最後の戦い
「――ぐべぁああぁぁぁ……アゲッ!」
無様な悲鳴が窓の外で響いた。
ラソーニ・スルジャンは部屋のガラス窓と窓枠を突き破り、二階から落下していった。
「はあっ……はあっ……!」
ガクリと膝を折る。ディーユの魔法力は底をつきかけていた。
怒りに任せ全力で叩きつけた魔法は、ラソーニ・スルジャンの防御結界にいとも容易く阻まれた。しかし狙いは別にあった。足元から気づかれぬように流し込んだ魔力で、床材から「ひこばえ」を生やす。斜め方向に成長させた特大の「ひこばえ」による物理攻撃こそが本命。
その狙いは辛くも成功した。ラソーニ・スルジャンの股下から急激に伸ばすことで、その身体を突き飛ばし外へと排撃することは出来た。
「ディーユ、やった……のか?」
離れた位置で、アイナは辛そうな様子で、コロとミゥを抱き抱えていた。横にはソファに横たわったままのマリアシュタット姫もいる。
「いや、まだだ……。あの程度のダメージなど、すぐに回復するだろう」
どす黒い魔力波動の気配は消えていない。
とはいえ、最悪の危機は去ったようだ。
急速に結界の気配が解けてゆくのが感じられた。薄闇のヴェールで覆われていた視界が晴れ、粘性を帯びていた空気が軽くなってゆく。
結界の内側で別種の魔法力を解放、更にラソーニ・スルジャンを強制排除した事で、魔法結界の破壊には成功したようだ。
「コロ……! ミゥっ!」
ディーユはフラフラとした足取りで、アイナの元へと向かう。
「二人とも息はある、だが目を覚まさないんだ!」
「しっかりしろ!」
二人の首筋に手を添えると、脈も呼吸も弱く浅い。
コロは首や脛椎を強く圧迫され、気を失っている。
ミゥは体力を激しく奪われたことで呼吸そのものが弱い。
「くそっ、何か治療を……そうだ」
ディーユは慌てて腰のポーチを探る。何種類か常備しているハーブに使えるものがあるはずだ。
「あった! ヴァレリアン(カノコソウ)なら」
乾燥させた葉の破片を取り出す。残り少ない魔力を指先に集中、枯死再想で生のハーブへと再生させる。
緑色の小さな葉を指先で揉み潰すと、途端に刺激臭が鼻をついた。
「ディーユそれは?」
「気付け薬だ」
コロとミゥの鼻に近づけると、二人は微かに反応を示した。
「……んっ」「けほっ」
二人は深く呼吸をし、血の気が戻ってきた。
「しっかりしろ! わかるか!?」
「よかった……」
「君たちも大丈夫か!?」
他にも子供たちが倒れていたが、徐々に目を覚まし始めていた。呼びかけると返事をし、コロやミゥより症状はずっと軽い。
結界の呪縛が解け、徐々に快方に向かいつつあるのだ。
「ミゥとコロは、最後まで抵抗していたのか」
ミゥの身体にはソファのカバーがかけられていた。
「俺がお守りを渡した事で、なまじ体力の消耗が抑えられたのだろう。それで二人は……。すまん」
「お前が気にやむことじゃないさ。よくがんばった、えらいぞ」
ぎゅっと二人を抱き締めるアイナ。
「う……ん」「にゃぁ……」
「……よかった……」
近くにいた赤毛の少年が身を起こした。黒い魔法の衝撃波を浴びたのか、衣服が黒く汚れ破れていた。
「君も戦ってくれたんだな。皆を護るために」
「でも……なにも出来なかった。花のお守りで、悪い魔法を防げた……。でもあいつ……化け物みたいで怖くて……」
ぐっと涙をこらえる少年の頭をディーユはくしゃりと撫で、怪我がないことを確かめる。
名前は? と尋ねるとアルタと名乗った。確かコロが楽しそうに教えてくれた、近所の友達の名前だった。
