最果ての地、ミーグ辺境伯領
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「ミーグ様、これが備蓄物資のリストです」
「おう、ご苦労」
書類の束を受け取ると、パラパラとめくりながら顎の無精髭を撫でる。黒地に銀の縁取りの貴族服を着崩した男――ミーグ伯爵は、青い瞳を細め眉根を寄せた。
「……ふむ? 酒が足りねぇなぁ」
無造作な感じに纏めたダークブラウンの髪、眦の下がった甘いマスク。ラフな雰囲気を漂わせた中年貴族ミーグ・フォンブリュウは、辺境伯として長年このミーグ領を治めてきた。
「エール酒の不足は兵士の士気にも関わりますが、当面の備蓄は大丈夫かと存じます。数ヵ月後には新酒の仕込みも始まります。しかし蒸留酒は貴重な医薬品として消毒用にも用いられます。ですから今後はミーグ様も飲用はお控えください」
「そりゃぁないぜ!? アフェリア、領主権限でちいっと回してくれねぇか?」
「そうはまいりません」
女性行政官のアフェリアがピシャリとはね除ける。
メガネの鼻緒を指先で持ち上げ、手元の資料をめくる。キリリと後ろでひとつに結わえたシルバーグレーの髪も美しく、かなりグラマラスな美人。それでいて知的な表情、テキパキとした仕事の様子が有能さを物語っている。
「……固ぇなぁ」
「おほめに預かり光栄ですわ、ミーグ伯爵」
「やれやれ」
ぼりぼりと頭をかき、溜め息を吐く。
とはいえ。
「ったく、面倒なことになりやがったぜ」
ミーグ伯爵領の中心都市、レザトゥス。
町の中央にある伯爵の居城――といっても辺境伯の屋敷としては平均的な、質素で実用的な館――の執務室で、秘書と行政長官を兼ねたアフェリア女史と対応に追われていた。
昨夜、第二聖都との連絡が途絶えた。
信じられないことに広大な大陸を支配していた千年帝国が忽然と、あまりにも唐突に消えてしまった。
突如として未知の巨大災害が発生したのだ。
通信網の断絶、山脈の向こう側、隣接領の小都市や村などの消滅――。
確認できたのはそこまでだった。
広大な針葉樹林地帯である隣接領ツングーシア伯爵領は、一夜にして更地になっていた。
早馬による偵察隊が水晶珠による映像中継を通し、唖然とした様子で報告してきたのは、わずか二刻前のことだ。
あまりにも突然で想定外の事態。
世界が一夜にして消滅した。
しかし、ミーグ領は幸いにして大半が無事だった。
大半、というのは南部の港や村々と連絡がつかず、偵察隊により消滅したとの報告があったからだ。全滅、村も港も、山脈の南側は壊滅状態なのだ。生存者の探索は続けられているが、今のところ報告はない。
高い山脈により隔てられた僻地――ミーグ。
帝国の中枢からもっとも遠い「最果ての地」、あるいは「追放された者たちの流刑地」などと、貴族たちが揶揄した土地であったことが、今回ばかりは幸運だったのか……。
そんないけすかない王公貴族たちとも音信不通。誰一人として連絡が付かなくなってから、既に半日が経過していた。
それに、気がかりなことがもうひとつ。
姪のマリアシュタット姫のことだ。
『不本意な婚姻を蹴ったら幽閉されました。なので……いまから家出をします!』
魔法の通信具でマリアシュタット姫の脱出計画を聞いたとき、ミーグは晩酌の酒を噴いた。
だがすぐに「血は争えねぇな」と笑った。
かくいうミーグ伯爵も、その口だからだ。
愛のために全てを捨てた。
先代の国王陛下の実弟であるミーグは、本来の爵位は公爵。王位継承権もあったが、全てを放棄し伯爵の称号を得た。
真の愛を教えてくれた一人の女性のために。
し烈な王宮での王位継承争いの最中、ミーグ伯爵はあらぬ疑いをかけられ、王公貴族からの激しい中傷を受けた。そして半ば追放される形でこの地に封じられた。
最初は荒れたミーグだっが、ある女性との出会いが運命を変えた。
先代のミーグ伯爵の娘、エルミナ。
儚い美しさを持った、白ゆりのような女性だった。しかし病弱で、余命も知れない身の上であった。
ミーグとエルミナは恋に落ちた。
やがてエルミナへ婚姻を申し入れたミーグだったが、当然のように王宮側は反対した。だから爵位も王位継承権も要らぬと、王宮に伝え連絡を絶った。
――バカですか、貴方は……。
エルミナは半ば呆れながら涙を零し、けれどとても嬉しそうに微笑んた。
二人はそして深く愛し合った。
だが、幸せな生活は永くは続かなかった。
病の進行は止められなかった。
それでも最後の最後までミーグは最初の誓いの通り、エルミナと一緒にいた。
――幸せでした、と彼女は微笑んだ。
だから姪のマリアの気持ちが理解できた。
望まぬ婚姻、政略結婚などでは幸せになれない。本当に愛する者と結ばれるべきなのだ。
脱出の手引きも協力も惜しまなかった。
昔はまだ幼くて、愛らしかったマリアシュタット姫。ミーグは王宮にいたころ、よく遊んであげたものだ。
ここは田舎だが、旨い飯なら食わせてやれる。
しばらく頭を冷やすにはちょうど良い土地なのだから。
「……船との連絡は?」
「ナムトハ港からの連絡はまだありません。南端のボコハラス港は壊滅したとの知らせがありました。もし、そこに立ち寄っているとき災厄に巻き込まれていれば……消滅した可能性も」
「くそ……っ」
どうすることもできない。
