新しい暮らしと安らぎのひととき
◇
ミーグ領に来てから数日――。
未曾有の大災害、そして混乱と戦いで幕を開けたミーグ領への旅は、ひとまず終わりを告げた。
マリアシュタット姫御一同として歓迎を受けた翌日、全員がミーグ領へ受け入れてもらえることになった。
兵士や魔法師はそれぞれが持つ技能により、新たなる役割を与えられた。
アイナは現状のままマリア姫の近衛騎士として。
猫耳少女のミゥは見習い兼、側付きという肩書きを得た。
ディーユはミーグ伯爵の居城で「雇われの魔法師」として再出発。
それはつまり「戦闘向きではないが、時と場合により汎用的に動ける便利な魔法師」として、宮廷魔法師に近い権限と役割を与えられたことを意味していた。
コロは居城で給仕となった。パートタイマーなので厨房が忙しい時間帯、あるいは清掃の時間だけ働くことになる。
ライクルは類希なる雷撃魔法を評価され、ミーグ伯爵領軍へ移籍を果たした。
「姫様の側付き魔法師のままじゃダメなんですか!?」
ライクルは泣きわめいていたが、ミーグ伯爵軍の屈強な戦闘魔法師(?)たちにガッチリと両脇を抱えられ、隣の軍の建物に引きずられていった。
これから軍属の戦闘魔法師たち数名と、厳しい連携訓練の日々が始まるらしい。
こうして、ディーユとコロの新しい生活が始まった。
昼間は二人ともミーグ伯爵の居城で働く。
コロはすこし時間が短いので先に帰る。ディーユも夕方になり仕事が終われば、新しい家に帰る。そんな具合に。
「ディーさん、二階の掃除、おわったよ」
「ありがとうコロ。こっちも……まぁ、こんなもんだろ」
「むー? あまり変わってない」
「掃除は苦手なんだよ」
キッチン担当のディーユが苦笑する。
「コロにまかせて」
エプロンをつけ、頭にスカーフを巻いたお掃除モードのコロが、ディーユからタワシを奪い取る。そして、キッチンのシンクをタワシでごしごしと擦り洗い始めた。
ディーユも洗ったつもりだが、あまり綺麗にならないことに業を煮やした様子だった。
与えられた借家は、ミーグ伯爵の居城の裏手に立つ、小さな一軒家だった。
築五十年になるという二階建ての家は、城で働く者の中で、比較的身分の低い騎士や戦士向けだった。家族と暮らす低賃金の借家らしい。
瓦屋根は苔むして隙間から草が生え、ドアや梁の木材の朽ちた風合いが年季を感じさせる。
一階に小さなリビング兼ダイニングキッチン。納戸と小さな書斎がひとつ。トイレと魔法の温水シャワーつき。
二階は寝室がひとつと、小さな部屋がひとつ。寝具は備え付けだが、シーツやら一式は城から支給された。小部屋のほうは子供部屋か納屋に使う広さだろうか。
とても小さな家だが、二人で暮らし始めるには十分なひろさがあった。
「……コロは働き者だなぁ」
「働かないと、ご飯、もらえないの」
「はは、耳がいたい」
コロは何か思うところがあるのか、真剣な面持ちでぎゅっと力を込めてシンクを洗っている。
出会ったばかりの時は、瀕死の仔犬のような感じだったが、怪我や傷も徐々に癒え、日を追うごとに血色もよく、表情も明るくなってきた。
ディーユも魔法師としてミーグ領に招き入れてはもらったとはいえ、仕事をもらって報酬を得なければいけない。
第二聖都の宮廷に居た頃とは違い、食堂で無料飯が食えるわけではないのだ。
働かざる者、食うべからず。
金銭の管理をし、食料品や日用品を買い、自炊し、自分達で暮らさなければいけない。
だからこそ、拙いながらも家事全般の経験があるコロの存在は、とてもありがたかった。
「ふぅ、これでいいかな」
「俺がやるより何倍も綺麗になった。さすがコロ。いいお嫁さんになるな」
「……っ! もう」
ぼふ、と顔を赤くするコロ。
