第36話: 石炭袋の攻防、序
「全艦定位置を維持せよ。アース太陽系の惑星がトーラス重力中心に並行します。星系重力の凪まで、およそ30分。約1時間15分ほど重力レンズの効果が保てるはずです。牽引力効果の範囲有効時間は、中央域で約45分間と想定されます。」
「カラー艦隊、宇宙気流外周を周回終え、ボイド-アース太陽系のL2Pに到着。定刻通り、当艦と太陽を挟む対軌道で星団核の合に入りました。重力ミラー艦を展開中。時空連結の相位時差プラス15.32秒、時間線収束の量子分布圏内を保っています。成功です。」
公団艦隊、旗艦ハルモニアの中央船殻、船体重心に置かれた司令室は、いつになく緊張した空気が流れていた。
エイリアス艦は、通常航行に人が関わる必要がない。司令室とは、通常は首脳陣が作戦立案を検証する以外、当直しかいないのが普通だった。実のところ、当直すらハルモニアの話し相手でしかない。
しかし、作戦中ともなると本来の機能を果たし始め、半球ドーム状の空間には、アース太陽系に展開する大小二千を数える艦艇群の正確な機動を表示していた。更に幾つかの黄色いマーカーは推定される皇宮艦の位置を示している。
作戦空域の最前方はトーラス星団中央方向、宇宙気流ランプを左手に暗黒湾の濃密な塵の団塊を捉えていた。
高速で循環する宇宙気流に引きずられ、アース太陽系の内縁カイパー域で渦巻く幾つもの辺支流が、濃密なデブリの壁を幾重にも重ねて房を作る。その奥に作戦目標の敵性管制域が紅く推定マークされていた。
刻々と展開される重力ミラー艦群、ハルモニアの五百隻とカラーの五百隻が解析する重力波エコーにより、次第に暗黒湾の最奥にポッカリ空いた空隙が映像化されて、超高密度の構造物の影が果物の種でも透視したかのような映像を結ぶ。
半球ドーム司令室の隔壁は、今回に限り残りの半球ドームに続く中央壁が解放されて、王座を据えた典礼評議ホールが見える観閲仕様だった。開放隔壁側の艦長席を立って、グレイス・フラヴェルティ艦長が、報告する。
「全艦予定位置に展開終えました。今のところ対抗機動艦影は認められません。」
公団の随行員や役職者に囲まれて王座に座る皇団長、レオニスマルコ・コル・ボーダーは、軽くうなずいた。艦長は、その姿にひと息見惚れ、慌てて作戦空域図に向き直る。僅かに艦長帽の庇の下が、朱に染まったかに見える。
今回、開放隔壁側で艦長の対に立つハルモニアは、その二人に行き交う視線に満面の笑みを浮かべていた。…そして瞬間、苛立ちの色が過ぎる…。
「エラセド・ボーダー監察官、それは今しなくてはいけないのですか?」
フラヴェルティ艦長の後ろで嬉々として、何かの計測装置とおぼしき器具を上げ下げしている痩身の神経質そうな男に、ハルモニアが軽い非難の色を込めて話しかけた。
「お気になさらずに、作戦開始までには、撤収します、ハルモニア。できれば、体液のサンプルが欲しいところですが…、…またの機会に。」
内郭警備長が、目からビームでも出しそうな形相でフラヴェルティ艦長との間に割り込んで来たので、慇懃な長身の男は、大人しくホールの王座近くへ戻ってきた。皇団長と監察官は、全く違う印象ながら、並ぶと成る程、基本的なパーツは似ている。
王座の男は、いささか呆れていた。
「艦長が少し過剰に意識している事はわかるが、周りがこの調子では、まあ、ありがちだろう。多少、周囲に気分がのせられたと言って、そんなトリレコーダーで何が解るんだ。」
「まさに、その「のせられた」状態だ。本当にこの瞬間の体液は貴重な標本なのだが。まあ、しかたあるまい、彼女の状態を見るに、機会はまたあるだろう。」
「この星系の凪に作戦を合わせるため、どれだけの人間が努力したか、お前もわかっているだろ。艦長の晴れ舞台を傷つける事は控えてくれ。」
「何、すぐ済む。そのハンモックチェアに座るだけだ、服を脱ぐ必要もない。百八箇所ばかりプローブが入るので、敏感な所が少しチクッとするかも知れん。後で、兄上も座ってくれ。今は、緊張していてデータにならんのでね。」
「お前の作りたがっている、忠誠とか恋とかの対象は私なんだろ。本部を出て以来、自分の生き方に自信が無くなってきたんだが、受け取らなきゃダメか?」
