。
「あれま、美味しいだなんてお嬢ちゃん、幸せな舌だねぇ」
それが店員の言うことか。
「行儀が悪いぞコロ、お皿は舐めちゃダメだ」
「だって、おいしかったから……」
しゅんとするコロ。思わずほっぺたについたシチューの汁を拭いてやる。
ディーユとコロのやり取りを見て、どうも奴隷と主人という関係とは違うと思ったらしく、厚化粧のおばさんは眉を持ち上げた。
「はは! そうかい! わかってるじゃねぇかお嬢ちゃん」
店主がニュッと厨房から顔を出した。強面のゴロツキのような男だったが、コロの様子に気を良くしたのか、笑みを見せる。
「ところで兄さんたち、今夜の宿はあるのかい?」
「いえ、それが……」
実はそれも困っていた。
宿は何軒か見かけたが料金が高い。連れ込み宿は安いようだが、コロを連れて入るのは流石にいろいろと無理だ。
「実はウチはよぉ、宿もやってんだ。まぁ看板は出してないけどな」
厨房のカウンターに肘を突き、親指を立てる店主。
「訳あり客向けでね、屋根裏をちょいと無届けで貸してるんだ」
厚化粧のおばさんがウィンクして上を指差す。
「……なるほど」
マズイ飯屋が潰れないのはそういうカラクリか。
というか「訳あり客」に思われたのが軽くショックだった。
まぁ実際、ディーユは訳ありなのだが。
「兄さんの顔つきと振る舞いを見りゃ、それなりの身分の人間だとわかるぜ、互いに他言無用がウチのルールだがどうだい?」
「それはありがたいです。是非おねがいします」
「よしきまった」
店主は身体つきからして元傭兵か何かだろうか。人を見る目があるのだろう。訳ありだが信用できそうだと店主は思ってくれたらしい。
料金を聞くと正規の宿屋よりは安い。とはいえ屋根部屋と考えればかなり割高だが、それでもありがたい。
料金を前払いし宿を取ることにした。
出発は明日の朝、早朝にする。
「それと……」
「あぁ、魔法給湯つきの簡易シャワーを使っていいぜ。店の厨房の裏、従業員用でよけりゃ」
「助かります! 良かったなコロ」
「おー?」
「カーチャン、洗ってやんな、その汚い娘」
「仕方ないねぇ、これはチップの分だよ」
◇
浴室は立ったまま浴びる細長い感じの場所だった。
狭い浴室の外から、腕まくりをした食堂のおばさんが腕を突っ込んでいる。コロをお湯と石鹸でゴシゴシと洗いまくってくれているのだ。
「……きゃん! いたい」
「我慢おし、傷が汚いとね、病気になって死ぬよ」
「ひー!?」
傷に石鹸が沁みるらしく、コロは悲鳴をあげていた。
しばらくするときれいになったコロが出てきた。
「おぉ、どうだったコ……ロ?」
「どうだい、見違えただろ。馬子にも衣装ってね」
コロはおばさんの古着らしい煤けた赤いワンピースを身に着けていた。長さが余った分は腰の紐で結わえている。
それよりも、コロは綺麗になっていた。ごわごわだった茶色い髪も綺麗に下ろされ、顔の傷はあるが汚れが無くなっていた。
垂れた犬耳がおかっぱ風の髪型と相まって、可愛い。
「ディーさん、きれいになったー」
女の子らしい、はにかんだような笑みを浮かべる。
「そ、そうだね。綺麗になったし、服も可愛いじゃないか」
「かわいい……! かわいい」
コロはその場でくるりとターンする。
「だろう? アタシの若い頃の踊り子衣装だからね! ところで古着は一着銅貨五枚だ。下着と着替えをもう一枚、あわせて銀貨一枚におまけしとくよ」
「ちゃっかりしてるなぁ」
何はともあれ。ディーユとコロは屋根裏の狭いベッドにありつけた。
もっとも――。
コロはベッドには目もくれず、埃っぽい床に寝転んだ。
「コロ、なんで床で寝るんだ? ベットを使いなさい」
「え……? わたし、いつも床で寝てるから……」
さも当然のように言う。
まともな寝床さえ与えられていなかったのか。
「……いいから、来なさい。こっちはふかふかで、寝心地がいいから」
「うん……」
そして狭いベッドで二人、抱き合うようにして眠りについた。
その夜ディーユは夢を見た。
故郷の村、小さな飼い犬と遊んでいる頃の夢だ。
お日様の下、子犬のにおいがした。
「うーん……やめ、くすぐった……」
じゃれついてくる子犬が、顔を舐める。
「……ぺろ……」
◇
<つづく>
【作者より】
次回は幽閉されたマリアシュタット姫とアイナです。
王都追放編、物語が大きく動きます
次回も読んでいただけたら幸いです。
では★
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