退廃の黄金王宮
「さぁ! 非礼を詫びられよ!」
鋭いサーベルの切っ先を、ヒキガエルのような男に向ける。
マリアシュタット姫に忠誠を誓い、ずっと側で守り続けてきた近衛騎士、アイナの怒りが爆発した。
相手は、女王陛下が饗せと命じた相手。それに対して剣を抜いた事は、理由はどうあれ厳罰は免れないだろう。
だが、アイナは騎士の誇りにかけて、覚悟の上で剣を抜いたのだ。
大切にお守りしてきたマリアシュタット姫を侮辱し、あまつさえ卑猥な腐った目で視姦したディブリード・メルグ公爵が、どうしても許せなかった。
いや、許してはならぬのだ。
「だ、だだ、誰かぁああっ! 狂った女騎士に殺されるぅうう!」
「人払いをせよおっしゃったのは貴方だ! お付きの兵が駆けつけるまで二分はかかる。しかし三秒あればその首、胴体から切り離すことなど造作もない!」
ビュッと剣で空を切ると、ディブリード・メルグ公爵は地面に尻もちをつくと虫のように壁際まで逃げた。鼻水と涙を垂らし、情けない悲鳴をあげ醜態を晒す。
「ひぃぃ!? なな、なんとかせぬか、ラソーニ卿っ!」
「そこまでにしてもらおうか、女騎士」
魔力を込めた冷たい声で命じると、静かに歩み寄る。
白銀のマントを翻したのは、Sランクの王宮魔法師ラソーニ・スルジャン。白々しい笑みを浮かべ、混乱した場を鎮めるかのように両手を広げてみせた。
女騎士は頭に血が上っているのか、魔力による命令を受け付けなかった。
常人ならば虚ろな目になり、従うはずが気迫ではね除けたのか。
――まったく面倒なことになった、ブタ公爵め。
ラソーニ・スルジャンは内心、毒づいた。
折角の宴会を台無しにした女騎士は後で始末するとしても、メルグ公爵との貿易交渉を反故にされては困る。食料供給の契約自体は済んでいるとはいえ、これ以上の混乱はまずい。
ラソーニ・スルジャンは計算高く、瞬時に慎重に状況を分析する。
それに――女王陛下から邪険な扱いを受ける末姫のマリアシュタットとはいえども、昨年崩御した国王陛下の直系の血縁。ゆえに城内には支持する者も多い。彼女の近衛騎士を八つ裂きにするわけにもいかない。だから興奮のあまり心臓発作で心停止したことにしてしまえばと一計を案じたのだ。
しかし、思わぬ伏兵により阻まれた。
女騎士アイナの命を守ったのは、植物を操る魔法。
あれは追放したDランクの魔法師、ディーユの仕込みで間違いない。
以前、手下の報告でも女騎士……確かアイナという名の騎士と会話しているところが度々目撃されていた。
――守りの呪法を施していたは……!
忌々しい、Dランク魔法師の分際で。
黄金錬成以外にも、呪詛や各種魔法を得意とするラソーニ・スルジャンにとって、己の魔法をキャンセルされた経験はそう多くはなかった。
たかだかDランクの出来損ないの魔法師ごときに阻まれるなど、屈辱以外の何物でもない。
目障りなディーユを追放したのは、今思えば失敗だった。
皆の前で殺すべきだったのだ。
元々、気にくわなかった。自分とは相反する魔力の波動を感じていた。黄金とは違う方法で他人の心を操る魔法は、目障りでしかなかった。
嫌がらせと賭けのネタを兼ねて、差し向けた刺客もあの男は退けた。元Bランク崩れの傭兵魔法使いとはいえ、火炎魔法で名を馳せた男だったが、草木を操る魔法などに敗れるとは、とんだ魔法使いの面汚し……。
「いや……私としたことが」
今はそれどころではない。Dランクの魔法師など、いつまでも相手にしているほど暇ではない。
この場は穏便に済ませるのが上策か。
「二度目はないぞ、女騎士。もう魔法の守りも尽きたであろう」
ライラックの花は散り、床に花弁が降り積もっていた。女騎士を健気に護った魔法の力はもう感じられない。
「ラソーニ卿! 貴公の私への殺意ある魔法について、問い質すのは後回しだ。私は今この男と話をしている!」
鋭い視線をディブリード・メルグ公爵に向けたまま、魔法師を見向きもしない。心臓を止めようとした魔法師より、姫を侮辱した公爵へ怒りの矛先を向けているのだ。
――こういう頭に血が上った脳筋には、邪眼も催眠も効果が薄い、か。
ならば呪詛を糸のように細く束ね、しゃべれぬよう舌を腐らせるか。ラソーニ・スルジャンが秘かに魔法を指先に励起する。
と、何かを察したかのように視界を遮る者がいた。
「騎士殿の邪魔はしないで頂きたいものですな、ラソーニ卿」
執事長ジェルジュが静かな口調で物申した。
「……老いぼれはひっこんでいろ、先に死にたいか」
「はて。魔法を励起、呪殺するまで何秒かかりますかな?」
「貴様……!?」
呪詛を見抜かれている。しかも凄まじい圧迫感。思わず背筋が冷たくなった。
ただの老執事ではない。爆発寸前の火山のような鳴動が、静かな口調と柔らかな物腰の向こうから伝わってくる。執事長ジェルジュの憤怒、公爵の愚行に対し騎士以上に怒り心頭なのだ。
