絶望のミーグ領 ~レザトゥス炎上
◇
『黒い魔物の群れが襲来――! 推定、百体以上ッ!』
魔法の水晶球通信を通じ、最南端の駐屯地から悲鳴じみた報告が響いたのは、まだ深夜の時間帯だった。
ミーグ伯爵居城内、領軍の作戦司令室は大混乱に陥った。
ガーゴイル。それは十時間前に遭遇、撃退したばかりの「黒い魔物」の識別名である。
黒い体躯に背中の蝙蝠じみた羽が、伝承上の悪魔ガーゴイルに似ていたからだ。
その起源も正体も、不明。
記録にもなく、今までだれも遭遇したことのない未知の魔物であり、世界に起こった異変と何らかの関連性があるかと思われた。
故に警戒を厳にしていたはずだった。
「アレノチ村駐屯地! 撤退だ! 撤退しろ!」
『――駄目です! 周囲を囲まれました! 負傷者多数……うあぁっ!』
「おいっ!? どうした、返答しろ!」
『(ザー……)』
「魔法通信、途絶!」
「ぜ、全滅したのか!? こんな短時間で……! あそこには一個中隊規模の兵士が配置されていたはずだぞ……!」
ミーグ領軍を束ねるエパウス将軍が机を叩いた。
仮眠していたところを起こされ、着替えさえ終わっていない。
ミーグ領軍最南端のアレチノ村駐屯地では今から十時間前、謎の黒い魔物、ガーゴイル一匹を討伐した。
そのために特別に編成した二個小隊と、常駐の警備隊合わせて40名が配置されていた。雷撃を操る期待のルーキーもいたにもかかわらず、襲来したガーゴイルの群れにより、わずか十数分で連絡が途絶えたのだ。
ガーゴイルは仲間の仇討ちに来たのか、あるいは一匹目は偵察目的だったのかはわからない。
少なくとも現時点で言えることは、『本隊』とでもいうべきガーゴイルの襲撃が、大規模なものであるということだ。
このまま領内への侵攻を許せば、街道沿いにある牧畜と農業のみを営む村々が危ない。領域内に侵攻された場合、阻むものは無いのだ。最悪一気に領都レザトゥスに到達してしまう。
「レザトゥスから三キロメルテ地点、シャケノヴォル河川敷に防衛陣地を構築する! 領都防衛軍は全員招集! 城内の衛兵もかき集めろ! それと、領内の冒険者ギルドを叩き起こせ! 可能な限り戦力を集めるのだ!」
上着を羽織りながらエパウス将軍が矢継ぎ早に指令を出す。
そこで中央司令室の扉が開き、ミーグ伯爵が姿を現した。ロングコートのような貴族服を羽織りながら、緊迫した様子で中央のテーブルに広げられた大きな地図を覗き込む。
「エパウス将軍、状況は?」
南端の領境には大きな赤いバツ印と、敵勢力の侵攻を示す赤い矢印が描かれていた。将軍は姿勢を正すと礼をして、状況を報告する。
「はっ、懸念したとおりガーゴイルの群れの襲来です。数は推定で百体以上」
「早ぇな、あれからまだ半日も経ってねぇってのに」
「既にアレチノ村駐屯地は壊滅。敵はレザトゥスに向け侵攻中と思われます。絶対防衛線をシャケノヴォル河川敷に構築するよう、指示をしました」
「賢明だ。しかしアレチノ村からここまで50キロメルテ。防衛線構築が間に合うか?」
「なんとか間に合わせます。しかし、兵力はかき集めても一千名かと」
「千…‥か」
「南東、南西、各地に分散している領境防衛部隊にも招集をかけましたが、それぞれ2百キロメルテ離れています。領都レザトゥスに敵が襲来するのには間に合いません」
と通信兵が声を上げた。
「将軍閣下! 早馬による強行偵察隊が、敵軍の侵攻状態を捕捉! レザトゥス南方、40キロメルテ、ベゴカウゥス村地点! 民家が炎上しているとのこと!」
「くそ、侵攻が速すぎる!」
将軍が苛立たしげに地図を睨んだ。赤いバツ印がまた増える。ガーゴイルの群れは村を破壊、侵略の意図が明白だ。
他国や他の領域からの武装盗賊団などであれば、事前に動きを察知できる。人間が集結し動き出すには準備と時間がかかるからだ。
しかし、ガーゴイルにはそれがなかった。
忽然と出現し猛然と攻撃をしかけてきた。
まさに神出鬼没、そして領内を一気呵成に蹂躙しつつある。