「いいや、君は勇敢な戦士だ。奮戦に感謝する!」
アイナが感謝の意を示すと、少年は照れ臭そうに微笑んだ。そして真面目な顔つきになり、アイナとディーユの顔を見つめる。
「あの怪人をやっつけて、お願いだ。皆を苦しめる悪いやつなんだ。お願いだよ、騎士さま、魔法師さま!」
「アイナ……お行きなさい。あの悪しき魔法師を討つのです。ディーユも、お願いです」
マリア姫もソファーから身を起こす。アイナとディーユは深く頷いた。
「アルタとかいったな、ここは君に任せる」
「えぇ……!?」
アイナはミゥとコロを赤毛の少年に託す。少女二人を預けられ、困惑しきりの顔になる。
「他の子達の面倒も見てくれ! たのんだぞ!」
「は、はい……!」
「行こう、魔力の気配が高まっている」
外でふたたび黒い魔力の気配が高まりつつあった。
「決着をつけよう、戦いに終止符を打つのだ!」
「あぁ、共に戦おうアイナ」
「いつも通りにな」
ごっ、と拳をぶつけ合う。
気力を振り絞り立ち上がる。残存魔力は二割ほど。戦闘で勝てるかはわからないが、やるしかない。
ディーユとアイナは、窓から外に向かって伸びた杉の枝を滑り降りた。
◇
地上に降りるとそこは広い前庭だった。
「ラソーニはどこだ!?」
「いた、あそこだ!」
ラソーニ・スルジャンは中庭にユラリと立っていた。
貴族服はボロボロに破れ、筋骨隆々とした上半身がむき出しになっていた。その胸の中心では、禍々しい血のような光を放つ水晶が脈動し、周囲には黒いクモの巣のような血管が浮き出ている。
再び前庭に追いやられた魔法師は、倒れていた二人の衛兵から生命力を奪い去った直後だった。
衛兵たちは干からびてミイラのようになり、黒ずんで崩れ去った。
胸の水晶が青白い輝きへと変わってゆく。
「ラソーニ、貴様ぁぁあああッ!」
アイナがその光景を目にして怒り、叫んだ。
腰に装着していた短剣を抜くと同時に地面を蹴った。近接戦闘用の刃渡り五十センチメルほどの、最後に残った武装だ。
ラソーニとの距離は二十メル。ディーユも魔法を励起しながら後を追う。
「アイナ、ヤツは全射程攻撃が可能だ!」
「百も承知!」
エナジードレイン攻撃に加え、中距離ならば黒い衝撃波。近接戦闘でもデーモニア・ジャケッツを展開すれば魔法師の常識を越えた戦闘力を発揮する。
しかも体力を無限に回復可能で、魔力さえも他人から奪う事の出来るアイテムが、ヤツの胸の中心で輝き続けている。
事実上、無敵。付け入るスキがない。
胸の水晶を何とかしない限り、勝ち目は無い。
間合いを詰めながら思考を巡らせる。
吸収を阻害する、あるいは破壊できれば――
「……フシュゥウ……! さっきは、よくも……やってくれた、なぁああ。尻が少々……痛かったぞぉ、このクソボケがぁあ……」
ラソーニ・スルジャンがゆっくりと振り返る。
そして旧知の塵芥を見るような、悪魔のような笑みを浮かべ、カッと目を見開いた。そして――
「ラソォオニィイ・魔法ビィイイム!」
両目から真っ黒いモノを放った。魔法ではない。邪眼を実体化したような鋭く黒い矢が迫る。
「なんのぉお!」
先頭を走るアイナが短剣で黒い矢を迎撃した。
ギィインン……! と耳をつんざく振動音が響き、剣の表面でスパークする。狙いが逸れた黒いビームが地面に命中、黒煙をあげた。
「魔法じゃない! 超高密度に圧縮して放った黒い瘴気か!」
「このバァカ! 失敬なことをぬかすなぁああ! 四流魔法師ィイ! 魔法だ、これは魔法なんだぁあ! くらぁえええ! ラソォオオニ! ブラック・衝撃波動ォオオ!」
