君の歩くはやさで
◇
「冷たい……っ!」
「にゃはは、山の沢水だからにゃー」
コロとミゥが洗濯をしていた。小川のほとり、大きな桶で石鹸の泡をたてながら、シーツや下着をじゃぶじゃぶと洗っている。
山小屋で一夜を明かし、ディーユもアイナもミスティアも顔を洗っていた。魔女エルザの山小屋のすぐ側を流れているのは、ハイレネー山からの冷たく澄んだ水だ。飲み水となり、下流の方は洗濯用に使うらしい。
「冷たいにゃぁ……。コロは平気にゃ?」
「私、洗うの得意なの」
水のあまりの冷たさに縮みあがるミュウ。それに対し、リズミカルに揉み洗いを続けるコロ。
「そういえばコロにゃんは、最初のころ手荒れがひどかったにゃ……」
「今はもう平気だよ。ディさんに治してもらったし」
「よかったにゃぁ」
コロは出会った時、貧民街の裏路地で過酷な労働を強いられていた。朝から晩までひたすら洗濯、洗濯の毎日。酷使された指先は痛々しくあかぎれていた。しかし今や傷も癒え、水仕事をしても辛そうな顔をすることは無くなった。
「そっち持って」
「にゃっ」
「せーの」
犬耳の少女と猫耳の少女が、シーツの両端をつかみ、ひねって水気を絞る。
和気あいあいと白いシーツを大きく広げ、木々の間に渡したロープにひっかける。
風に任せ、あとは乾かすだけだ。
「いいかんじ」
「白旗みたいだにゃ」
その時、風に吹かれたシャボン玉がひとつ、ふわりと飛んだ。洗い桶の縁から飛びたったのだろう。
「あ、シャボン玉!」
「逃げたにゃ」
小さな球体が朝日で輝きながら飛び立つ様を、見上げるコロとミゥ。
まるで丸い鏡のようなシャボン玉は、近くにいたディーユたちの姿さえも映し、空と森さえ取り込みながら空へと吸い込まれていった。
それは、考えてみれば不思議な光景だった。
今もまた泡のように世界がひとつ生まれ、旅立っていったのではないか。そんな風に夢想する。
「世界はシャボン玉なのかもしれない」
ふと、ディーユはひとりごちた。
「そうかもしれないが、魔女に惑わされたのかもしれないぞ、ディーユ」
「惑わされてなどいない」
「わかるものか」
「エリザさんが俺を騙したところで、何の得にもならないさ」
「……確かにな。しかし本当のところ私は、ディーユが見たという『新しい世界』の話を信じたい。その方が気がずっと楽になるからな」
ディーユと並んでタオルで顔を拭きながら、アイナが微笑んだ。
「そういう考え方もあるか……」
昨夜、魔女エリザから知らされた真実を、ずっと頭で整理していた。
世界は滅んだのではない。
光となってどこかへ飛び去り、別の新たなる世界として「再生」した。
しかし証明することはできず、ひとつの可能性として示唆されたに過ぎないが。
あまりにも壮大で突拍子もない話しだった。
しかしアイナへ説明すると意外にも驚かなかった。
「天国や地獄ではない、別の場所か……なるほど」
妙に納得した様子だったのは、死んだのではなく、どこかへ旅立った……という風に考えたほうが気楽だからだという。
別の新しい世界への転移。
それは、身内を失った者にとって一縷の望みとなる。
二度と会えないかもしれないが、どこかで生きているとかんがえれば気持ちは救われ、希望の火も灯る。
「ミーグ伯爵やアフェリア女史に報告しないといけないのか……」
ディーユはどう報告しようかと悩んでいた。うまく真実を伝えられるだろうか。
生存者一名の発見。
そして滅んだとばかり思っていた世界の、新しい「解釈」についての知見を報告せねばならない。
ちなみに、魔女エリザはミスティアと同じダークエルフであったという件について。そのことをミーグ伯爵へ報告することについて尋ねてみると、拒絶はされなかった。
かつて、ダークエルフという理由で、迫害と差別をされた辛い記憶があったという。けれどミスティアが人々と共に暮らしている様子を見て、心を開いてくれたようだ。
彼女自身はこの山小屋での暮らしを続けると言い、ミーグ領への引っ越しなどは考えていないようだった。
『……じゃが、ここに来たいというなら別じゃ。ミスティアやコロやミゥを連れ、遊びに来ても構わぬぞい? おっと、その際は手土産を忘れるでないぞ』