「Sランク魔法師殿とはいえ、私めの心臓を止めるには最低でも三秒は必要とお見受けします。しかしこの至近距離、老いぼれの拳とどちらが速いか、試してみるのもまた一興」
執事服の上腕が、はちきれんばかりに膨らんでいた。
握りしめた拳は今にも解き放たれそうだ。圧迫感の正体は闘気だ。拳の一振りで相手を絶命させる格闘術の使い手なのだ。
ノーモーションで拳を叩き込まれれば、如何に最高ランクの魔法師といえども、避けられるものではない。
「……確かに、少々分が悪いようだ」
その時だった。
「なめ、るなぁぁメス騎士ガァアアアッ!」
奇声に皆がハッとした。事もあろうにディブリード・メルグ公爵が、女騎士アイナめがけてへっぴり腰で斬りかかった。床に落ちていた食事用ナイフを握り、ヨタヨタと女騎士に突進する。
ラソーニ・スルジャンの援護があると勘違いし、逆襲に転じたのか。
「――アイナいけません!」
短く、強く叫んだのはマリアシュタット姫だった。
殺してはいけない、と。
「御意」
アイナはサーベルを振った。冷静にナイフを弾き飛ばし、返す刀で呆気にとられるディブリード・メルグ公爵を一閃。
ピシュッ……と斬り裂く音が響いた。
「温情に感謝することだ」
悪趣味な服がはらりと裂けた。そしてむき出しになった白いブタ腹の薄皮に、横一文字の赤い線がつぅーと入った。
「ヒッ!? ギャァアアア!? アッ、アハァアア……!? 血ィイイ、血がぁあああ、しぃぃい、死ぬぅうううう……だだだ、だれかぁあああ」
白目を剥きながら泡を吹き、ドタバタと転げ回るディブリード・メルグ公爵。無様にして醜悪、その一言に尽きる。
家畜のような悲鳴に、ようやく側近や城の衛兵が駆けつけた。
「な、何事ですか!?」
「これは一体! メルグ公爵!」
「姫に無礼を働いたので斬った。薄皮一枚、死にはしない」
◇
晩餐会は大混乱となった。
城内の衛兵と公爵の私兵がにらみ合い、一時は騒然。
王宮内の力関係がどうであれ、主催者側の騎士が、こともあろうに国賓待遇の公爵を傷つけた。
ラソーニ・スルジャンはそのすきに姿をくらました。マリアシュタット姫の近衛騎士と、メルグ公爵の個人的な不作法の問題に偽装、矮小化したのだ。
騒ぎは瞬く間に王宮に広まった。
女王ペンティストリアの耳にも、すぐに一報が届く。
王宮中枢部、女王の間――。
禿頭の大臣が、震え声で事実関係を告げる。
「……というわけで、マリアシュタット姫と近衛騎士アイナは、王宮の北側の塔にて謹慎としております」
謹慎とは名ばかりで、事実上の幽閉だった。
「しょ……食料調達の交渉は成立しておます。調印書にも落ち度はございません。すでにディブリード・メルグ公爵のサインもございます故……。此度の問題は、あ、あくまでも、晩餐会の場、酒の席での狼藉でございまして……えぇ」
「ほぅ」
女王ペンティストリアは億劫そうに思案していたが、どうでもよいと思った。
手の指全てにはびっしりと宝石が飾られている。その輝きを眺め、大臣の話も聞いているのかいないのか。
黄金の調度品で溢れた部屋は快適で、最高の食事もワインも途切れることはない。
何も問題ない。
「よいではないか。マリアをメルグ公爵に嫁がせよ」
「は? よろしいので……」
「慰謝料のつもりで、献身的に尽くせば公爵も寛大に扱うであろう」
「みょ、妙案かと……」
マリアシュタット姫は女王自身の子ではない。
昨年崩御した国王陛下と、側室の間に生まれた子だ。
ペンティストリア女王の実子は、第一王女アンデュラと兄王子リガディのみ。実質的にこの二人が次期国王、女王候補なのだ。
そしてマリアシュタット姫の母、側室も病死した国王陛下の後を追うように死んだ。隠し飲んでいた高級ワインが腐っていたのだという。
「き、騎士はいかがなさいましょう?」
「騎士の剣を剥奪し、マリアの側付きにせよ。あとの沙汰はメルグ公爵に任せるがいい」
「……はっ」
ディブリード・メルグ公爵のもとへ、マリアシュタット姫を嫁がせる。女騎士は単なる「付き人」として同行させる。
向こうでどんな扱いを受けるかは想像に難くない。激しい虐め、暴行に陵辱、思うがままだ。そんなことは知ったことではない。
それよりも。
女王は新しい王冠が欲しいと考えていた。
「ラソーニをここへ」
艷のある声で侍女に命じる。
王冠について良いアイデアが浮かんだのだ。
黄金はあの魔法師、ラソーニ・スルジャンがいくらでも創り出してくれる。
――狂おしく絡まる双蛇がいい。
それで黄金の冠を豪華に飾り立てよう。
◆
<つづく>
【作者よりのおしらせ】
次回はふたたび、ディーユとコロちゃんへ。
王都追放編、いよいよ佳境
次回も読んでいただけたら幸いです。
ではっ★
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