ドウッ! とラソーニの周囲の地面がえぐれ爆裂。間合いまであと一歩というところまで接近していたアイナとディーユは吹き飛ばされた。
「うあっ! それも魔法じゃないだろ!」
「くそっ、近づけん……」
直撃は免れたが、凄まじい威力だった。ラソーニの周囲3メルの地面が根こそぎえぐれている。
「フゥウウ……! いいや魔法だ! 私の魔法ォオ……! 呪文詠唱や魔法円なぞ不要! 魔法を超越した真の魔法……! 天才のみに許された境地! 恐れおののけ、ひれ伏すがいい、五流魔法師ィイ、ファウハァァアァア……!」
「何流だか知らんが、お前はもう魔法師じゃない」
「アァ、ぁあん!? 今、なんといったぁああ!」
「淀んだ腐汁を撒き散らしているだけだ」
「もういっぺんいってみろ、ディーユァ!」
ラソーニの顔が怒りで歪み、ビキビキと青筋が何本も浮かぶ。
「臭いのが何よりの証拠だ」
「ッ! し……死にしゃぁらぁあああ!」
ふたたび衝撃波が襲いかかる。
ディーユはアイナを庇う。前面に「生け垣の結界」を出現させ衝撃を中和する。だが魔法力の残存はこれで一割に近づいた。
「くそ、ヤバイな」
「ディーユ、すまない……。ヤツに近づきさえすれば首を狙えるのに」
「アイナ、俺が隙をつくる。その間にヤツの力の源、胸の水晶を叩け」
「胸の……?」
「あぁ、首ではダメだ。ヤツは今、力を胸の水晶から吸い込んでいる。流れを断ち切るんだ」
「なるほど、わかった……!」
ディーユは立ち上がり、ゆっくりとラソーニ・スルジャンに向き直った。
深く呼吸を整え、意識を集中。残る全ての魔法力を手の先へと集める。この力を使い果たせば、暫くは魔法が使えない。対抗する術を失う。
アイナが後ろで身構えた。ラソーニとの距離は8メル。
魔法力を離れた位置から放っても届かないのは実証済み。
故に、接近するしかない。
全力で走れば二秒とかからない。しかし近づく一瞬で、ヤツはこちらの生命力や魔法力を奪い去ることが出来る。
だが、枯死再想――ウィード・リコレクションを一点集中し突進。懐で放てばラソーニ・スルジャンへは届く。
届けば、種子を発芽できる……!
執事長ジョルジュが必死で仕込んでくれた、種子が。
粘着性のある種子と言っていた。おそらく、ここらで手に入る種子で粘性を帯びるもの、それはひとつしかない。
瞬きほどの間に成長し、それはヤツの頭部に食い込むだろう。
その隙にアイナが水晶を狙う。
「ほぅ、何か作戦でもあるのか、なぁあ? 無駄、無駄、無駄なのにぃいい! 私は無敵、無敵、無敵ィイイ! さぁ来るがいい。生命力も、魔力も全て吸いつくし、干からびたゴミにしてやろう! ヒィァアハハハハハ……!」
完全に勝利を確信し、高笑いするラソーニ。
「アイナ、この戦いが終わったら」
「終わったら?」
「……いや、なんでもない」
言いかけたがやめた。
一瞬、何を言おうとしていたのだろう。
幼馴染みで、幾度も共に死線を潜り抜けてきた親友で、他に思い付かないほどに通じ会える、大切な……
「うぉい!? 気になるだろうが」
「答えは考えておく。いくぞ!」
「えぇい、ままよ!」
同時に突進を仕掛けた。
「ばかめ……!」
ラソーニ・スルジャンが黒い結界を展開した。狭い範囲に集中したエナジー・ドレイン。視界が歪み倒れそうになる。
それでも歯を食いしばり突き進む。右手に残存の魔法力を集中。手に持ったガーデニアの小枝を再生し、ラソーニ・スルジャンの死の結界を中和して突き進む。
「うおぁおおおお……ッ!」
「捨て身か、万策尽きたかァアアア!」
