消失世界 ~アフェリア女史の報告
◇
ミーグ伯爵の居城、執務室――
書類の束に目を通し終えると、ミーグ伯爵は秘書兼行政官のアフェリア女史に視線を向けた。
豊満なボディをキリリとしたスーツで固め、メガネのレンズを光らせる。
「彼らは想像以上の働きをしてくれたようだ。アフェリア、君はどう思う?」
「はい。期待以上かと。北部に生息する魔物は、長年わが領域を脅かす脅威でした。手を焼いていたオークの群れは推定二百匹。それを一匹も殺さずに平定してのけました。しかも、我が方の兵力の投入無しで。鎮圧……いえ、友好的な関係を構築できたのは、まさに彼らが成し得た奇跡としか言いようがありません。素晴らしい功績といって良いでしょう」
淀みなく答える様子に、有能なアフェリアがここまで言い切るなど珍しい。そうとうお眼鏡に叶ったようだ。
「俺も同意見だ」
「『掘り出し者』のダークエルフ、ミスティアの持つ固有能力、超魔力感応による魔物に対する統制は、おそらく彼が生きている間は持続し、有効かと思われます。もはやオークは単なる統制の枠を越え、刺激により半獣人化されたに等しい状態です」
「話が通じるってぇのは、でかいな」
事実、北部地域からのオークによる被害も、その取り巻きの小鬼、ゴブリンによる被害もパッタリと無くなった。
ミスティアの持つ魔法の力は、『歴代王宮魔法師大全』の中にさえ見当たらないものだった。過去に彗星のごとく登場したSランクの魔法師中にさえ見いだせない、類を見ない魔法の力なのだ。
「ミスティアだけの功績ではありません。マリアシュタット姫の魔法師、ディーユ殿のサポートがあったからこそ、成し得たものかと存じます」
「……あの男、掴み所がない若造に見えて、根は正直で、芯はしっかりしている。それに、子供たちに好かれる性質のようだ。羨ましいな……」
ミーグ伯爵が印象を語ると、アフェリアもクスリと笑い頷いた。
「不思議と、あのミスティアが懐いております。精神的に不安定で危険な部分もありましたが、ディーユ殿が心の支えとなり、今回のクエストを達成できたようです」
「なるほどな」
「殊にもディーユ殿の『植物を操る、あるいは急速に育成できる』魔法の力は、稀有で、こちらも記録にありません。しかし、わが領にとって有益な人材
になるかと」
ミスティアがオークたちに「人間の食べ物をとっちゃダメだよ」と言い含め、魔法師ディーユが不足していた食料――山芋を食べきれないほど彼らに提供した。
「マリアは希望を運んできてくれたようだ」
姪のマリアシュタット姫は人を見抜く力に長けている。それは先代の国王、祖父譲り譲りなのだろうか。
第二聖都からの脱出に際し、有能な部下や仲間を、まるで宝船のように満載してきてくれた。
「先刻もディーユ殿はこの建物の中庭で、不足していた薬草を繁茂させてくださいました。ダチュラ、鎮痛作用のある貴重な薬草は、我が領では育成できないはずなのですが……」
「そりゃぁたまげた。後で見に行く」
「是非どうぞ、花が見頃です」
流石のミーグ伯爵も唖然としていたが、何事かを考え込むように腕組みをして椅子に背中を預けた。
「では、彼らを今まで通り丁重に……」
「いや」
ミーグ伯爵はアフェリアの言葉を遮ると、顎髭を生やした口許をニィっと歪めた。
「では?」
「家族同然に扱えばいい。共に生きる俺たちの同胞として」
「かしこまりました」
アフェリアは柔らかい声で返事をし、頷いた。
そして、次の書類を手渡す。
「……なるほど、問題がひとつ解決したと思えば、新しい問題も山積みってわけだ」
「はい。仔細は報告の通りです」
知的美人のアフェリアは、メガネのフレームをついっと動かした。
各地に散った調査隊の報告を纏めたものだ。
この三週間、かなりのことがわかってきた。
海路による海岸線からの観測調査、および陸路から進む内陸部の調査。
そして大陸調査隊、第6班がついに「爆心地」と目される、第二聖都まで、あと百キロメルテ地点まで迫った、との報告だった。
――都市部は他と同様に壊滅、跡形も無し。
推定直径数十キロメルテにもおよぶ窪地が出来ており、地下水が溜まりはじめている。
第二聖都が、今回の魔導災害の爆心地で間違いない。
「やはりか……」
「えぇ」
調査が進むにつれ、大陸全土におよぶ甚大、かつ壊滅的な被害の全容が明らかになりつつあった。
ミーグ領を発った十班の調査隊は、行く先々で、絶望的な光景を目にすることになった。
見渡す限り、白い塩に覆われた大地だけ。
救助も何も、人は影も形もない。
青い空の下、輝く白い砂漠だけの光景は、白昼夢を見ているような、たちの悪い悪夢のような、そんな気にさせた。
しかし各所に、かつての町や村の痕跡は残っていた。
かろうじて建物だったとわかる瓦礫の山があり、触れるだけで崩れ落ちた。まるで燃えかす、灰のように脆く、軽い。
全てが崩れる白い砂に成り果てていた。
無人となった白い廃墟のみで、生存者は発見できず、物資も何もかもが白い灰に――。
報告書には諦めとも思える記述が羅列れさていた。
そして内陸部への調査は困難を極めた。
緑豊かで豊穣だった土地は見る影もなく、白い砂漠と化し、昼間は灼熱の太陽が、夜は急激に気温が下がる。
過酷な環境のなか、食料調達は難しく、持参した戦時糧食で調査は続行されていた。
幸い、町や村の廃墟の中でも、井戸水だけは汲み上げることができた。
それは、地下深くまで影響が届いてない証拠だった。
とはいえ、地下一階、二階程度では、滅びの光の影響を免れなかったようだ。
地下室を見つけても白い砂で埋まっており、生存者は無かった。
人間や家畜はもとより、鳥や虫、植物、魔物の類いさえ、初めから存在しなかったかのように、綺麗さっぱり消えてしまったのだ。
白い塩(正確には灰のような物質で、塩の化合物ではないらしい)だけを残して。
燃えたわけでも、溶けたわけでもない。
あの日、『滅びの光』に触れた存在が、忽然と消失した。
文字通り跡形もなく「消えた」のだ。
こんな事があるのだろうか?
