残され魔女エリザ
「人の気配がする……! ずっとお山の方」
コロが視線を向けたのは、谷のさらに奥、ハイレネー山の麓の方角だ。
再びすんっと鼻を鳴らすと、確信したようにディーユを見つめ、小さく頷いた。
「わかったコロ、ありがとう」
コロの感知能力は、これまで幾度となくディーユを導き、窮地を救ってくれた。信じるに値する。
「みんな、聞いてくれ。生存者がいるかもしれない!」
「ディーユ、それは本当か!?」
アイナが慌ててゴシゴシと手の甲で涙を拭う。
辛く悲しい真実を知り流した涙と、ディーユからの「愛の告白」による嬉し涙がごちゃまぜになっていた。
しかし何か事態に変化があった。気持ちの整理は後回しだと切り変える。
「川の上流のほうかにゃ?」
ミゥが清流の上流を見つめる。その方角には家は見えない。白い灰のような砂に覆われた谷間が、山の懐まで続く。その先には緑の森の境界が、低い壁のように連なっている。
「うん。暖炉みたいな匂い。人の暮らしている匂いが、流れてきたの」
ハイレネー山から流れ出る冷たい流れに沿って、匂いが漂ってきたのだという。
「友竜、舞い上がれ!」
ミスティアが背中のリュックで休んでいた翼竜に声をかけた。
『キュイ……!』
友竜はコウモリのような大きな翼を広げ、一息に舞い上がった。羽ばたきながらぐんぐんと上昇、小鳥ほどの大きさに見えるほどの高度に至る。やがて旋回しながらゆっくりと滑空、川の上流、山の方角へ向かって行く。
「ミスティア……! ありがとう」
「うん、まかせて。ボクが『視て』くる」
友竜との視界共有。それはダークエルフのミスティアが持つ、固有能力の一端だ。
「――遠隔視界共有」
左目を手のひらで覆い隠し、右目だけに淡い光を宿す。
友竜が北側へ進むことおよそ五百メル。村の跡地を抜けると、やがて谷が沢に変わり森へと至る。
「森だ、僕らが最初に通ってきた森と繋がっている」
ミスティアは上空を飛ぶ友竜の視界を半分、借りている。
ほとんど芥子粒のように小さくなった翼竜はなおも飛び続ける。白い砂で覆われた谷を抜け、森の上空を舞う。
そこが『滅びの光』の最大到達点。森はハイレネー山麓周辺に広がっており、豊かな恵みをもたらしてくれた。滅びの光の影響は、手前までで途切れている。
「ディーユ、思い出した……! ――ずっと北の山の方、谷の終わりの森の中……!」
アイナが瞳を輝かせ、まるで詩のようなフレーズを口ずさむ。
「あぁ、そうだ。――サビレッタの境界を越えて、ハイレネーの麓の森の奥……」
それは子守唄だが、言うことを聞かない子供を窘めるための歌だった。
「「恐ろしい魔女が、おまえを食べてしまうー!」」
アイナと同じフレーズを口ずさむ。
そうだ。
森の中に一人で暮らしている『魔女』がいたのだ。
ハテノ村、サビレッタ集落の更に奥、人里離れた森の中に。
そこに古い小さな丸太小屋があり、一人で暮らしている老婆が確かにいた。
とても偏屈で、無愛想で。でも悪い人ではなかった。
村人たちとあまり交わらず、時おり村に降りてきては森で採れた薬草などを食べ物と物々交換。あるいは魔法の薬を売り、必要な最低限の品物を買っては、また山に戻っていった。
魔女が来ると子供達は逃げた。
しかし大人たちは、まるで山の神の使いでも来たかのように、丁寧に対応していたのが印象深かった。
「名前は、魔女のエリザ!」
「子守唄になるほどの生ける伝説だ」
懐かしくて思わず二人で微笑む。
「魔女?」
「怖そうだにゃ」
コロやミゥはぎょっとして顔を見合わせた。
村の人々は「あの婆さんは魔女だ。怒らせれば災いがふりかかる」「子供が行くと煮て食われる」「近づいてはダメだよ」と言い聞かせた。
