第49話: 砂塵と蜃気楼
岩だらけの砂地をえぐって、大きな黒い球体が長く尾を引く小さなクレーターを作っていた。大きいと言っても十メートルほど。完全な球体でなく扁平な事もあって、流れ込む砂に半ば埋まっている。
周囲はインクを流したような静かな闇、パチパチと赤熱していたギザギザの岩の縁も、流れ落ちる砂の音も鎮まり、ひたすら静寂な闇だけが残った。
シルビアナには新鮮な体験だった。今になって感覚が研ぎ澄まされるような高揚感が浮かぶが、何の情報もないこの闇で、彼女のタレントは沈黙していた。
緊張の反動から来る高揚感に違いない。こんな作戦後のジャンキー・ハイには、普通反動が来る。自分しかいない現状で作戦は未だ半ば、ハイになっている場合ではない。それでも岩場の窪地から眺める砂漠の夜は、静謐そのものだった。
夜明けに向かう夜空に、いつの間にか巨大な光の塔が伸び上がっていた。やがて、頭上で天空の橋となって横切り始める。偏光の鱗粉渦巻く空に、夜明けより早く氷のリングが光を届け始めた。視覚に情報が蓄積するとギザギザとした岩山の輪郭がスカイラインとなって浮かび上がって見え始めた。
違和感の正体がわかった。…一切の音がない。自分の体内の音だけだ。
生涯の大半を人工の環境で過ごしてきたシルビアナにとって、初めて見上げた砂漠の夜は、衝撃的な印象だった。宇宙空間で見えるより、夜空の宇宙は広くて深い。ここは、何か別の力が支配する知らない領域だ。
いつまでも呆けている訳にはいかない。コクピットで起動できる装置を順に確認し、地図を呼び出すと現在地を推定した。
降下中に、おおよその地形と進入角度を記録してある。
幸い惑星ヴェーダは、降下ウインドウがノルンより数倍緩い。大体の当たりをつけての降下だったが、若干の時間変動を受けただけで、弾かれずにはすんだ。その抵抗により、想定より荒れた砂漠地帯の奥まで軌道が押し込まれたが、航跡を偶然見られる可能性は減ったはずだ。
ヴェーダの管制を詳しく知っているわけではないので、全て推測だ。
クラウドから情報を引き出そうとするが、メニューが煩雑で戸惑うばかり。公団もノルンも直感的にわかるシンプルなメニューがクラウドの表層にあるが、ヴェーダのそれは、全く違って地域かチャンネル毎に個性的な入口が無制限に用意されているようだ。
日が昇り周囲の地面が見分けられるようになった頃、シルビアナは、クラウドから地理を把握する事を諦めた。少なくともファルコンの強行着陸は話題になっていない。墜落と思いたくないが、再度飛び立てないのであれば、墜落かも知れない。
休息したいところだが、船倉と周辺の確認をしなくてはならない。
「ん…。」
コクピットの後方、開かなかった足元のハッチが軽くスライドした。飛行中の扉の歪みは、オーブボイドの振動のせいだったかも知れない。のぞき込むと、直ぐ下のステップに見慣れた愛用のバッグが挟まっている。
…何で階段に…?
頭を下げて奥を見通すと、幼児の入ったカプセルだけが奥の壁に直立していた。中のクローンにも変化はない。
…、いやいや、荷物が無い…。
シルビアナは、たっぷり数秒間固まっていた。
気のせいか、無表情なクローン人形がニヤリとしたような気がする。…いや視覚再生してみたけど、気のせいだ。記憶画像は粗いが、人形は動いてない。
素早く狭い荷室に潜り込んで見回す。改めて見回すほどの空間ではない。淡い照明は壁面発光なので影や物に遮られる事もない、一応、手で探ったが、何もない。
カプセルは、軽く壁面に吸い付いて弱い力場で起立していた。
ハッチは、コクピットの背後だ。飛行中に何度かハッチの解放を試みた。もしかしたら仮眠中か気づかない間に船倉が解放して荷物が流出した…。あり得ないが、他に考えられない。階段のバッグと吸着機能のあるカプセルだけが残った…のか?
