暖かなお日様の下で ~コロの目に写る景色
◇
草と土の匂いがする。
とても優しくて、懐かしい匂い。
お日様の光がまぶしくて、とても暖かくて全身がぽかぽかする。
犬耳の少女――コロが草地の上を軽やかに駆けてゆく。細くしなやかな手足を思いきり動かして。風になびく栗色の髪、そして髪飾りのように揺れる両の耳。
肺一杯に新鮮な空気を吸い込んで、走る。
身体や顔をすり抜けてゆく風が心地いい。
「コロにゃ、こっちに蹴るにゃ!」
「え、えいっ……!」
やっと追いついたボール。
古い布を丸めて幾重にも紐で縛った玉を、ボールと呼ぶことを今日はじめて知った。
転がる玉を爪先で止め、真芯を捉えるように脛で蹴飛ばす。すると、ぽーんと青い空にボールが舞った。
なにこれ、気持ちいい……!
「コロ、上手いにゃ」
「いいの? 今のでいいの!?」
「いいにゃ……っ!」
放物線を描いて飛んでいったボールが、ずっと向こう側にいたミゥの元へ。ミゥは落下地点を予測し、走り込んでいた。
今度は猫耳少女のミゥが軽くボールを蹴りかえす。
「えいっ」
「わ、わっ……!?」
広い草原で、白いボールを追いかける。
こんな遊びをしたのもはじめてだった。
「コロにゃ! いったにゃ!」
「あっ、わわっ……!」
ボール遊びを教えてくれたのは、友達のミゥ。
コロよりもずっとすばしこく、動くことが大好きな女の子。パープル色の艶やかな髪と、ピンっと立った猫の耳がとても可愛い。
だらんと垂れて、ゆらゆらする自分の耳は好きじゃなかった。孤児院ではよく引っ張られて、痛くて泣いたっけ。
でも、ディーさんは「可愛い」と言ってくれた。
アイナさんも「耳飾りをつけたいな」と優しく触ってくれた。
「えいっ!」
ボールを蹴飛ばして、走る。
こんなふうに思いきり走ったのは、いつぶりだろう?
ううん。
走ったことなんて無かった。
いつも何かに怯えて、部屋の隅で縮こまっていた。
隠れて、目立たないように。
叩かれないようにと、そればかり考えて。
大人はみんな怖くて、痛いことをする。
目立つと怒鳴られて、殴られる。
怖い、嫌、痛い……。
ずっとそんな日々を過ごしてきた。
でも、あの日――。
痺れた腕が動かなくて、洗濯物が上手く洗えなくて。水と洗剤が傷に滲みて、涙が出た。
いっぱい叱られて、叩かれて。もう、どうしていいかわからなくて、痛くて目の前が暗くなった、あの時。
ディーさんが助けてくれた。
信じられなかった。
……どうして?
そっと手をさしのべてくれた事が、最初はただ疑問だった。
自分なんかを助けたら、この人までひどい目に遭うんじゃないかって、すごく怖かった。
けれど、ディーさんはすごい魔法使いだった。
とても綺麗な、夢のような魔法で助けてくれた。
行くところが無いんだ。
いじめられて、追い出された。
一緒に逃げようか、どこか遠くへ。
そういって、ディーさんは優しく微笑んだ。
あれから、夢のような、いろいろな事があった。
怖い怪物に襲われたり、世界に恐ろしい異変が起こったり。
やがて、長い船旅の果てにたどりついたこの地で、ようやく安心して眠ることができた。
もう一人じゃない。
ディーさんが側にいてくれる。
ミゥもアイナさんもいる。綺麗なお姫様も、雷を落とすすごい魔法使いのお兄さんもいる。
それと、不思議な友達もできた。おとぎ話に出てくる日焼けしたエルフの子。怖い魔物とお話ができる。
いつのまにか、たくさん、たくさんの人たちに囲まれていた。
嬉しい。楽しい。そして、温かい。
身体だってもう痛くない。
膿んでいた傷も癒え、沢山あった青あざも、ズキズキする痛みも消えた。
優しいディーさんが、みんな癒してくれた。
美味しいご飯も、暖かい寝床も、全部いい匂いがして、とっても嬉しかった。
撫でてくれる手は、誰よりも優しくて好き。
目を見て話しかけてくれる眼差しが好き。
心配そうに気遣ってくれる声が、好き。
だから、いつか。
ディーさんにお礼をしたい。
嬉しいという気持ち、楽しいという気持ち。それに好きという気持ちを教えてくれたことを。
ありがとうって、言葉で伝えても足りないくらい、感謝しているから。
とても大きな「ありがとう」を伝えたい。
いつか――きっと。
ボールが転がってゆく。
思いきり走って、追いかける。
と、向こうに人影が見えた。
ボールを足で止めたのは、同じ年ぐらいの男の子たちだった。
三人の少年たちと、目が合う。
――町の子だ……。
わんぱくそうな顔つきの、赤毛の少年。それと友人たちだろうか。転がっていったボールを踏みつけて、こっちを見ている。
「あ……」
コロは立ちすくんだ。
怖い。と思った。
「え、犬の耳……?」
「ばか、半獣人だよ」
「あ、尻尾がある!」
逃げなきゃ……。
酷いことをされる。嫌なことを言われる。
でも、
「おーい、こっちだにゃ!」
後ろからきたミゥが叫んだ。
手をふって、ボールを蹴飛ばせと、身振りで示す。
「えっ、あっちは猫耳だ……!」
「す、すげぇ!」
「おりゃっ!」
赤毛の少年がボールを上手く蹴り返した。
それはコロの頭上を越えて、ミゥの足元へ。
「上手いにゃ! いっしょにどう、にゃっ!」
ぼぅん、と再びボールを蹴り返すと、三人の少年たちは目を瞬かせ、そして小さく頷いた。
「あぁ。いいよ!」
「なんか、すげぇ、走るの早っ!」
「にゃはは! ほれほれっ」
男の子と互角、いやそれ以上にミゥは素早かった。
猫の尻尾がひゅんひゅんと、男の子たちの間をすり抜ける。
ボールを奪い、コロにパスをする。
「コロも!」
「う、うんっ……!」
固まっていたコロも、再び走り出した。
下手くそで上手く蹴れないけれど、走るのは遅いけれど。
自然と笑みがこぼれた。
「あーっ、くそっ」
「いいなー、しっぽ」
「オレもあんなケモノ耳がほしい」
日が暮れるころ、男の子たちと「さよなら」をして、コロとミゥは家路についた。
お腹がペコペコだった。
疲れたけれど、なんだかとても気持ちいい。
今日のこと、ディさんに教えなくちゃ!
そう考えると、コロの尻尾は自然とふりふりと揺れ動いていた。
<つづく>