「連中は補給も休息も必要がねぇってわけだ」
「通常の魔物ではないと聞いておりましたが、これほどまでとは」
「――強行偵察隊より再度報告! ガーゴイル二百体以上を確認! 十時間前に襲来した個体より攻撃力が高いようです!」
「なに?」
ミーグ伯爵とエパウス将軍は顔を見合わせた。
「将軍閣下、魔法の水晶球通信、映像、出ます!」
魔法の水晶球を特殊な羊皮紙のスクリーンに向けると、強行偵察隊からの映像が届いた。不鮮明だが燃え上がる家々の前を、黒い怪物たちのシルエットが続々と通過してゆく。
人々や家畜は逃げ惑っている。その対比からも身の丈は2メルテ以上、そして背中には黒い羽、そして長い尾をもつ。その様子は同じだった。
しかし、青白い炎を口から放射、一撃で牛小屋を破壊した。
「なんだありゃぁ!?」
「魔法の火炎砲でしょうか、見たことのない魔法です」
十時間前に遭遇した個体はあのような魔法、あるいはスキルを使わなかった。やはり偵察用の個体だったのか。
破壊された牛小屋から、牛が悲鳴を上げて逃げ出してゆく。しかしガーゴイルは牛を追うことは無かった。食糧目的ではない。
ただ黙々と目につくものを破壊しながら北へ、つまりレザトゥスの方角へと侵攻する。
人間に対しても同様だった。抵抗する兵士は一撃で叩き伏せるが、逃げ遅れ倒れ込んだ人間には見向きさえしない。
目的を持った全体意思が、彼らを統率しているのは明らかだった。
「こいつら、まるで訓練された軍隊のようだ」
――やはり、ダークエルフのような存在が、後ろで糸を引いているのか?
ミーグ伯爵は、ディーユとミスティアへの出撃を命じることを決意する。
この戦況を打破する「ゲームチェンジャー」になりうる可能性を秘めた彼らに、希望を託すのだ。
◇
「ディーユ、いよいよだな……!」
「あぁ、そろそろ夜明けか」
東の空が白み始めていた。
アイナと装甲馬車の陰で空を見上げる。
装甲馬車の中にはミスティアが控えていた。魔物の心に働きかける固有能力により、敵の進撃を抑える。それがディーユたちのパーティに課せられた使命だ。
周囲には急遽招集された衛兵や兵士、冒険者ギルドから招集された自由冒険者達が、小さなグループをつくり、南の方角を睨みながら焚き火を囲んでいる。
領都レザトゥスの南部を流れる河川、シャケノヴォル。
数名で小隊を編成し、ガーゴイルを各個撃破。レザトゥス市街地への侵入を阻止し、領都を防衛せよ――。
正規軍と併せ、防衛線に集結した兵力はおよそ一千。ガーゴイルの4、5倍の兵力だが、決して多いとは言えないだろう。
「見ろ、南の空が……!」
兵士の一人が呻いた。
南の方角の空が炎と黒煙で赤黒く照らされていた。村が燃え、天を焦がしているのだ。
「燃えてやがるんだ、村が」
「くそっ、母ちゃんがいるってのに……」
一体、どれくらいの被害が出ているのだろう。
最前線にいた同僚の魔法師、ライクルの安否が不明のままだった。
コロとミゥは、周囲の地区の女子供たちとともに、ミーグ伯爵の居城に避難していた。籠城戦になれば居城が最後の砦。つまりここが最終防衛ラインになる。
最悪の事態だけは、なんとしても避けたい。
「ディーユ、いつもどおり」
「アイナ、勝ち残ろう」
がちっと拳を突き合わせる。
何度も繰り返してきた戦いの前のゲン担ぎだ。昨日の夕方の戦闘から魔法力は回復しきっていない。万全とは言えないがやるしかない。
「ガーゴイルどもは二百匹程度だろ、オレらで倒してやらぁ」
「報酬はあまり期待できねぇがな、ここが落ちれば後はねぇ!」
周囲では、自由冒険者ギルドから来たらしいガラの悪い男たちも気勢を上げた。
まさにその時だった。
真正面で青白い炎が吹き上がった。
ドォン……! と破裂音がして、人が宙を舞った。
「なっ!?」
「て、敵襲――!」
『キュキュキュ!』
『キルキルキルキル……!』
甲高い耳障りな声を響かせながら、巨大な黒い影たちが出現、その異様な姿を現した。
ガーゴイルが襲来したのだ。