ただし、決して他人は連れてくるな、と釘を刺された。
――承知しておりますよ、魔女エリザ。
それはさておき。
新しい世界について、ミーグ伯爵やアフェリア女史はどう考えるだろうか。
「魔女エリザの件はいいとして……。新世界の話は、真実かどうか確かめる術もない。受け入れたところで『どうしようもない』わけだからな」
「手紙の一つも出せない、絶海の孤島に人々が流れ着いている。そんなことを知った気分だ」
「それでも人々は生きているのだろう?」
それでいい、十分だよ。
アイナはそういうと穏やかに笑った。
――世界はひとつではない
突きつけられた真実、新たなる可能性。
今まで考えたことさえ無かったが、人々が生きているこの世界が、同じように無数に存在するのかもしれない。
遠い星の向こう、あるいは結界で息を潜めながら。
世界の大半は白い砂となって消滅してしまったが、どこかで新世界に生まれ変わった。確かめる術もなく、連絡を取ることも出来ない。それでも何処かに存在する可能性は希望になる。
魔女エリザの話では、ハイ・エルフたちは新天地を目指し、星の海へと旅立ったという。善悪や人類への脅威を抜きにしても、新しい世界で生きていくつもりなのだろう。
消えてしまった何百万という同胞、動物たちも、今ごろ新世界で生きていく決意をしているのかもしれない。
昨夜、魔女エリザが見せてくれた幻燈――ヴィジョン。
月の夜の不思議な光景は、そんな予兆を感じさせた。
残された領域、世界の欠片。取り残された人々は滅びゆく黄昏を生きているわけではない。
ミーグとヴェトムニアが新しい時代を築く。過去の歴史がそうだったように、日々を積み重ね築いてゆけばいい。
「行こう、アイナ」
「あぁ」
手をさしのべ、アイナと共に歩きだす。
「ディーさん!」
「帰る準備にゃ」
コロとミゥも駆け寄ってきた。
「コロ、ミゥ、おうちに戻ろう」
「うんっ」
嬉しそうに微笑みぎゅっと腕を絡めるコロ。
「帰ったら魔法の勉強を始めるぞ。魔法の文字も、いろいろおぼえなくちゃな」
「がんばる!」
コロがきらきらした瞳で見上げてくる。
可能性という原石の輝きが、ここにもあった。
コロには魔法の力が眠っている。これから、どんな魔法が花開くのだろう。
素敵な魔女になれるだろうか?
楽しみでならない。
「あたしも修行するにゃ。そしてコロを守る騎士になるにゃ」
「ミゥちゃん……」
「よし、まず身体作りからだ。秘訣は……たくさん食うことだ!」
「えぇ!?」
力こぶを見せつけて、ミゥを二の腕で引っ張りあげるアイナ。普通それは父親の役目だろう。
お日様に照らされた影が二つ。さらに二つの小さな影が寄り添い歩き出す。
山小屋の扉が開き、ミスティアが姿を見せた。
屋根の上にいた小さな翼竜が肩に舞い降りた。
「ウリュー、ごはん食べた?」
『キュルル』
魔女とミスティアは今まで小屋のなかにいた。何やら「ダークエルフ同士の話し」とやらをしていたようだ。
「というわけで、また来るのじゃぞ」
「うん、約束する」
姉のような魔女とハグをする。
この先、何かあれば頼ることの出来る大人と出会えた。
偉大なる魔女であるエリザ。これから長い寿命を、時間を共に生きていけるであろう頼れる仲間が。
ミスティアにとってそれは、心強く嬉しいことに違いない。
「ミスティア」
「ディーさん、帰ろ!」
小鹿のように駆け寄ってきたかと思うと、飛び付いてきた。
頭を撫で、エリザに礼をする。
ミスティアを連れていきます。今は家族だから。
「元気でのぅ……! ちなみに、塩の在庫は二週間ほどしかのこっとらんぞい。それと甘い物が足りぬ! それから……」
「ははは、わかりました。魔女エリザ」
「また来るね、エリザ!」
ミスティアが元気よく手を振る。
名残惜しそうな魔女に別れを告げて、山小屋を後にする。
次に来るときは道で迷うこともないだろう。
「……そういえば、アイナ」
「なんだ?」
「顔の傷のこと、魔女に何か言われなかったか?」
「あぁ、言われたとも。最初にな」
「そうか……」
アイナの右の額から頬にかけて残る火傷の痕。
女性としては致命的なものだと、王宮――もう思い出したくもないが――心ない貴族出身の騎士たちが嘲笑した。