頭を撫でると、尻尾がぷりぷり動く様が可愛らしい。
「そうだ、今夜の飯の買い出しもしないとな」
「うんっ」
何から何まで自分たちで準備しないといけない。これはこれで新生活という感じがして悪くない。
いろいろな事がありすぎて、不馴れで、大変なことばかりだ。
それでもディーユとコロ、二人の暮らしがようやく、形になりはじめていた。
ドアを開け外に出る。
陽は傾き山並みの向こうに沈みつつある。
これから夏を迎えるミーグ領だが、山岳地帯に分類される気候なので夜は気温が下がる。
薪は必須だし、暖炉の火も絶やせない。
玄関を出ると、十メルテ四方ほどの前庭がある。しばらく使われていなかったらしく荒れ果てている。半分は家庭菜園のようだが草だらけだ。庭には他にも果樹が二本ばかし植えてあるが、どちらも枯れかけていた。
世界的に起きている異変に起因するものだろう。
土中の必須元素が減少し、作物が育たない。木々が枯れ、木の実も少なくなる。だから森で暮らす野獣や、魔物の一部が人間の領域を侵すようになる。
それが先日のダークエルフの少年――ミスティアが港町を襲撃した理由だった。
「……この木は、なんだろうか」
桃か、梅か、アンズか。そんな葉に見えた。
ディーユは庭木に手をかざし、魔法を注ぎ込んだ。
――枯死再想
ほとんど枯れていた果樹に生気がよみがえった。若葉が芽吹き、つぼみが膨らんでゆく。
本当なら、今年の春先に咲くはずだったであろう桃色の花が、弾けるように咲いた。
「わぁ、ディーさん凄い……!」
コロが目を輝かせる。
「まだまだ」
初夏のはじまり。青い果実が育ち始めるころだ。
魔法力を調整し、花が散った後に小指の先程の実に育てる。
「なんの実?」
「たぶんこれは、プルーンかな」
「楽しみ、ジャムにしたい」
「あぁ、できるとも」
あとは自然に任せよう。青々とした葉を繁らせ、その間に果実を実らせた庭木に見送られながら、ディーユとコロは近所の商店街へと向かう。
コロの小さな手を握り、二人で歩く。
賑やかな商店街は災害など無かったかのような日常に満ちていた。
空が赤々とした不吉な夕焼けに染まってゆく。
未曾有の大災害、世界を覆い尽くした光と崩壊という悲劇の全容は、未だに解明されていない。
しかし、港町ナホトカ襲撃の首謀者、ダークエルフのミスティアからもたらされた情報によれば、事態は絶望的だ。
『滅びの光』によって世界の終焉が訪れた。
故に、伝説の究極魔法生命体、ハイ・エルフたちが目覚め、世界を捨て、新しい世界へと旅立った。
その余波で、最果ての地で破棄されていた自分も目覚めた。ハイ・エルフを創るための試作品に過ぎないダークエルフは、この地で朽ち果てる運命だった、とも。
それが、ミスティアがディーユ達に語ってくれた「知っていること」のすべてだった。
――第二次魔導災害。
そう呼称されることになった未曾有の天変地異。
ミーグ伯爵領だけが偶然にも、幸運にも、その悲劇から消滅を免れたのか。
あるいは他にも同じような土地がいくつか存在するのか。
海岸線を巡る調査船が、明日でにも出港する。
陸路では軍の一部が南へと向かい、状況を調べている。
解明は彼らからの知らせを待つしかない。
ようやくたどり着いた地で始めたばかりの新しい暮らし。ディーユたちの生活の営みは、始まったばかりだ。
「コロ、今夜はシチューでいいか? 鶏肉が安いし」
「いいよ。大好き。なんでも好き」
「好き嫌いがなくていいな」
変容してしまった世界のにおい。
灰のような、冷たい砂のような。
コロはディーユの手を握りながら、密かに願う。
神様、もう少しこのままでいさせてください――と。
<つづく>




