第47話: 氷原の月、砂漠の夜
周りは、どこまでも続く氷原。
小高い丘のようにコロニーの残骸がカーブを描いて続いている。
「あ゛りがとーございまずー!」
比較的無事なコーン外殻の上で、マーレは、長い黒髪の女に絡みつかれていた。元が龍だか蛇だけに、振り解けない。
涙や鼻水でくしゃくしゃになってるが、小振りで白い東洋人の顔立ちは、本来美人だろうと思う。今は判らないが、金か赤の猫目だった様な気がする。
朦朧と意識の混濁したまま、コーンの外壁にしがみついている白龍を、マーレが揺り起こした。
大きな蛇に似た頭は意外と軽く、触れた鱗の質感が素晴らしい。興味深く覗き込んで、教えられた名前を呼びながら、ペシペシ叩いてみる。逆鱗があるといけないので、喉下には注意。
「チアキさん!…チアキーサン、クーさんは、無事ですよー!」
蛇とか龍とかの耳ってどこなんだ?、ウロコをよく見ると虹色で綺麗だ…毟ったら怒るかなー、ダンジョン獲物とすると最高級の値がつきそうだ、死んでたら、解体してみようかな…。首都のBBなら言い値で買いそうな獲物だ。
とか、妄想しながら、簡単な船外服でデネブを飛び出したマーレは、海賊達の連絡役らしい幻獣の近くに降り立って意思疎通を図っている。シルキーと監督のレポートがなければ、信じられないところだ。
どうゆう仕組みか、外壁に爪とウロコを立てていた白龍が、シューと縮むと長い黒髪を全身に絡った色白の娘になった。ぴっちりしたパンツの事務員さんスタイルは、公団では珍しくない格好だ。そして、クーから連絡を受けて探しにきたと、言った途端に、この有り様だ。
まあ、すぐ落ち着くだろう。…解体できなかったのが、少し残念だ。
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氷原に半ばめり込んでいた探査船母艦デネブは、最小限の重力場で浮力を得ると、MMドライブで静かに浮上した。船殻を埋めていた氷やアステロイドのカケラを振り落とす。下部船体が10mほど埋まっていたが、奇妙な引力でこれまで浮上できなかった。重力場といくつかの形状の空間場を境界に展開して、船体に貼りつく引力を相殺した。
この氷原は、地下数十メートルで急に何かの引力が強まり、水分子を中心とした様々な元素間の結合力が等比級数的に上昇する。空間場の歪みを解析したキグナス量子電脳によりデネブはなんとか離床できたが、所々に見える大きめのアステロイドを牽引してみてもびくともしない。氷原には、ごく浅く空間場の底がある。
真っ平らに見える氷原で観測レーザーを全周に送り出すと、ある方位を除き光線が戻ってきた。
約二百キロ弱を直進したレーザーが、波長の準位を下げ大きく減衰して反対方向から戻ってきた。三次元地球の表面を二次元地図に書き込んだ状態と同じだ。真っ直ぐ地図の端にあるいて行くと元の場所に戻ってしまう。ひとつ上位次元で空間が閉じている。
おそらく、この平原はビーム径と同じ99kmのディスク状と推定される。B面に回り込んで合計約二百キロ弱の距離は、計算が合う。
氷原に重力があると言う事は、空間に曲率があってレーザーの波長が偏移した。閉鎖空間の歪曲が重力環境を作り、丁度、それが1G。でき過ぎている。意図的に設計されたと考えるのが自然だろう。
感覚的に平面に見えている氷原ディスクの表裏面は、上位次元で表現すると、空間歪曲で閉鎖した球状内面の上下半球を作っていると言える。半空間としては、わかりやすい構造だ。
氷原の材料は、削り取ったノルン地表の氷や暗黒湾のデブリ。空気や氷は、宇宙気流からも大量に暗黒湾に流れ込んでいるので、詳しい成分分析をしないと、氷原の主成分がノルン由来か宇宙の浮遊物かは、判らない。空気は薄いが普通の人間でも生存できそうだ。
それにしても、こんな大きな半空間は初めてだ。外空間との接点、…へその緒を公団に囲まれる前に見つけておきたい。可能性としてディスク中心に何かありそうだ。
マーレには、別の心配があったが、どうやらこの空間は、トーラス宇宙と分離したわけではなさそうだ。誰にも話していないが、マーレの時空転移は、ボイド表面の皇宮旗艦シリウスの情報連結に影響する。
何とか龍女を落ち着かせて、マーレが顔を拭いてやると、やっと普通の娘の顔になった。やっぱり白目が赤く、縦に切れた黒い瞳孔を金の光彩が囲んでいる…ふっと顔に影がさして、普通の大きな黒目になった。擬態する余裕ができた様だ。