「なっ? 昨日戦ったガーゴイルよりもずっと大きい――!?」
アイナはディーユに叫んだ。
「昨日のは偵察用、これが戦闘用ってことか」
頭部には無数の目があり、ギョロギョロと不気味に周囲を見回している。耳元まで裂けた口に並んだ細かい牙、その姿を見た屈強な兵士さえ思わず悲鳴を上げ、恐怖に動きを止める。
「ぐわぁああっ!」
「じ、陣形を保て! 切崩せ……うがぁ!?」
振り回した腕に兵士が吹き飛ばされ、盾が砕け、剣が折れ、血飛沫が舞った。
「前衛の正規軍が応戦しはじめた!」
「って、一方的じゃないか……!」
ガーゴイルの大群は一気に襲いかかってきた。
河川を前に広く展開しながら、防衛線各所で衝突。各所で激しい戦闘となった。口から青白い火炎を吐き、地面をえぐる。直撃した人間は黒い炭のようになり立ったまま燃え上がった。
いや、戦闘と言えば聞こえはいいが、彼我の戦力差は圧倒的だった。
まともに戦ってもダメージを与えられない。
剣で突いても、斬りつけても、ガーゴイルは平然と殴り返し、兵士を叩き伏せた。兵士たちの損害が次第に拡大してゆく。
「ひ、いぁあああ!」
「だめだ、やべぇ」
逃げ出そうとした自由冒険者の男がガーゴイルに殴り倒された。
ガーゴイルが目の前に来た。アイナが斬りかかった。
「くそおおおっ!」
「アイナ!」
――枯死回想ッ!
藤の蔓を伸ばし、足元からガーゴイルを捕獲、振り上げた腕を搦めとる。
「ずうりゃああっ!」
アイナが両手持ちの長剣でガーゴイルの顔面を貫いた。
『キピィアアア……!』
一際大きな目玉を潰すとドロリと溶けて崩れ落ちた。
「こいつらの弱点は目玉だ!」
アイナは叫んだ。しかし周囲は混戦となり、声は届かない。
「やはり通常の戦いでは無理だ、このままでは全滅してしまう」
枯死回想でガーゴイルを牽制しつつ、装甲馬車の扉を開け中に転がり込む。
「ミスティア! どうだ、ガーゴイルに干渉できそうか!?」
すると中でミスティアが頭を抱えて蹲って震えていた。
「……ディ、ダメなんだ、あいつら……」
「ミスティア!?」
客室内に飛び込んで細い肩を抱き起こす。顔色は蒼白で呼吸が浅い。手先が冷たく、体が小刻みに震えている。
「あいつら……心なんて、無いんだ。闇、泥沼、腐ったドブみたいな……暗い……。いやだ、怖いっ……」
「もういい干渉を止めるんだ、落ち着けミスティア」
言い聞かせながら抱きしめて、落ち着かせる、すると、呼吸が楽になったようだった。
「あのガーゴイルは、みんな同じだった。何か……影のような、鏡で増やしたように、同じなんだ。中身のないからっぽ、心の無い、人形だよ」
「人形……か」
ミスティアが頷く。
ゴォン! と馬車が揺れた。
「うわっ!?」
装甲馬車がガーゴイルに攻撃されているのだ。
次の瞬間、馬車が横倒しになり視界が反転する。咄嗟に枯死回想で枝葉を伸ばしクッションとし、衝撃からミスティアの身を守る。そして、なんとか後ろの扉から外に転がり出た。
「ううっ、ミスティア大丈夫か?」
「う……ん」
周囲を見回して唖然とした。
死屍累々とはこのことか。あれだけいた兵士たちの半数以上が、既に地面に面に倒れ伏し動かなくなっていた。
死んでいるのか失神しているのかわからない。応戦しているものは熟練の兵士や、自由冒険者たちで、身を守るのが精一杯の状態だ。
「アイナ!」
「ディーユ……!」
吹き飛ばされたのか、装甲馬車の陰に倒れていたアイナに駆け寄り助け起こす。ダメージを受けているようだ。
「防衛線が……崩壊してしまう……!」
アイナの悲痛な声にハッとした。
既にガーゴイルたちが川を渡り、レザトゥスの市街地へと侵入し始めていた。あちこちで火の手があがり、破壊の音が響く。
青白い炎が、街の中心部を次々に破壊してゆく。
その衝撃は居城にさえ届いていた。
「町が城が……燃える!」
「ディーユ、ここを放棄しよう! マリア姫を、お守りせねば!」
アイナは橋を指差した。防衛線を放棄して居城まで後退しようというのだ。
――コロ、ミゥ……!