手足が朽ちようとも、ヤツに魔法力を叩き込む。僅かでいい、生命力の再生を促す、きっかけさえ与えれば。
「うぐぁ!」
左肩に激痛が走る。ラソーニの魔力光線、ラソーニ・ビームが貫いたのだ。アイナの脚にも命中、よろめくがアイナと肩を咄嗟に支え合い、進みつづける。
「な、何故倒れぬ……!?」
「俺たちは、一人じゃないからな……!」
「そうだとも、ここまで……大勢の人たちに支えられてきた!」
「だから、負けるわけにはいかないッ」
「負ける、はずがないっ!」
「な、にぃいいぉおおっ! 言っていやがるァアア! 不快だ、不快、イヤァアアア!」
黒いビームが放たれたが、今度は二人で左右に分かれ、狙いを逸らす。
「くっ……ちょこまかとォオッ!」
ついに間合いに入った。衝撃波を放つ態勢、だがその前に、全力で枯死再想――ウィード・リコレクションを放つ。
「効かぬ! そんな脆弱な魔法なぞ私には……!」
その瞬間、見えた。
ラソーニ・スルジャンの頭や首筋に種が。
――ヤドリギ
寄生植物、ヤドリギの種子。
粘着性の種子で樹木の枝に付着、枝や幹に根を張り、二股にわかれた肉厚の葉を繁らせる。樹木より養分を吸い上げ成長する。
冬に赤い実をつけ、枯れることがない。そんなヤドリギを、古来より人々は魔法の植物として珍重してきた。
ぽっ、と種子が芽を出した。
可愛らしい双葉がラソーニの首筋と金髪の隙間から生えた。
「は……? はは、なんだこれは?」
「古い魔法さ」
ヤドリギは冬さえも枯らせない生命力の象徴。冬の命を讃える祭儀には欠かせない。その根は硬い樹皮さえも食い破る。あっという間に根が皮膚を突き破り、ラソーニ・スルジャンの首筋、頭部へと食い込んでゆく。
「いッ!? あぁぁあ!? なっ、なにぁいいいい!? こ、これ……いぎぁああ!?」
慌てて掻きむしるが、寄生植物の成長は速い。ヤドリギは生命の喜びを爆発させる。ズブズブと根を深く伸ばし、同時に二股にわかれた緑の枝葉を猛烈に繁らせてゆく。
肉厚の葉が豊富な魔力と栄養をエサに一気に成長、首筋と頭部に鳥の巣に似た緑のコロニーを形成してゆく。
「ひぎぁああ! 頭に……! わぁああたぁぁああしぃいいのぉ、脳ニィイイ!?」
頭からヤドリギを引き抜こうと半狂乱になるラソーニ。
エナジー・ドレインの黒い結界が揺らぎ、消えた。
「そこだぁあッ!」
がら空きになった胸めがけ、アイナが剣の切っ先を叩き込んだ。ガッ……! と鋭く硬質な音が響き、水晶がラソーニ・スルジャンの胸の奥にめり込む。
「ヒッ、アァアアア!? き、ききっ、貴様、やめ、やめぇぁあああ!?」
「いっけぇえええ! アイナ!」
「ずぅおりゃぁあああ!」
ビキィシッ――!
水晶がラソーニの体内で砕けた音が響いた。
「ゴフッ……!」
次の瞬間、ラソーニの肉体がボコボコと膨らんだ。そして、腕や身体の各部位が急速に萎れ、枯れてゆく。
「――ぎぃやぁああァアア……!? こんなっ、こんなことギャアァアア……!」
体内に溜め込んだ魔力の流れがメチャクチャになり、行き場を失っている。活性化と劣化を猛烈に繰り返し、肉体が限界に達する。身体のあちこちが破れ、崩壊。黒い瘴気のような魔力が発散しはじめる。
「ぎゃ……………………ぴぃぇ……ん?」
「逃げろ、アイナ!」
「あぁ!」
踵を返し、全力で逃げ出した直後。背後で凄まじい爆発が起こり、二人は地面に叩きつけられた。
<つづく>
【作者より】
ついに決着、完全撃破――!?
辛く長い戦いもこれで……?
次回、おたのしみに★