それは子供の頃に負ってしまった傷だ。
この季節に森に入るなという父親の言いつけを守らず、アイナは森へと分け入った。
流行り病を患い熱の下がらないディーユのため、よく効く薬草を探しに、ひとりで森へと向かったのだ。
薬草はなんとか手に入ったが、そこで毒トカゲの魔物に襲われたのだ。
アイナは命からがら逃げ帰ったが、毒に侵されていた。傷は浅かったが、トカゲの毒により傷が化膿していた。
村のヤブ医術師は「火で焼かねば命が危うい」と、子供だったアイナの顔を焼いたのだ。
あの時の悲鳴と絶叫が、今も耳からはなれない。
もし自分が病で倒れていなければ。
トカゲの毒を魔法でなんとかできていれば。
後悔ばかりが浮かぶ。けれど過去は変えられない。
悔やんでも仕方ない。
だから未来を変えようと考えた。
魔法を学び、魔法の薬を見つけ、顔の傷を癒せないか、ずっと探し求めていた。
しかし『完全治癒』の魔法は存在しなかった。
唯一、伝承に残るハイ・エルフの一部が、あらゆる傷を瞬時に治し、命さえ甦らせることができたらしいが……。
「魔女は私に囁いた。――可哀想に。その顔の傷では嫁にもいけまい……。しかし、ワシの認識撹乱の魔法なら、傷を誤魔化し見えなくすることが出来る――とな」
アイナが魔女の恐ろしいバージョンの真似をしながら語る。口の両端をつり上げて、恐ろしげに笑いながら。
コロやミゥ、ミスティアがきゃーきゃーと逃げた。そして戻ってきてはアイナの話に耳を傾ける。
「そ、それで?」
「つづきは?」
「なんていったにゃ?」
魔女が何か上手い話を持ちかける時、必ず裏がある。
つまり『対価』を要求されるということだ。
事実、山小屋に泊めてはくれたものの、対価をちゃっかり要求された。
コロがリュックに詰め込んできた物、つまり塩のみならず、黒砂糖、小麦粉、調味料。日用品、下着や雑貨に至るまで。ほとんどすべてを巻き上げられたのだ。
だからきっと、アイナの話にも「オチ」があるのだろう。コロとミゥ、ミスティアもわくわく顔で次の言葉を待つ。
「それで、アイナはなんと?」
「あぁ、だから魔女に言ってやったのさ」
さっと胸を張り、誇らしげに背筋を伸ばし、
「ノーサンンキュー! いりませんと。きっぱりとな」
「えー? 魔法なら傷を消せたんでしょ?」
ミスティアが惜しいなぁ、といいたげに頭の後ろで腕を組む。
「ふっ。このままの私でよいと、受け入れてくれる男性がいるので。こ……婚姻したばかりですから、とな! きゃっ、言わすなバカぁあ!」
「痛てっ!?」
ばしっ! とアイナに背中を叩かれた。
両手で頬をおさえ身悶えするアイナ。
甲冑を着込んだ女騎士のツッコミは、大ダメージを負いかねない。
「もーっ!」
「おのろけかにゃっ!?」
コロとミゥが飽きれつつも笑う。
「だからエリザ姉ちゃんが、祝福とか福音とか、ゴニョゴニョいってたのかー」
ミスティアは何やら納得した様子で、友竜と先をゆく。
魔女の福音をミスティアは聞いたのだろう。
それは神父の祈りの祝福とは異なり、本人たちには聞こえない合間にこっそり行う祈祷の一種だ。
「エリザさんは何と?」
ためしに聞いてみる。
「えーっとね、『病めるときも。健やかなるときも、ディーユと共にあらんことを。ゆっくりと、みんなが共に、歩み続けられるように……』だって」
「いい祝福だ」
気がつくとゆっくりと歩いていた。
手を繋ぎながら歩くコロとミゥの歩幅に合わせ。
アイナは時々立ち止まり、追い付くまで見守る。
ミスティアは先を急いでは振り返り、慌てて戻ってくる。
それぞれが歩く速度を合わせながら。
これからも歩いてゆく。
ずっと、一緒に。
<了>
【作者より】
ディーユたちの物語は、ひとまずここで区切りを迎えます。
世界はこれから大きな変革のうねりが起こるでしょう。
ミーグとヴェトムニアとの国交が樹立し、時には争いも起きるかもしれません。新たなる敵、脅威も生まれるかもしれません。
しかし今、ディーユたちはひとつの家族となり、共に歩き始めました。
ここから新しい暮らし――スローライフが始まります。
コロやミゥ、ミスティアにとっては幸せな日々となることでしょう。
次回、エピローグ となります。
では、また!