「恋は一時のホルモンバランス異常だ。トリガーではあるが、セットされた中毒症状のひとつに過ぎない。私の目指す忠誠と愛の永続固定は、自我の根幹に関わる全く別の分野だ、混同しないで欲しい。別に、シルビアナを兄上の正妻にせよと迫っているわけでは無い。ボーダーの母系は保たれているので、兄上の系統を確立する挑戦だと思ってくれて良い。血統だけなら、シルビアナの子宮は既に50近いトーラス人の母になっているはずだが、施設でタレントの開花は絶えて聞かない。そこにもっと、本質的な問題があるのだよ。」
「もう少し、安心できる答えが欲しかったのだが、お前ならそんなもんだな。」
「フラヴェルティ艦長は、安心できそうですな。ハルモニアに休日の映像を見せてもらいました。あれでバレてないと本当に信じてましたか、…明らかに周囲がタイミングを合わせているでしょう。まあ、素晴らしく明瞭なサンプルが採れたのはありがたい。兄上が舞踏会を、最後まで無事に乗り切りそうになった時の会場の緊張は、凄まじかったですからな。最後に、よくしくじりました。あれがなければ、耐えられなくなった誰かが特攻したでしょうな。」
「やはり映像があるのか。グレイス艦長は酷く恐縮していたが、ハルモニアが用意したドレスの裾を捌くのは、彼女ほどの生まれでも難しかったろう。タイミングを崩したのは、お互いに躊躇したのが敗因だった。」
「それで皆が幸福になった。たった一度つまずいた成果にしては、上出来でしょう。兄上の自信に対する自己評価を下げる要素は何もない。」
「正確な指摘をありがとうよ、で、そろそろ私も職務に向き合おう。ここで間違えたり詰まったりして艦隊を失望させたくない。話し相手になってくれて、ありがとう、エラセド。」
「兄上は、この程度で緊張などしないでしょうが、どういたしまして。私はヴァルキュリアで状況を拝見します。司令室の音声連結を許可いただき、至誠の極みにございます。では兄上、またいずれ。」
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その日、トーラス開拓建設公団は、宇宙気流とアース太陽系を繋ぐ気流ランプへの侵入を禁止して、トーラス星団全空域での管制待機を通達していた。大規模な行動がある事は、明白だった。
しかし、物流の全てが即時に止まる事はできない。宇宙気流ランプの両端で自動機械のコンテナ船や自由営業の貨客船が渋滞を起こしていた。作戦空域が暗黒湾を標的にしている事が観測能力のある船や管制局には明白だったので、まず船長達の個人ネットワークに噂が走り、直ぐに各地の管制から、内縁空域の衝突警報と出発宙港への退避が公式に勧告された。
「内回りしたのは、失敗だったかもね。」
円形ブリッジの中央でミモザ船長が、腕組みしている。
「ランプの渋滞がここまで伸びてるのは、意外だわ。コンテナ船の自動機械が、なんで引き返さないかね。」
サザンクロス号は、古びた外観の180m級艦で、紡錘船体の中央部に厚めのドーム円盤、後部には珍しい三連双発重粒子ブースター。デカイ三点ブースターは、加速に優れるが操作が難しい。しかも、開放型だ。
一見、密閉式に見えるのは、サザンクロス号が外宇宙や宇宙気流だけでなく、大気中から結構な深さの水中まで航行可能なオールラウンド探検船だからだ。
要するに宇宙船サザンクロス号は、癖の強い暴れ馬。探検船にはぴったりの中古船だ。エイリアス船だと知らなければ、重力推進も併用していると気づく者はいないだろう。ヴェーダの業界一般には、この船の船長が三代続けて探検家協会の御用達だとよく知られている。父親がはっきりしないが、いずれも有能で顔貌などそっくりな母娘三代だったので、タレントの末裔だろうというのが通説だ。
「少し知り合いに調べてもらったのだが、コンテナに機器類が多くて農産物が極端に少ない。このまま、お行儀よく並んでるのは不味くないかね。…特に、こっちは交差点をこえたいだけだからね。」
分厚い保護メガネが顔の一部になったような年配男性が、一段低いテーブル席から声をかけた。昔は、体力で冒険を乗り切ったかもしれないおじさん、探検家協会の会長スミス氏だ。小麦製粉協会の審査員を務める事でも知られている。パンからケーキまで焼き菓子を評価させたら、この人の右に出るものはいない。
のっぽの苦行僧の様なおじさんが、会長の向かいに座ってパズルの様なものをケースに戻している。撫ぜるような手つきで、どうやって揃えているのか見えない。ただ、手のひらを数回交差させると、パズルは四角いケースに収まった。