イヤイヤ、あり得ないでしょ。でも、確かに自分で荷物を確認した。自分のメンテナンスキットをコッソリ運び込むのは、凄くドキドキした。本番までに部屋を出たのは、その時だけだ。
酷い脱力感に暫く呆然としていたが、あまりの混乱にまとまる考えが無く、タレントのあやふやな反応に気付く事ができなかった。
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さて、ワルキューレさんの呆然とした顔をじっくり見たところで、ナントカナも名前で呼んであげよう。シルビアナ、私の姉さんだ。遺伝子的に同一人物だが、どう見てもよく似た別人です。すでに生物として別人に変化している…と思う。
というか、アレと同一人物というのに抵抗がある。あれは出来の悪い私の姉だ。
シルビアナはかなり経って気を取り直してから、カプセルの私を見定め始めた。
暫く調べてカプセルが開かないと分かると、手甲から電磁ブレード出して…ためらってやめた。それが正解。保護力場がちゃんと働いている状態で、このカプセルは簡単に切れない。
カプセルを持ち上げて、間近に覗き込まれる。それなりの分析能力があるらしく、視覚だけで私が健康な状態にある事を確認できたようだ。
半時間ほど、あらゆる角度からじっくり見物された。
…しまいにゃカネとるぞ! …流石に恥ずかしさが出てきたので、こちらも観察してやる。軽く解析しても、この鈍感な姉さんは反応しない。データ的に進入すればボディが防壁を作るだろうが、そんな事しなくても分かる事が沢山ある。
例えば、外部接続がダダ漏れだ。
帝国製のボディは大した物のようだが、この宇宙艇とのリンクに軍用で対応していない。私とシルビアナは、同じ生体コードを持っている。ファルコンの航行コアは、簡単に私にも従った。
自分で言うのも何だが、大丈夫か?この姉…。
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その姉は、どうやら、私のカプセルを持ってココを離れるか、単独で都市を目指すか悩んでいるようだ。船倉のいろいろを私がライブラリ登録して片付けてしまったので、余裕がなくなったんだと思う。
しかし…、これまで何処とも通信してないけど、まさかアテもなく飛び出した訳じゃないよね。
バッグを取ると船倉のハッチを戻して偵察に出たようだ。ファルコンをロックもシールもしてないので、まわりを高いところから見回す程度だと思う。
その間に、こちらはファルコンを起動していろいろ調べたり登録したりする。振動する程の出力は使わない。姉の諦めたクラウドリンクを大雑把にチェックすると、魔王城とのリンクを重ねて地理データに現在位置をマークする。
魔王城のオペレーターさんを介さなくても自分の位置くらい把握できるが、ヴェーダのクラウドリンクでオススメの使い方について分かる方の指導をお願いした。ローカルなデザインが多すぎてルールがわからない。
意外な所から返事が来た。ショー経由でベラトリックさんが連結してくれた。認証を貰ってアトランティス産業大学のサポートポータルに入ると、精密な地理情報がいっきに具体化した。
もう一つ、ベラトリックスさんは、探検家協会から入れる幾つかのポータルの使い方をリンクで詳細に同期してくれた。仕掛けがあって、ただのアクセスでは、本当に必要な機能を呼び出せないそうだ。大学から得られるのは公式情報で、残りの半分のホントのことを知るためには、こちらの船長たちのリンクなども参照する必要があるらしい。
何でこんなになってるのかと言うと、ヴェーダはそんな自己責任の自由を尊ぶ人達が植民した世界で、不便でも非効率でも生き方として手放せないものがあるらしい。
もちろん、大半の普通の人は、あちこちの自由都市の中で、常識的に満足して生きている。でも、そんな都市を渡り歩いたり、どこにも属さない生き方を選ぶ人達がヴェーダの意思決定に大きく関わっている。
つまり、ヴェーダは公団嫌い自由人の巣窟で、しかも多くの成果で貢献して帝国に影響力がある。公団組織には、なかなか嫌な相手らしい。
ともあれお陰で、姉が戻る前に、最短で情報が得られた。
デカイ砂漠の真ん中で、最寄りの町まで80Kmくらいありそうだ。サイボーグなら数時間で走破できるんだろうけど、あの姉さん、砂漠対応の装備してるかなぁ。…それに、天候情報が解らない。気温、雨量などが砂漠っぽいが、カラブランて天気の名前なのか?