「あぁ、わかった」
そうだ。確かに今はそれしかない。
行ったところで間に合うのか、どこまで持ちこたえられるのか。
しかし、コロやミゥ、姫様だけでも守りぬくと決めたのだ。
防衛線を離脱しようとしたその時だった。倒れていた血まみれの男がディーユの足を掴んだ。それは、ディーユたちの横で気勢をあげていた自由冒険者だった。
「……な、なぁ……アンタ、魔法師なんだろ! だったら、なんとかしてくれよォオ! あの……化け物共をよぉおおッ!」
ディーユは何も答えることが出来なかった。
精一杯戦っても、アイナのサポートをし、身を守ることで精一杯だった。このミーグ領を、防衛線を維持し、戦い抜く役にさえたっていない。
「く……そっ」
拳を握りしめ、奥歯を噛みしめる。
悔しい。自分の無力さが歯がゆい。
何が魔法師だ。
所詮自分はDランク、ここまでなのか。
「ディーユ!」
「うっ?」
生ぬるい突風に思わず目をつぶる。
目の前にガーゴイルが降り立った。
「グバァッ!」
「――なっ!」
ズゥム、という衝撃と共に踏み潰された自由冒険者の男が絶命した。
『キル、キルキルルルウゥウウ……』
ガーゴイルが口を開け、青白い炎が喉の奥で輝いた。
身動きができない。間に合わない。魔法を励起しようとしても、咄嗟に励起できない。
アイナの叫び、ミスティアが何かを叫んでいる。
まるで時間が止まったかのような、無音の世界。
ダメだ、やられる――!
その時。
黄金色の光が暗い天を切り裂いた。
一条の輝きが真横に、戦場を通り過ぎてゆく。
「な?」
『――黄金の聖なる剣!』
シュゥン――!
軽やかな振動音とともに、眩い金色の光がガーゴイルの胸を通り過ぎる。すると、次の瞬間ガーゴイルが内側から破裂、爆発し粉々に砕け散った。
「なッ、なにッ!?」
立っていた他のガーゴイルたちも連鎖的に砕け、次々に溶けてゆく。
再び、戦場を黄金色の光が通過。今度は街の方に向かっていき、ミーグ伯爵の居城に迫っていたガーゴイルの頭部を吹き飛ばし、爆砕した。
「今の光は!?」
「おぉお……! ガーゴイルを倒した!」
「え、援軍……か!?」
兵士たちも口々に天を見上げ、黄金色の光が次々に放たれ、矢よりも速くガーゴイルを貫き、切り裂くのを目撃した。
と、南の方からゆっくりと、マントを翻しながら悠々と歩いてくる人影が見えた。
生き残った兵士たちが、だれもがその方向に視線を向ける。
ディーユもアイナも、その人物を見て驚愕に目を見開いた。
「あ、あ……、バカな」
「お……おまえは……!?」
「――そうッ! 王宮魔法師の最上位にして頂点ッ! 神にもひとしき、スペシャァアル、スゥパァアア、スタァアア、ウィザードゥウウウ! S、S、Sランカー! ラソーニィ・スルジャン!」
ビシィイイイッ!
と、奇妙奇天烈なポーズをキメ、荘厳な装飾の施された魔法使いのマントをぶわっと振り払う。リーゼント風にひねり上げた前髪に、爽やかな笑み。
それはSランクの魔法師、ラソーニ・スルジャンだった。
『キィイイルウゥウウ!』
ガーゴイルが一斉にラソーニ・スルジャンに向かって飛びかかった。
「フッ」
しかし、まるで散歩でもするかのような余裕の笑みを浮かべ、指を打ち鳴らす。
パチン。
するとガーゴイルたちは一瞬で爆発四散、跡形もなく砕け散った。
「おぉおおおおおッ、すげぇええええっ!」
「一瞬でガーゴイルたちを……倒したぁああっ!」
どぉおおおおおおお! と戦場が歓喜に揺れた。
「あ、あれは……! あの魔法師様はぁああっ!」
「知っているのですか部隊長どの!」
「あぁ、以前王宮で見たことがある! 間違いねぇ、王宮魔法師の頂点、Sランクの魔法師、ラソーニ・スルジャン様だ……!」
「すごい、生きておられたのだ……!」
その声に応えるかのごとく、ラソーニは腕を派手に一振り。
黄金色の光の剣でガーゴイルの群れを次々と粉砕する。
「そう、もう大丈夫。この私……ラソーニ・スルジャンが来たからには……ねぇ」
ニタリと口元に笑みを浮かべたラソーニの視線は、唖然呆然とするもうひとりの魔法師、ディーユに向けられていた。
<つづく>