だが希望はある。
南端のボコハラス港より北の領域は無事なのだ。
それに、沖合いを航行していた遠洋漁業の船が、今朝がた北端のナムトハ港に無事に戻ってきたとの報告もあった。
「……当面は、領民は生活を維持できます。物資はやがて不足しますが、あらゆる産業や工芸を育成、小規模ながら用意してきたことが役に立つことになろうとは」
「こんなこともあろうかと、ってぇのがうち嫁の座右の銘だからな」
「……奥様の」
アフェリアはほんの少しだけ複雑な表情を浮かべた。ミーグ伯爵は今も亡くなった奥様を愛している。
ミーグ伯爵の妻、エルミナはとても賢い女性だった。
自分は病弱であまり働けない代わりに、色々な勉強をし、経済や暮らし向きを良くしようと努力し続けていた。
さらに、生きていく上で必要な知恵や、支配する側の心構え、先見の明といった知識による福音を、当時は粗暴だったミーグへと与えてくれた恩人でもある。
ミーグ領は辺境の地。
大都市圏から離れ、南にそびえ立つアリューカス山脈により、厳しい冬になると半ば外部とは隔絶される土地柄だ。
ゆえに人々は古来より厳しい冬に備え、危機感と感謝の念を忘れずに暮らしてきた。
普段から人々は食料や薪、各種物資を家々で備蓄し、自給自足できるような生活様式が当たり前だった。
備えあれば憂いなし。
それがミーグ領で大きな混乱が起きない最大の理由だった。
「災害の様子は、各自治体、各種ギルドを通じて伝達済みです。しかし領内では今のところ混乱はございません」
「オレ様の言った通りだろ?」
ドヤ顔で執務室の古びた椅子に身を預けた。
「ですね」
アフェリアは、メガネの奥で尊敬の眼差しを向ける。
領民には包み隠さずに伝えろ。
それがミーグ伯爵の指示だった。
衝撃的な災害の被害の情報は、領民たちにも隠すことなく伝達された。
何が起こっているか、詳細はまるで不明だが、少なくとも壊滅的な状況なのは間違いない。だからこそ得られた情報を正確に伝えることで混乱と不安の拡大を防いだ。
無論、親族や知人との連絡がつかず動揺する者は大勢いる。それでも正しい情報があれば、自分に今出来ること、するべきことを冷静に考えることが出来る。
支配者層が何かを隠している、自分達だけ逃げようとしているのではないか? 疑心暗鬼に囚われれば混乱が拡大する。
正しい情報の公開と、領民たちの冷静な対応。それこそが、厳しい冬や災害、未曾有の危機を乗り越える方法です。
エルミアの言葉を、表情を。ミーグは胸に抱く。
「昨年の冷夏の教訓から、備蓄量を例年より多くしたことが幸いでした。他にもリストの通り、城内の備蓄食料、備蓄物資はおよそ半年分は確保されています」
小麦、大麦、大豆。干し肉、酒類。乾物類、干した果物、各種香辛料に薬草。他にも鉄、銅、青銅、真鍮などの金属素材。
建築用の木材は周囲が森林地帯であり供給に問題はない。
森の恵みも多い。季節ごとの採集、狩猟による供給も期待できる。衣服用の布や毛皮類。多くは自給自足が可能だが、どうしても金属類や薬品などは貿易に頼らざるを得ず、不足が懸念される。
「とはいえ、ジリ貧だ。これから夏に向けて気候はよくなる。城の兵士やお前も、みんなで耕作地を増やすしかねぇな。イモとカボチャは好きじゃねぇが……」
「さりげなく私を混ぜないでください。農作業は苦手です」
むー、とミーグ伯爵を睨む。
「そういうな今は緊急時だ。それに……」
「それに?」
「イモでも蒸留酒が造れるんだぜ」
「そこですか!?」
と、そこへ若い兵士が駆け込んできた。
「伝令! 水晶球通信にて緊急伝!」
「どうした?」
「ナムトハ港の北側領域より、魔物の一団が侵入! 豚人間が部族単位で南下しつつあります。数は推定で二百匹」
「ちくしょう、こんな時に……!」
豚人間。
言語疎通が不可能な、低級亜人。
魔獣と同様に、人間の生存圏を脅かす魔物に分類される。
彼らはある程度の知能を持つ生物の群れとして動き、季節ごとに移動する。しかし食料を求め移動するには時期が早い。今回の異変で混乱したのか……。
「主力兵団の千五百名は、現在は隣接領との国境線へと分散配置しています。各地で前線配備中です」
アフェリアが告げるまでもなかった。ミーグ自身が命じた采配だ。調査と被災者の救援に兵士の大半を差し向けた。
それが早速、裏目に出ようとは。
ミーグ領の総兵力はわずか二千。
北の最果ての地は、侵略される事もない。ゆえに最低限の防衛戦力しか維持していないのだ。
「町の自警団は現状維持だ。ほかから集める」
「となると狩猟ギルド、雑用クエストギルドですが……。かき集めても五十ほどでしょうか」
「手数はそれだけいりゃいい。オレも出る!」
「大将が自ら出るのは、愚策では?」
「エルミナみたいな事をいいやがるぜ、いいんだよ、今は非常時だ」
ミーグ伯爵は不敵に微笑むと立ち上がり、装備を整えた。
◇
その頃――
ディーユたちの船は、ナムトハの港へ近づきつつあった。
「おぉ、港だ……!」
「見ろ! 人がいるぞ……!」
「無事だ! 港は生きているぞ!」
どぉおっ! と船内から歓声があがった。
<つづく>
【作者より】
ついに到達したミーグ領。
そこでディーユたちは魔物との闘いに遭遇、
防衛戦に加勢することに……!
おのたしみに★