「……魔法学者たちは何て言っている?」
存在自体が世界から消失してしまうなんて事が。
「我が領の高等学舎に在籍する魔法学、歴史学の客員教授は十名ほどにすぎません。彼ら学術者連の分析によれば、既存の物理現象ではない、と。つまり『滅びの光』は魔法による何か特殊な現象で、この状態は通常の科学では説明がつかない……と」
アフェリア女史は報告に一瞬の躊躇いをみせた。
わからない、といっているのだ。
世界が消えた。
ミーグ領を残して、忽然と。
その事実だけが重くのし掛かった。
「……俺たちのほうが、取り残されたんじゃねぇのか?」
ふと伯爵が呟いた言葉に、アフェリア女史がハッとした表情になった。
考えてもみなかった。
思いもよらなかった。
世界が消えたのではなく、自分達が残されたかもしれない、なんて。
世界から取り残されてしまったのではないか……? そんな恐ろしい更なる絶望的な可能性に気づいてしまった。
「でも、そんな……! 世界は、どこに消えたというのですか……!? 私たちは、この……白い砂漠の中で、蜃気楼のように……漂うしかないなんて」
珍しく感情を露にし、アフェリアは涙をこらえられなくなった。ミーグ伯爵は立ち上がり、震える肩をそっと抱き締めた。
「泣くなよ、俺のざれ言だ」
「このままでは、みんな、やがて……滅んでしまいます」
「そうかな? 俺はそう思わん。なんとかなる。なんとかするさ、俺が。いや、みんなで。なんたって、ここは、もともと捨てられ、忘れ去られた最果ての地。いままでだって、自分達で何とかしてきた、ミーグの地だ!」
「ミーグ様……」
「アフェリア、だから泣くな。美人が台無しだぜ」
と、ドタバタと廊下を走る音がして、ドアがノックされた。
はっとして身を離し、気まずそうに顔をかきながら、「入れ」と声をかける。
「緊急報告です……!」
兵士の一人が慌てた様子で報告を持ってきた。
「なんだ、どうした」
「大陸調査隊、第6班からの連絡が、途絶えました!」
「なんですって!?」
「緊急魔法通信を、海上から支援していた調査船が受信……! 謎の、黒い魔物に襲撃されている……との音声通信を最後に、以後、連絡がとれていません」
「黒い魔物……!? 何もいなかったはずじゃ……!」
「爆心地で、地獄の釜の蓋でも開きやがったか?」
ミーグ伯爵の言葉に、アフェリアはキッと、今度は鋭い視線を向けた。
「……伯爵様のお言葉は、時に真実を言い当てます。あながち間違ってはいないかもしれません」
「そ、そうか?」
アフェリアはそして、状況から即座に類推する。
生物が生存出来ない過酷な環境での遭遇。
そこで活動できるということは、魔獣ではない。オークなどの普通の魔物の類いでもない。
となると、魔法の力で活動するような、何か特殊な存在であることを意味している。
今時点ではその「黒い魔物」がミーグ領にとって、どれほどの脅威になるかは判断出来ない。
しかし、こちらの存在を知られてしまった。
調査隊は当然、ミーグ領の兵士であり、記章をつけた装備を身に付けている。相手が知性を持たない魔物なら問題はない。
だが、もし何らかの意思が介在していたら?
「魔物の特徴は?」
「数は一体、しかし詳細は不明。黒い怪物としか」
「黒い、か……」
ひっかかるものがあった。
ダークエルフのミスティアという前例がある。あの『滅びの光』の衝撃により、太古より目覚めし存在。
もっと別の「何か」という可能性もあるが……。
「他の調査隊を救助に向かわせましょうか!」
報告をしてきた兵士が進言する。小さな領軍だ、友人や顔馴染みが参加していたのは想像にがたくない。
「いやダメだ。調査隊が全滅したのなら、他の調査隊が向かったところで同じことだ」
武装していたとはいえ対処しきれない、想定外の力を持った危険な敵なのだ。
「では……」
ミーグ伯爵は苦渋の決断を下す。
生きているかもしれない部下を見殺しにすることになる。しかし、更なる被害を出すわけにはいかない。
「……第六班に近い位置に展開している調査隊から撤退させろ。もう内陸部には、何もありゃしねぇってことは十分わかった。しかし爆心地から距離の遠い、沿岸沿いを進む調査隊は警戒を密にしつつ、調査を継続だ」
「了解、各調査隊に伝令!」
兵士は敬礼し、再び駆け出した。
「ご英断かと」
「くそ、世界が消えて、次は地獄の使者だと……? 勘弁してくれよ」
ミーグ伯爵は握りしめた拳を震わせながら、思わず天を仰いだ。
<つづく>
【作者より】
ひとときの平穏な日常は終わりを告げる。
ラソーニの放った刺客、黒い魔物ガーゴイルが襲来。
迎え撃つのは、修行を終えた魔法師ライクル君と、ディーユの魔法師チーム!
次回、「襲来、闇の眷属」
お楽しみに!