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自分の移動位置は、自動的に記録されている。視覚情報も一定時間残っているので、適当に進んでも迷うことはない。でも、念のためマーカーを残した。この体で残せるマーカーは、16箇所。使い捨てではないが、回収しなければ5日程しかもたない。
カプセル内のクローンは、予想以上に元気そうだ。水や栄養源もカプセルから補給できているのかわからないが、代謝が極端に遅いのかもしれない。見れば見るほど幼くて、オムツからのぞく足の付け根で私の手首ほどしかない。冬眠状態という事もありうる。
冬眠の技術は、祖地が第一太陽系を離れる時代に既に完成していた。
呼び方で勘違いしそうだが、冷凍するわけではない。コロニー船の個人コパートメントは内郭の低重力区画にあって、気密カプセル兼用の一人ベッドが体温や生命活動を極端に低下させる冬眠モードを標準で持っている。
最初の冬眠は、医療施設の専用ベッドに半年ほど入って条件付けをするが、大体の人は、次から自分のベッドで幾つかの薬物を摂取すれば自然に冬眠できるようになる。
カプセルベッドが冬眠環境を維持する限り普通は目覚めないが、体力的に半年から4年以内が適正とされている。ステイシスフィールドなど併用しない限り、これは現在でも変わらない。
従って、移民コロニー船では、ほとんどの乗客が日常的に冬眠して、年の2〜4ヶ月だけ生活するのが普通だった。特に人口密度の高いコロニー船では、こうして活動人口をコントロールしないと維持が難しくなる。単胴コロニー船ニューヨークでは、最大50分の1に市民活動を絞っていた期間がある。
考えが散漫になった。
要するに、クローンが冬眠モードに条件づけられている可能性が高い。成長が遅いわけだ。でも、今は好都合。場合によっては、チャリオット・ファルコンと合わせて後で回収できる。
目的の街の方角はわかる。ある施設の掲示板に、決まった符丁を入れた依頼を張り出す。そうすれば、向こうからコンタクトがあるはずだ。まだ、余裕だが内臓メンテナンスのためにも、早くコンタクトをとる必要がある。
漫然と考えを巡らす間にも、軽快な機動甲冑に身を包んだシルビアナは、赤茶けた岩肌に電磁ブレードで足場を削り乗り越えていった。
周囲が明るく暑くなるにつれ、空気がぶれて遠くが見えなくなる。天空を横切っていたリングも白い影になって、ほとんど見つけられない。
小高い岩の丘から目標を求めても、砂と岩の積み重なる荒地が続くばかり。地平線と角度をざっと計算して、20Km圏内に何もない。
いや、左手方向に微かに海岸らしい色が見える。暑い空気に揺らいでいるが、見つめる間に海岸の光景がハッキリして見える。地理を思い出すと、記憶した降下角計算より随分南に着陸したらしい。なら、海沿いに別の都市がある、迂回した方が安全そうだ。
ふと、後ろに山があるのに気がついた。…前には無かったような…。
周囲と海を再度注意して、特製の目で詳細に調べる。細部を拡大して地平線を丹念にチェックするが、やはり左手の海岸線が有望そうだ。後は、カプセルを持ち運ぶかだが…人の居住区で子供入りのカプセルを持ち歩くのは、目立つだろう。言い訳が思いつかない。プレゼントされた人形とでも…かなり苦しい、やめておこう。
後ろの山が、黒い山脈に成長していた。見ているうちに空の半ばに伸び上がり、暗い影のカーテンのように動いている。風が吹き始めた。
「何だ…これは…!!」
すっかり忘れていたが、王国でも入道雲が水平線から近づいて来て、いきなり王城が雷雨に包まれる事があった。地上には、気象変動がある。失念していた。
これは、話に聞く砂嵐…に違いない。何でも、ひと晩で地形が変わって小さな開拓地など砂の山に呑み込まれたらしい。低い場所はダメだ。丘の上で避難場所を探す。岩陰の窪みに入り込むと同時に砂混じりの空気が打ち付けて、辺りを包んだ。
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シルビアナが岩陰に溜まった砂埃をかき分けて這い出すと、周りは夜になっていた。気温がずいぶん下がって寒いが、リングが輝く美しい夜空が広がっていた。
