6章 無残絵師・古怒田 九郎右衛門
6章 無残絵師・古怒田 九郎右衛門
児童養護施設。
特に私立の施設というのは赤字経営だ。
収入も寄付金もなく。
他に事業がなければ起こすべきではない。
そう言われている。
バブル期には問題なく経営出来ていた施設も、崩壊と同時に負債を抱える。
だが、閉園にも金がかかる。
であれば。
両親がない雪白が悪事と虐待に巻き込まれたのも必然であったのだ。
●
蝉の声がけたたましい。
流れる汗をハンカチで拭いながら、古びた温泉街を歩く。
白い石だらけの河原が目に刺さる。
硫黄の匂いが鼻に届いた。
作業が終わり、旅館に向かうには少し早いと月影達は美術館に来ていた。
静かな、石造りの変哲も無い美術館。
冷房の風に癒される。
古怒田 九郎右衛門展。
無残絵や九相図を中心に手掛けた絵師、その肉筆画の展示だ。
水分補給を済ませ、順路通りに進んでいく。
血みどろの死体や腐っていく死体。
打ち捨てられた死体には蛆が沸き、獣や鳥に食われ、最後には骨だけになる。
現代とは違い、火葬されるのは貴人だけである。
昔は鳥葬か風葬が主だったらしい。
筆で描かれた絵を雪白が食い入るように、月影の背中越しに見ている。
月影も絵を見る。
浮世絵のようにデフォルメされた表現。
しかし、写真以上に生々しさと恐怖を伝えてくる。
絵の端にある、鳥兜に怒のサインですらおどろおどろしさを伝えている。
一通り見て回った所で、休憩がてら併設のカフェに入る。
何を頼んでいいか判らない雪白の為に、注文を纏めて行う。
庭の鮮やかな緑が目に入る。
先程まで作業をしていた山が生垣の向こうに見えた。
「九相図ってお坊さんの修行の為に描かれたんだよね」
「修行?」
煩悩を払う為の修行。
如何なる美女であろうとも、最後には骨だけになるという無常観を得る為の修行。
日本では鎌倉時代から江戸時代に見られるが、大陸の方でも発見されているらしい。
紅茶とケーキが来た。
月影は話題を切り替える。
「最後の方の絵は、あんまり評判良くなかったみたいね」
「そうなんですか?」
評論家曰く、デビュー当時の筆のキレが無くなったと言われている。
これは、氏の生活が安定した為、飢えた感性が無くなったのではないかとの推論だ。
雪白君はどう思った。
月影の質問に雪白が難しそうな顔をする。
「……よくわからないです。ただ怖くて」
「そっか」
そう言って、雪白がケーキを頬張った。
●
「温泉、温泉っ」
「ご飯、ごっはん」
旅館は純和風建築の趣ある風体である。
松の木が玄関に植えられている。
「まずは温泉に入ります」
「はい」
「ご飯を食べて、温泉入って、寝て、温泉入って、ご飯食べて、また入ります」
「はい!」
「ふやけるで」
蛇塚が荷物を子分達に運ばせながらつっこんだ。
チェックインは誰かが行っているらしい。
「お荷物、こちらで全部でしょうか」
ぬっ、と影から従業員が現れた。
この暑さの中、汗一つかかずに佇んでいる。
物静かで、不思議な雰囲気の従業員だ。
年は40後半程だろうか。
「おう。任せますわ」
蛇塚がそう返すと、音もなく荷物を運び始めた。
部屋まで運んでくれるようだ。
ふと、従業員の手元に目が行く。
ペンだこが目立つ。
●
「絵はどないやったん?」
「怖かった。次は犬君も付いてきて」
「儂、怖いのアカン……」
海の幸、山の幸。
美しく盛り付けられた料理に、見目麗しい器。
美味しいお酒。
それらを口に含み――。
真っ先に酔っ払ったのは、本日、初めて酒を飲む雪白だ。
飲んで歌えの大騒ぎの中、部屋の隅で雪白がふやけている。
犬養の膝で介抱されながら軽口を叩いている。
月影は皆からの酌を受けつつも、適切に飲んでいる。
華風がスポーツドリンクを持ってきた。
冷たい飲み物が喉を通る感覚が気持ちいい。
「じゃあ華風君付いてきて」
「何の話」
「絵」
「ホラーは断る」
にべもない返事に雪白は犬養の膝の上でゴロゴロと転がる。
その様子を見て、呆れた様に犬養が雪白の頭を撫でた。
「んもう、君、Vシネでも怖がるでしょー。なんでそんな見たいの」
「なんとなく!」
「そっか! 今日はもう寝よな!」
酔っ払い特有の話の通じなさに犬養が匙を投げた。
華風が周りに挨拶をしながら雪白に肩を貸す。
おやすみなさい、と月影の声に手を振った。
木の廊下。
2人に支えられながら、足取り軽く部屋に戻る。
雪白は違和感に足を止めた。
照明によって照らされた廊下に暗い場所などある筈も無い。
「……?」
妙な不気味さと仄暗さを湛え、廊下に誰かが立っている。
荷物を部屋に運んだ従業員だ。
こちらに気付く。
「……お出かけですか?」
「いいえー」
そう言いながら雪白は、従業員が見ていた方に顔を向ける。
窓の外、昼間、廃墟を探索した山が薄っすらと見えた。
「あの山には」
「?」
「おられるようですから」
お気を付けて、と従業員が頭を下げた。
はい、と雪白は返し、後ろ髪を引かれつつ部屋に向かった。
酔いが回ったのか、布団に入るとすぐに眠気が襲ってくる。
少しの間、2人がこちらを気にして起きているようだったが、問題無いと判断したのか布団に潜り込んだ。
寝息だけが部屋に満ちる。
●
日が沈み、山が藍色に染まる。
誰もが寝静まり、聞こえるのは蝉の声――。
蝉の声が消える。
15を超えた19の夜。
4分の1が欠けた月が来た。