チアキは通称で、千白と書いてユキシロと読むのが正しいと、少し落ち着いた女は、自己紹介を始めた。引きずるほどの長髪を後ろに束ね、ペタンと座り込んでいる。何か、いわゆる天然ポイので、マーレは、途中から抱えるようにしてデネブに飛んで戻った。簡易スーツの圧縮空気をフルに使えば、母艦の補助がなくても上空のハッチに届く。
皇宮艦デネブも、ゆっくりとコロニー廃墟の作る月桂冠の輪に入り、氷原に密着しない様に氷構造物を発生して接地した。廃墟は直径3キロ以上あるが、デネブも下部船体が1キロ級の母艦だ、丁度収まりがいい。
綺麗にほぼ円形に分解したコロニー船体は、特にポートブリッジのあった両端が激しく埋没し、その延長上に見える窪地方向から、観測レーザーが戻ってこない。おそらくディスク世界の中心、ロート状に空間が落ち込んで、何かの特異点があるに違いない。
マーレと女がデネブの外殻を抜けて格納ドックに入ると、そこには懸架され、内壁で支えられた公園ユニットがいる。300mのユニットは、デネブの下部船体サイズからすれば、一部区画を使うだけで十分収納できるので圧迫感もない。外壁ミラー開口部を開いて、急造の照明と空気の循環を始めている。
区画ドックですら巨大なデネブ内部空間には、所々に照明が点り、壁のあちこちが窓のように外部を写している。
外の氷原では、全周囲のぼんやりした明かりが陰り始めている。
真上の天中から上空の半ばを覆って、影の三日月が日食の様な「穴」を作って現れた。上空の距離は地表の様に測定できないが、デネブの持つデータにある構造物、影の月に該当するようだ。大きさの計測が大地の氷原と合わない。
氷原の薄明かりを切り取って影の月が満ちてゆき、生まれたばかりの世界に初めての夜が訪れた。周囲の温度が下がる…遭魔の刻だ。
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「あー、何ですかね。私達と一緒に、何か入ってますねー。…そこ!」
ユキシロだという通称チアキが、後ろの壁をビシと指差した。
何も起こらない…。壁は上方ドームを補強する梁の錯綜に繋がる。チアキは、ビシ!…という擬音が張り付いたかのように動かない。
蛇の視線で何かを追い込んでいるようにも見える。マーレにも違和感が感じられ出した瞬間、空中を紅い針が埋めて、軌道を変える鞭のようにしなった。
マーレの反応は速く、チアキの腰に飛びつき、そっと抱き寄せる様にシールドの陰に連れ込んだ。
紅い針がさらに速く回り込むが、チアキは、琴でも弾くように両手の指先で弾いていなした。見えない相手は、上の梁に駆け上がる様な影を残して、実はマーレの足元でホールドされた。
フェイントかけながらマーレに迫っていた大柄なトロール?を、デネブがステイシスフィールドで捕縛した。白い滑らかなゴリラの四肢を持ち、自由に動く長い首筋に小さな頭、赤いタテガミがウネウネと静止している。
全身がチカチカして光学擬態が解けた。チアキの指差しが、そのまま横にずれ銃でも撃つように何箇所か指し示した。もっと小柄な狼の様な影が飛ぶが、床にホールドされる。壁面の何箇所かでバリバリ火花が散って奥の隔壁が破られたが、キグナスの対処は速く、赤いタテガミを持つ侵入者は、まもなく電磁障壁で一角に集められてステイシスホールドされた。
「セレベンティスの過激派です。ノルン開拓の経験があるので幸いでした。」
姿のないデネブの声だけが響いた。辺境領カノープスは、もともとセレベンティスの生活圏に接していて、屋敷のメイド長には、知見がある。
「しかも、手配書に記録ありの大当たりですのよー。」
声だけといえ、デネブが若干うざったい。
事件の発端、ジャンボビーム…仮称…が、最終局面で惑星ノルンの極地氷大陸をエグっているので、その辺りに潜伏中の過激派を巻き込んだようだ。普通に生きてるのが、さすがセレベンティス・クオリティー。…さすせれ?…いけない、大変だった状況が緩んできて、シルキーがうつってきた。
この半空間内部の状況確認を急ぐ理由が、更に増えた。外部世界との量子通信や相似連結に障害がないのは朗報だ。通常空間との往き来が保証されているようなものだ。後は、公団より先に通路を確保するだけだ。
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浅い仮眠から、シルビアナは時間通りに目覚めた。チャリオット・ファルコンは、その間も忠実に飛行を続け、惑星ヴェーダに向かっていた。