あたりの地形が一変して、方角がわからない。読み出した行動記録から海岸線の方向を求める。少し戻ってマーカーを確認すれば、検証になる。
何かいる。
索敵モードで見ると、揺れるタテガミとトカゲの尻尾を持った狼の影を捉える。トカゲに近いが、脚が下に向いているので動きが狼のようだ。地上に降りてから、幼少期の絵本の知識ばかりが役に立っている気がしてきた。学校のあった公団コロニーに、勿論オオカミはいない。
両手の電磁ブレードを最大伸ばして辺りをうかがう。狼トカゲは、人ほどの全身をリングの薄明かりに晒したまま、こちらを悠々と見ている。…二頭目、三頭目が合流した。
何も仕掛けてこないので、意外と安全な生き物かと思い始めた時、後ろから生臭い大きな息遣いが飛びかかって来た。
すかさず、右のブレードで切り払うが、それより速く腕に喰いつかれた。下顎と上の牙で挟み込まれると武装が合わない。弾く事ができない。
幸い両腕に武器があるので、硬い頭を反対のブレードで切り裂く、…タテガミと鱗の皮膚を切り裂いたが、致命傷には浅そうだ。後ろにもう二頭いた。長く伸ばした電磁ブレードをメチャメチャに振り回して、間隔を取る。
六頭に囲まれている。武器は両手。ブレードは、打ち出せるがあの身のこなしで当てられる自信がない。両腕が噛みつかれたら後がない。
岩を後ろに、…やっぱり上から来た!
前の狼トカゲから目を逸らさずにブレードで開いた口を貫く。軽く身を避けて、狼の体重でブレードがトカゲの体を斬り裂く。これで1匹。
砂漠の砂は恐ろしく微細で手足の接合部や関節部に入り込んでくる。足元が安定しない。電磁ブレードならシルビアナは、学校の代表戦で常に上位に居たが、砂漠は最低の対戦場所だ。腕の動きが酷く辛い。
幾度かフェイントをいなして、狼トカゲたちは岩陰に消えた。微かな音や息遣いを拾う、まだ近くに間違いなくいる。こちらが弱るのを待つつもりだろうか。
私の体は半分機械だ…、あの大きさの獣が後5匹もいたのでは、食べられる身体が少なくてさぞガッカリするだろうな…。シルビアナは、変におかしくてクスリと笑った。
突然、後ろで岩がはじけ飛んだ。…「グギャン」「ギャン」「シューシュー」
騒がしい獣の吠え声が混じり、ドスン、ガスンと衝撃が響く。
短い大騒ぎの後、また突然静かになった。
小いち時間、息を潜めて身体ひとつで出来る索敵に集中した。周囲に敵影無し。
そもそも相手は野生の獣、敵ではない。これは彼らにしてみれば、狩だ。
獲物らしく、気配を殺して岩陰伝いに現場をのぞくと、砕けた岩や凹んだ地面に狼トカゲが潰れていた。頭がトビちってスプラッタだ。
口を押さえながら部品を数えると、五体分ある。
…ベラトリックスの冒険…知らないの?…絵本の1冊目が砂漠のキャラバン…。
周囲の闇から幼い子供の声がした…ような気がした。
記憶を再生しても音声記録がない。幻聴にしては、やけにハッキリ聴こえた。
残念ながら、士官学校で絵本は教材にない。小さい時、王城で見たかもしれないが、思い出は記憶の底に埋めてしまった。
更に警戒範囲を広げて、シルビアナは、昼間見た海岸線の方へ密やかな移動を開始した。砂埃が精密な手足を汚染している。2度目の夜明けを前に、手足は軋み移動が苦痛になった。芸術品と言えるサイボーグ体の手足は、船内操艦と宇宙での要人警護に特化した物、砂塵まみれの熱風を想定してはいない。
太陽が昇るとすぐさま気温が上昇する。
周囲の岩が照り返す灼熱の中を、応急処置を繰り返しながら日陰を求めて脚を引き摺るシルビアナの前に、黒い扉があった。
岩陰の裂け目の奥に、人がひとりやっと通れるくらいの狭い金属の黒い扉。
よく見ると、銀の飾り文字で《 コフィン カフェ 》と刻まれている。
どれくらい呆然としていたのか、シルビアナは、金の目立つノブに手をかけた。確かに冷たい金属の感触がある。ドアは、軽く滑らかに開き、予想外のベルの音が大きくカランと響いた。
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