魔物の王 ~ダークエルフのミスティア
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「――首謀者の名はミスティア。年齢は九百歳で性別は男。北部の森林に存在する遺跡の地下で、千年近く眠り続けていた……と自称するダークエルフです」
ミーグ伯爵の執務室で、アフェリア女史は手元の手帳を読み上げた。革表紙の手帳には、几帳面な字でびっしりと様々なことが書き込まれている。
テーブルの上では紅茶が湯気を立て、午後の日差しが室内を舞う塵をキラキラと輝かせている。
「うーむ。本当なのか?」
「マリアシュタット姫に同行された魔法師、ディーユ殿が尋問に立ち会いました。少年が口にしていたのは、間違いなく太古の特殊なエルフ語だとの事でした」
「なるほどな。それだけでは根拠としては弱いが」
「ご心配なく。性別はこの目で確認しました」
キラッと眼鏡を光らせる。
アフェリア女史とアイナは尋問の際、「念の為」性別を確認した。
暗器を隠していないかを確認するといって、ズボンを剥ぎ取ると、実に可愛らしいアレが股間に付いていたのだ。
「そこはいいんだよ……」
ニヤつくアフェリア女史に、ミーグ伯爵は呆れた様子で首を振る。
「こほん。失礼しました。実は尋問の際、隣室で我がミーグ領随一の魔法師長老――博識のギャラリア殿による真偽判定の魔法も仕掛けておりました。その結果、ミスティアは『嘘はついていない』という判定となりました」
そこで晴れてダークエルフのミスティアは食事にありつけた、という。
「それは、どちらもということだな」
「えぇ」
静かに、アフェリア女史が首肯する。
彼女の手帳には、ディーユやライクルといった魔法師の名前に加え、騎士アイナ、更には半獣人の従者たちについても記されていた。
実は、港湾襲撃事件の首謀者ミスティア尋問と並行し、密かにマリアシュタット姫が連れてきた面々についての身元調査も行われていた。
非常時だからこそ、信用のおけない人間は受け入れられない。
マリアシュタット姫が連れてきた人物たちとはいえ、可能な限り、人物像を見極めておく必要がある。不要なトラブルや争いを起こさぬために必要なことだからだ。
それがアフェリア女史のもう一つの役割だった。
ミーグ伯爵の秘書兼政務官という表の顔。その裏では諜報部のトップ、という裏の顔も持っているのだから。
領内で問題を起こすような人物ならば、適当な理由をつけて追放するつもりだった。
だが、それは杞憂だった。
彼らは少なくともマリア姫を慕い、忠誠心に篤く優れた資質を持った人物だった。
更に、ディーユという魔法師についての情報は、マリア姫が全幅の信頼を置く執事長、ジョルジュによりもたらされた。Dランクの魔法師として不遇な扱いをうけ、王宮を追放された。しかしマリアシュタット姫を聖都から脱出させる際、窮地から救った功労者でもあるという。
原因となった『植物を操る』魔法は、アフェリア女史が知る限り、かなり稀有な魔法能力だ。過去に同様の魔法を使う魔法師など聞いたことがない。
植物を成長させ、花を咲かせる。
更には結実させることも出来るという。
使い方次第では食糧難を解消する手助けとなるだろう。
ミーグ伯爵もその力に興味を持ち、高く買っている様子だった。
もうひとりの魔法師、ライクルも同様だ。魔法の精度と連射能力に難が有り、Cランクに甘んじているが、攻撃力については即戦力として期待される。
「で、アフェリア。お前はどう思う?」
ミーグ伯爵の言葉に、秘書兼政務官のアフェリアはメガネの鼻緒を指先で持ち上げる。
「双方とも、信用してよろしいかと」
マリアシュタット姫が連れてきた面々は、問題ないと思われた。
そしてダークエルフの少年も、動機は単純。犯した犯罪行為はさておき、自白そのものは信用できる。少なくとも「嘘はついてない」ということであれば。
「あの少年は、伝説級にレアなダークエルフで魔物の王……ってか」
「断罪し、処刑いたしますか? あるいは見世物にでも?」
その言葉にミーグ伯爵は視線をわずかに鋭くした。
「人材は大事な資産だ。食い扶持は増えても、人材は多く、才能も多様なほうがいい。特に、こんな非常事態なら尚更だ」
「かしこまりました」
「ダークエルフは殺さねぇで懐柔しろ。能力を活用できりゃぁ、なお良しだ」
「仲間がおらず、身寄りが有りません。彼には温かな食べ物と寝床を与えましょう。居場所と役割を与えることで、懐柔できる可能性は高いと思われます」