「ハルモニアに皇団長がいて、残りのレガリアを探しているなら、やる事はひとつだけだろう。だが、クラウンだけは、再現できてないと思うがね。あれは技術で製造されたものではない。」
管制にけどられないよう渋滞域の迂回路を設定してながら、ミモザ船長は隠蔽シールドと船のダミー空間投影を交差させた。
「教授、ケント教授、それでもエイリアスが旗艦コードだと認識すれば、結果同じだから、波動再現の技術的問題に置き換えれるんじゃないんかね。」
代わりに答えたのは、手早く幾つものメールウインドウを承認して、トランプでもするように文書を並べる会長だった。
「一時的には、あり得る。だがアーサーの言いたいのは、その鍵でボイドの家主がアース太陽系の住人だと認めるかという事だろ。神槍に何かするなら、帝冠を引っ張り出すのがやっぱり目的だと思うが、どうかね。」
「それはそうだろうが、最悪、和国も桜もただ潰される。皇団長は、勿論好まないだろうが、開拓地を担保されたら護るべきは迷うまでも無い。ただ、…和国にどう攻撃させるのかが、分からん。7つ星程度で非常事態は宣言できんだろう。」
「桜は無事に、探検家協会で保護したいな。ミモザの言う地球ライブラリが本当にサクラで相似連結しているなら、…私はあり得ると思ってるよ…、4代皇蒐集帝は確かに目立つ業績を残さなかったが、失われようとした多くのピースを保存した。彼のおかげで探検家協会はたくさんの謎を解明している。」
「そう、大樹の公園を記念碑に組み込んだのも、彼だ。山野を好んだ彼は、多くの時間をそこで過ごして、固有スキル、アポートで幾つもの物品を錬成してのけた。十二杯の星杯を含む地球指針遺物の殆どは、彼が地球ライブラリを感じてアポートしたものだ。それを行った場所が大樹の桜だったと、今回推測できた。」
「それなんだけど…、星杯には中身があったみたいよ。シリウスのアンカーが今そこに居るんやけど…、公園生まれのバンシーみたいな子供が地球指針遺物を現在進行形で錬成しとるらしいのよ。星杯は「ラーメン」という小麦麺料理の器でスープまですべて美味しく食した…と、魔王城経由で教えてもらったんよ…。」
「小麦麺料理だと!」「地球遺物錬成だと!」
おっさんの声がハモった。
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(補足)
公団艦旗艦ハルモニア、近傍:監察官特務艦:ヴァルキュリア
アビゲイル・ミストラル仮隊長
「シルビアナ様の単独行動には、もっとお怒りかと思っていました。」
エラセド・ラス・ボーダー特務監察官
「別に私が怒る必要はなかろう。問題は彼女がこれを単独で乗り越えられるかだ。これから起こる事からすれば、残念ながら絶望的だろう。」
「作戦目標は、暗黒湾では?…最小の重力船チャリオット・ファルコンを持ち出していますので、記念碑コロニー程度は哨戒飛行の様なものだと思えます。」
「王国であれを受け取っていたとは知らなかったが、それで決行したなら悪手に過ぎる。だが、シルビアナは我が養い子だ。乗り切ると信じたいものだ。」
「仰る事が解りませんが、監察官は姫を信頼しておいでなのですか。」
「勿論だ。結果として、生きて帰って来たならば…だが。彼女は兄上の新しいボーダー母系になるかも知れない人物だ。期待せずにどうすると言うのだ。私はそれを完璧な物にしたい。兄上への渾身の愛をこの手で開花させてみせよう。」
「…、それはそうと、ヴァルキュリアの重量制限は姫出奔で改善されています。しかし、監察官の私物がトレーラー単位で搬入されては、チャリオットの回収ができなくなります。一応確認ですが、あの陶器コレクションは持ち歩く必要があるのですか? 非常時に破棄して構いませんか。」
「なんたる事を言うのだ。艦が爆散しようと保護せよ! 気流の教会コロニーでもヴェーダの探検家協会でも、このコレクションが最後にものをいうのだぞ。今回は特に星杯の内の三杯がここにある。若い君らにはなかなか伝わらないかもしれないが、このカキエモーン・レッドの釉薬は、非常に繊細な製造工程でトーラスでは入手不可能だ。生半可な認識で伝世の財産である陶磁器を扱ってはならん。我が身の安全よりも重視せよ、最初の特務指揮命令だ。」