だが、そんな言いつけを守るアイナではなかった。
『魔女に会いに行ってみよう!』
『え、えぇ……? ダメって言われてるのに』
『大丈夫だって。本当に魔女かどうか、確かめてみようよ』
あれは、十歳のときのことだ。ディーユは嫌々、アイナに強引に誘われて森へと分け入った。
狩人の父親に連れられて森に何度か入っていたアイナは、秘密の獣道を知っていた。危険な野獣をうまくやり過ごしながら進み、やがて魔女の住むという小屋へとたどり着いた――。
「あっ煙だ……! ほんとだ、小屋がある! 川沿いのずっと森の奥、ここから一キロメルほど先……! すごいや、コロの言う通りだ」
ミスティアが歓声をあげると、コロは照れくさそうな様子で、隣にいたミゥにじゃれついた。
しばらくして、友竜が戻ってきた。
「おつかれ」
『キュルル……』
「はい」
コロがリュックから干し肉を取り出し、食べさせる。ご褒美をもらい、友竜は満足げだ。
「よし、方向もわかる」
「行ってみよう……!」
◇
一時間ほどゆるやかな山道を登る。
周囲は再び深い森となった。木々の葉のざわめき、動物たちの声や気配にホッとする。生命に満ち溢れた世界に戻ってきた、という感覚だ。
体力の劣る少年少女たちを気遣いながら、細流となった渓流沿いで何度か休憩する。
昼を過ぎた頃、目的の小屋が見えてきた。木々に隠れた森のすぐ向こう、尖った茅葺きの屋根と煙が立ち昇っている。
「あった……!」
「煙が出ている、魔女は元気なようだ」
「怖いにゃぁ……」
「み、みんな一緒だし大丈夫だよ」
ミゥとコロは及び腰。
魔女といえば、貴族を怪物に変えた魔女、イヤミフラシアだが。その印象が最悪すぎた。
森の小道を見つけ、進む。
しかし、なぜか小屋にたどり着かない。
気がつくと前にあったはずの小屋が、左手の後方に過ぎ去っている。道に迷ったのかと戻り、再び目指す。
今度はいつのまにか背後に小屋の屋根がある。
「なぜだ!? 目の前にあるのに行けないとは!」
アイナが地団駄を踏む。
「気配と匂いはずっとそこにあるのに……。十五メル先の森の向こう」
「ミゥも何がなんだかわからないにゃ」
コロもミゥも草むらに座り込んだ。
「……迷い森の結界。魔女の家に近づけない魔法だよ」
「はぁ!? わかっていたのなら最初から言え」
「まぁまぁ、俺たちはいま試されているのさ」
「魔女が、私たちを……?」
「向こうには招くか招かざるか、選ぶ権利がある」
食ってかかる女騎士を軽くいなし、すまし顔で子供たちの様子を窺う。ディーユは既に魔法のカラクリに気づいていたが、それぞれの反応を観察していたのだ。
「あれ? そっか、魔力波動で進む方向を、気がつかないうちに曲げて、惑わされているんだね」
ミスティアは流石に気がついたようだ。
「ご名答」
「えへへ」
ぽん、と頭を撫でる。
元・宮廷魔法師として、結界を破り突破する術ならば知っている。魔力波動の干渉による破壊、もしくは術式解析により、綻びをみつけだす解呪などだ。
しかしそれらは宣戦布告に他ならない。
魔女や魔法使いが展開した結界には、己のテリトリーだという意味がある。結界を切り裂き、土足でズカズカと踏み込むということは、殴り込みに近い行為となる。
わかっていても相手の流儀に従う。それが魔法を学んだ者ならばわかる礼儀だ。
「では、どうする?」
「そうだなぁ。結界を踏み越える『正解』は用意されているはずさ」
「……んっ? まてよ、ディーユ。私たちが子供のとき、この家に来たし入れたじゃないか!? そして魔女にも会った」
「そうだな。アイナはあのとき、普通にドアまでたどり着いたじゃないか」
瞳を瞬かせ、うーん? と腕組みをするアイナ。