ヴェーダへの軌道は、公団にも自明のことで、待ち伏せや外交的な操作がなされているだろうが、それでも私の処罰に公団がヴェーダに踏み込む事はないはずだ。
人類と他の2種族の支配地域や緩衝地帯が複雑に混じり合うカラフルな惑星は、入植の当初から制御を欠いて自由都市の緩い連合が競合する世界をつくっていた。
一般に地域の結束が固い一方で、あぶれ者が便利に使われる放任地帯が、まだいくつも存在していた。
重力機関の振動は、おそらくオーブボイドを調整できる特殊なドックに入らなければ治せない。それは、エイリアス艦基地、ないしハルモニアのような基地母艦への入港が必要だという事だ。今は、選択肢にない。
それでも、王国の現地騎士館がヴェーダには存在しており、資金が続く限りにおいて信頼できる代理組織がある。シルビアナにとり決して親しい世界ではないが無縁でもない。これまでの伝手を頼りに練り上げた、現時点で最善の計画がある。
不明瞭で未完成の見立てだが、シルビアナに残された最後の武器、自身のタレントがこの細い可能性だけを排除していない。
アース太陽の間近で公団最強戦艦のひとつ、カラーに相対した時、タレントは確かに人生最強の発動をして、カラーの重力障壁を抜く唯一のポイントをシルビアナに見せた。
シルビアナの操船技量は、完全にその未来をなぞる事ができなかったが、彼女のタレントは、太陽表面での事象の収束をギリギリのところでキープし続けて、不可避とも思われた破滅の未来を回避した。
チャリオットの性能を超える環境踏破ができた事は、自信に繋がる。
これ程まで自身のタレントが試されるのは、初めてだったが…乗り越えた。生来の財産、王家の血が思っていた以上に信頼できる事が、不明瞭な道行きに一筋の希望をもたらした。
シルビアナは、通信により手配された筈の哨戒網をやり過ごすため、振動する重力機関を手を尽くしてなだめながら軌道変更を繰り返した。
手足や内臓のメンテナンスを含め身綺麗にしたかったが、船倉のハッチが開かない。こんな所にも船体の歪みが影響しているようだ。体内の生命維持器官に余裕があるうちに、どこかに着陸できれば対処の方法がある。
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ヴェーダは、地球サイズの岩石惑星に珍しく、厚い氷のリングを持っていた。たくさんの小さな月があり、地表は明るいマダラ模様だった。
この惑星は、不自然な事に、ノルン-ザイオン連惑星と同じ軌道で太陽の反対側を周回している。適度な低い山脈とクレパスが全土に走り、緑の平原や乾燥した砂漠、細かく入り組んだ海洋など、多様性に富んだ地形を持っている。
そのため人類も、それ以外種族も各地に分散した小規模な共同体を作って発展してきた。
飛行の後半、シルビアナは予想していた追撃を受けない代わり、重力機関の振動を抑えられずに大半を惰性飛行に切り替えた。例え迂回した減速軌道を選ぼうとも、ヴェーダ重力圏への合流と減速には動力飛行が必要だ。
発見される危険を犯して、重粒子ブースターを使う。宇宙船推力としては小さいが、極小のファルコンに十分だ。だが、動力源でもあるオーブボイドのコントロールが失われていく。暴走を避けるためにも、ニュートラルに落とさないと持たない。コクピットの機器がいくつか割れ始めている。
星間速度を惑星に合わせきれずに、チャリオット・ファルコンは氷リングのデブリや帯電域を掠めながら、惑星内圏に突入し空間場シールドを最大に展開する。
機動力がほとんどないので、シールド形状をコントロールして炎に包まれた船体を減速する。失速の落下を防ぐ。
知っている航宙論理を総動員するが、タレントのひらめきは、無かった。
そのかわり、単独降下訓練が思い出されて、落ち着きを保つことができた。
炎の壁に金の火花が混じり、天使の羽根を思わせる輝きがコクピットを包んだ。
太陽表面では、みっちり包まれて見分けられなかった金の羽根がフワフワとシールド力場内を漂っている。ファルコンの隠し機能だろうか、学校でもシミュレーターでも見た事はない。
コントロールに不安があるので、目標の都市部を避ける。隣接の砂漠に落ちるコースを確認すると、衝撃に備えて最後の減速と厚いバリアシールドを調整する。
教導師長の肉塊のような姿が思い浮かび、語る言葉が記憶を過ぎる。他者を守る勇気は自分を守る勇気に勝る…と。頭を振って炎の壁の向こう近くに地表を見る。
祈る神は、私には…ない。
夜明けにまだ早い砂漠の空に、一筋の金の炎が流れ落ちた。