「方法は任せる。そして北部の魔物共を平定、大人しくできりゃぁ港の被害は帳消しだ。上手く使えば魔物でさえ、我が領の戦力になるかもしれねぇからな」
「面白いお考えですが……。それならば私めに一計が。ディーユという魔法師と、ダークエルフの少年王。両名を北の森へ向かわせます。信用と忠誠心を試す事ができますし、上手くいけばお考えどおりに魔物の平定が出来ます。失敗しても……」
拒否はできまい。
行く宛など無いのだから。
アフェリアは計算高く思案する。
「人を駒のように扱うのはいいが、人材は失わねぇようにな。この街の防衛隊から、一個中隊を同行させろ」
「交渉が失敗したら……殲滅ですか」
ダークエルフが裏切り、逆に魔物を率いて反転攻勢してくる可能性は否定できない。
だからこそ最初に懐柔し、味方に引き入れる必要がある。
「そうなれば被害が出る。だが、上手く事が運べば得るものは大きいぜ」
「……わかりました」
アフェリア女史はミーグ伯爵に一礼をした。
「ここ数日、想像を超える事ばかりで頭痛がしやがる」
はぁ、とミーグ伯爵はソファに身を沈めた。
と、コンコンコンとドアがノックされた。
執事長ジェルジュの声がして、マリアシュタット姫がミーグ伯爵にお会いしたい、と告げる。
「マリアか、遠慮なんてしなくていいぞ」
ミーグ伯爵の声に、アフェリア女史がドアを開け、執務室に招き入れる。
するとマリアシュタット姫は室内を見るなり青い瞳を丸くし、呆れた様子で微笑んだ。
「叔父様、二日酔いですか?」
「うぅ、バレたか? 勝利の美酒が美味くてな……。昨夜は飲みすぎたようだ」
部屋のソファの背もたれに身を預けたミーグ伯爵が、気だるげな笑顔を作る。
濡れたタオルを頭に乗せ「あぁ頭いてぇ」とつぶやく。
「お酒はほどほどに。お父様もそれでお身体を悪くしましたから」
「姪っ子にそれを言われると弱いぜ」
ミーグ伯爵の向かい側に、マリアシュタット姫が腰を下ろした。
青いシンプルなドレスに着替えた姫は、叔父であるミーグ伯爵の居城に居候させてもらうことになった。
単なる家出であったはずが、事実上の亡命――。
未曾有の天変地異により、第ニ聖都の状況も不明となってしまった今では、ここが唯一の拠り所となっていた。
ミーグ伯爵とは血の繋がった親戚であるうえに、他の王侯貴族たちとの連絡も付かない今、直系の親戚として保護するのは当然だった。
叔父のミーグ伯爵にとっては可愛い姪が転がり込んで来た事は、純粋に喜ばしいこともである。
領民は異常な天変地異に不安がっていたが、国民に広く知られた第三王女、愛らしいマリアシュタット姫が入領されたのは、明るいニュースとなるからだ。
「ふふ、伯爵もかたなしですね」
「マリア姫のご心配はもっともでございます。先王様の酒豪ぶりを見て、心を痛めておりました故」
アフェリア女史はマリア姫の側に立った老紳士、ジェルジュと視線を交わす。メガネの鼻緒を持ち上げる。
港に『希望の方舟号』が入港すると同時に、状況を見極め勇敢な判断を下したのは他ならぬマリアシュタット姫だった。
近衛騎士アイナと兵士数名、それに魔法師二名という少数精鋭を素早く上陸させ、港町ナホトカの窮地を救う活躍を見せてくれた。
何よりも最大の功績は魔物の群れを率いていたダークエルフを捕縛したことだった。
本来ならば勲章ものだが、混乱した状況下、そこまでの褒美は用意できなかった。
ミーグ伯爵は代わりにと心づくしの歓迎の宴を開いた。
港町ナホトカの危機を救った面々に直接謝意を示し、厳しい食糧事情を鑑みつつ宴を催し、マリア姫の歓迎と仲間たちの功績を讃えたのだ。
「ところで、マリア。相談だが、魔物を率いていた少年王の取り調べが終わり次第、北の森へ向かわせようと考えている。魔物との交渉が出来るかもしれねぇ」
「ダークエルフさんを? 魔物との交渉? すごいお話ですが。私に相談とは?」
「お前の魔法師、ディーユ殿を同行させたいのだ」
「ディーユを、ですか?」
マリアシュタット姫が驚く。
「『植物を操る魔法』と、少年王の持つ『魔物を率いる力』のシナジーに期待しているんだ」
「……なるほど。では、私も同行いたしますわ」
「えっ!?」
アフェリア女史は思わず手帳を落としそうになった。
何事も計算通りには行かない。
「それは危険です!」
「大丈夫です。心配はいりません。あの子……ミスティアは寂しいだけなのです。だって、もうコロやミゥと友だちになったみたいですし」
「とも……だち? もう?」
計算外のことばかりで、アフェリアはメガネが曇るのを感じていた。
<つづく>




