8章 恩知らず
8章 恩知らず
警察に突き出した事を恩知らずと言われた。
どうも、そういうものであるらしい。
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「なんだこりゃ……」
山の変わりように華風が呻いた。
鳥兜の花が咲いている。
青い花が淡く光り、木々を照らす。
足跡は山の奥へ。
月影は何も言わずに進む。
廃ホテル、その中庭。
一面が鳥兜に覆われ、建物と木々を侵食している。
中央の噴水に雪白が横たえられていた。
鳥兜に紛れて和紙が落ちている。
筆で描かれた死体の絵。
男の目的を察したのだろう。
誰もが顔を顰める中、月影はそれを拾い上げ、丁寧に畳んだ。
犬養が雪白に駆け寄ろうとする。
急に姿勢を崩し前に転がった。
上から降ってきた男がショベルを振り下ろす。
甲高い音を立て、ショベルが地面を抉った。
犬養が立ち上がり、男が土を撒き散らしながら刃先を構え直す。
「今の御時世、地獄変のようにとは、出来ぬものか」
「儂、ハッピーエンド派やねん。あと不法侵入やでオッサン」
「そう言うな。ここには資料が多い」
男の体が薄青く光る。
それに照らし出されたショベル。
男の持つショベルは土を掘り返す刃先が通常の物より分厚く重い。
蛇塚が男のやらんとする攻撃を察し、忠告する。
「刃先に気ぃ付けや。……首持ってかれるで」
「押忍」
ギロチンというのは刃物を自由落下させる事で首を落とす装置である。
刃を斜めの形状にすればどんな首でも落とせる、と改良されたのは有名な話だ。
ショベルの刃先、斜め部分。
それが充分に研がれ、なおかつ重量と勢いさえあれば。
首は切り裂かれるか、最悪、落ちるだろう。
ギロチンと違い、相応の苦痛を伴って。
「!」
ショベルごと男が蹴り倒された。
倒れる男に構わず犬養が雪白に駆け寄る。
そのまま雪白を担ぎ上げ走る。
起き上がった男が、犬養の足元を薙ごうとした。
止めたのは華風の足だ。
だがそれも一瞬、足元を掬い上げられ宙に浮く。
思い切りショベルを蹴り上げ、華風が間合いの外に出る。
着地し、こちらに戻ってくる。
追いすがろうとする男を月影は立ち塞がり止めた。
犬養の声を背中で聞く。
「雪白君、雪白君……? 雪白君!」
「……」
犬養と華風が雪白を揺する横で、蛇塚が、じっと男を睨めつけた。
言いたい事を察したのか男が肩を竦める。
「別に何も」
何でも無いように言う。
「単に本人に起きる気が無いだけだ」
●
檀林皇后は自らの遺体を九相図の題材にさせたと言われている。
信心深かった彼女は諸行無常の真理を身を持って示し、
菩提心を人々に知らしめる為、遺体を辻に放置させた。
美しい話だ。
だからこそ、彼は題材にふさわしい。
――本当に?
●
月影は一礼する。
ナイフを片手に、水色の外套を摘んで。
「生まれた時から悲劇がついて回る。ああいう目を何度も見てきた」
「そうか」
男の言葉に短く答え、そして返す。
「貴方の筆を美術館で見た」
「そうか」
男、古怒田がショベルを下ろし、月影を見る。
「あれの何を知っている」
「何も」
「あれに何をしてやれる」
「何も」
古怒田の問に短く答える。
蛇塚や赤楝蛇は雪白の身元を調べねばならない立場だが、月影はそうではない。
何も知らない、何も聞く必要も無い。
「だから恩など感じずに幸せになって欲しい」
そう言って月影がナイフを構える。
「?」
肩をトントンと叩かれた。
後ろに赤楝蛇が立っている。
何も言わない。
じっと月影の顔を見た後に頷き、そして古怒田を睨みつけた。
帷子辻。
古怒田 九郎右衛門。
対。
寝待月。
月影 織。
いざ尋常に、勝負。
●
決意したのいつだったか。
もうすぐ成人する頃。
院長達が次の売り物を探しているのに気付いた時だ。
●
投げられたのは先の尖ったスコップだ。
叩き落とし、踏み込む。
振り下ろされるショベルを避け、胴体を狙う。
ナイフが白装束を掠める。