次第に思い出してきた。
今から十年ほど前のこと。
確かにアイナとここにきて、魔女に会った。
恐ろしいと聞かされていた老婆に招かれ、お茶をのみ、お茶菓子を貰い、話をした。そして不思議と楽しい時間を過ごした。
別れ際、最後に魔女はこういった。
「――坊や、君は魔素器官を継承している。世界に秘められた力を汲み出す、井戸のような。つまり、わかりやすくいえば魔法の才能があるのさ」
「魔法……?」
「鍵は、認識することさ。胸に手を当てて、信じて。深く、祈ってごらん」
言われるまま胸に手を当てて、祈った。
ぽっ……と熱が生まれ、胸の奥で光が生まれた気がした。
気がつくと、森の外れで倒れていた。
アイナと二人で魔女の家にいったことがバレ、こっぴどく叱られたのは、今となっては良い想い出だ。
それからディーユは魔法の力が芽生えた。
眠っていた能力が活性化した、とでも言うべきか。
「何故あのときは入れて、今は入れないのだ?」
「大人になったからかなぁ……」
「あぁもう、もったいぶらずに教えてくれ」
アイナがしびれを切らしてきたので、正解に一番近いコロの背中に両手をおく。
「コロ、目をつぶって。感じるかい? 魔女の気配、住んでいる家の方向」
「……うん、なんとなく」
「ミゥ、ミスティアもここへ。コロの導く方向に。ゆっくり進んで。決して前をみないこと。見ていいのは、足元だけだ」
「わかったにゃ」
「結界やぶりのおまじない?」
「まぁ、そんなところだ」
コロの背を押す。
ゆっくりと歩きだすコロ。森の木々の陰に三人の少年少女の姿が隠れる。
「ディーユ……!」
「しっ。鍵を開けてもらうのさ」
危険はない。
と、不意に森がザワつき、大風のように梢が揺れた。
はっとして周囲に視線を走らせる。景色が変わっていた。
森のなかに十五メルほどの、開けた場所がある。その中心に古く、しかし手入れの行き届いた丸太小屋があった。
周囲は畑らしく、作物やハーブ類が植えられている。
「魔女の家だ……!」
「あぁ、魔女エリザの家、あのときと何も変わっていない」
「ディーさん!」
「なんだか着いたにゃ!」
「こんにちはー! 誰かいますかー?」
コロとミゥが此方に向けて大きく手を振る。その後ろでは早速、ミスティアがドア越しに呼びかけている。
「おいおい、大丈夫か?」
「魔女は言うほど怖くなかった気が……」
アイナとディーユは気軽な足取りで進む。
と、その時。
「ヒィヒャァアア! 新鮮なぁあああ! 子供のォオ、肉ゥウウウウウ――!」
ドアが勢いよく開き、白髪を振り乱した魔女が出現した。ギョロリとした目玉に、悪鬼のような表情。右手に包丁、左手にはナベ。ボロを纏い、すさまじい奇声をあげながら猛ダッシュで襲いかかってきた。
「わぁああっ!?」
「きゃぁあ!?」
「にぎゃ!?」
驚き悲鳴を上げるミスティア、コロとミゥも蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「恐ろしくないんじゃなかったのか!?」
「うーん。記憶違いか」
「きゃうんっ!」
「コロッ!」
「げははは、まぁてぇあ小僧ぁあああ!」
「えっ!? ボクぅ!?」
最初に転んだコロには目もくれず、ミスティアを追い回し、包丁を振り上げる。
「まぁてぇえええ……!」
「やだやだやだやだ……!?」
涙目で逃げ回るミスティア。そのすきにミゥがコロに駆け寄り助け起こす。
「コロにゃ!」
「ひゃぁあ……」
「に、逃げるにゃー!」
けれど、コロはきょとんとした表情で、ミスティアを追い回す魔女に視線を向けた。
「でも……すごく、良い匂いがした?」
<つづく>