ぐるりと古怒田が回転する。
掘り起こされた地面から土が飛んでくる。
目を庇い、姿勢を高く保ちながら土塊の中を進む。
振り下ろす動作こそショベルの本来の動きだ。
足元を狙う為に姿勢を低くするのは自殺行為と考える。
槍のように構えられた刃先が月影の胴を狙った。
刃先を避け、横に薙がれるより早く、持ち手に向かって走る。
古怒田の手首を狙ってナイフを振った。
浅く、だがショベルを取り落とすには充分な程に刃が入る。
「九相図が美人の死体ばかりなのは僧侶の煩悩を払う為だ。だが――」
血も流さずに、古怒田が距離を取る。
しっかりとショベルを握ったまま。
「才能ある画家が生前認められぬように、真っ直ぐな子供の願いが届かず潰えるように、
命が朽ちていく諸行無常こそに、美を感じた事が無かったと誰が言い切れる?」
鳥兜が強く光った。
めらめらと、青い炎のように周囲を舐める。
熱さはある、しかし、月影は焼かれていない。
炎の中からオンオンと唸り声が響く。
古怒田を見る。
血走った目、口が裂ける程の笑み。
焼かれながら古怒田がショベルを肩に担ぎ上げ、こちらを見た。
炎を纏ったショベルが降ってくる。
一瞬遅れ、軌道を炎が彩った。
振り回される刃先。
隙間を掻い潜ろうとするも、円を描く炎が古怒田に近寄ることを許さない。
火が着いた土を避ける。
自身が燃えるのにも構わず古怒田が突っ込んできた。
小回りの利くスコップに持ち替えた事に気づいた時には間合いに入り込まれていた。
青い炎が月影の服に触れる。
炎が大きく揺れ、古怒田の体が横に吹き飛ばされた。
赤楝蛇が古怒田に飛び蹴りを入れている。
着地し、赤楝蛇が月影を庇うように立った。
古怒田が鞠のように弾み、立ち上がる。
何が起きたか一瞬理解できず、月影は固まる。
すぐさま気を取り直し、体勢を直す。
「……」
赤楝蛇が自身の喉を指差した。
そして、蛇のような声を上げながら古怒田の方を向く。
何かを言えという事だろうか。
何を、と考えると浮かぶのは雪白の姿だ。
美術館に来るのは初めてのようだった。
カフェで何を注文していいか判らないのは、外食の経験が無いからだ。
着ている服が妙に古いのはお下がりだからだろう。
同じ服の着回しが多いのは手持ちが少ないから。
天理座の事件の時に雪白は何かに怯えていた。
物騒な目をしていた蛇塚の子分達。
否、警察官に。
貧困家庭、或いは貧しい施設。
そして助けるべき大人は気付かなかったか、或いは加担したか。
悪い大人から逃げてきた子供は、何も知らずに更なる不幸へ。
美人薄命が正しい形。
否。
廃劇場のでの事を思い出す。
月影を、犬養を、蛇塚組の皆を凄いと、歴戦の芸術家相手に言い切った。
あれを不幸に進む人間が吐くものか。
月影はナイフを握り直した。
赤楝蛇の前に立つ。
「いずれ朽ちる。が」
言う事は1つ。
「ありふれた不幸ごときが大きな顔をするな。雪白君は凄いんだ」
ナイフが炎を切り裂いた。
縦に切れ目を入れられた炎が月影の振り払いに合わせて払われる。
炎が消え鳥兜の花畑が現れる。
月影は古怒田に向かって走る。
再びショベルを持った古怒田が真っ向から迎え撃つ。
同時に互いに、決着だと言わんばかりに獲物を振り上げた。
空に浮かぶ月と同じ形をナイフが描く。
一瞬の後、振り上げられたショベルの柄が幾つもに分かれた。
古怒田が地面に落ちたショベルの残骸を見る。
残りの持ち手を吹っ切れたように放り投げた。
「恥を晒した」
「いや」
古怒田がその場に胡座をかき、腹を出した。
月影がその後ろに立つ。
白装束の懐から短刀を出す。
腹に一文字、十文字。
風切り音すら無く振り下ろされた月影のナイフは、皮一枚を残して首を断った。
古怒田の体が首を抱えるように倒れ、体が青い粒子となって消える。
残る死体を隠すように上着を投げ捨てた。
血振りをした後、ナイフを鞘に戻す。
風に煽られ、粒子が全て消える頃。
朝日が山を照らした。