5章 霊山の九相図描き
5章 霊山の九相図描き
親は無く。
どんよりとした曇り空しか見えない施設。
繰り返される地獄の日々。
ずっと続くものと思っていた。
この手で終わらせるまでは。
●
夏。
蝉が鳴く頃。
緑よりも日光が目に染みる時期。
月影達は蛇塚組が所有する山にいる。
もうすぐ台風が近づいてくるこの時期。
倒木や土砂崩れが起きそうな場所に対策をする為である。
月影が作業をするわけではない。
周辺住民に通報されないよう、それらしくない人間を混ぜる為に呼ばれたのだ。
ただでさえ脛に傷持つ身。
警察など来られては堪らない、と蛇塚は言っていた。
――実際に何か埋められている事など月影は知る由も無い。
車を駐車場に止め、舗装された道路を外れる。
山の奥深くへ入っていく。
今は蛇塚組が管理している山。
毎年、手入れはされているのだが、ある程度の鬱陶しさは否めない。
そんな山の中に楽しげな声が響く。
「温泉、温泉」
「温泉!」
作業が終わった後は、これまた蛇塚組所有の旅館に泊まる。
温泉宿である。
月影と雪白が山道ではしゃぐ。
静止の声をかけるのは蛇塚だ。
「あんまはしゃいでたら滑るでー」
「はーい」
「はいぅわああああ」
雪白が早速、足を滑らせる。
月影が手を伸ばす前にがっしりとした腕が雪白を捕まえた。
「赤楝蛇さん」
月影は男の名前を呼ぶ。
40代前半程のスーツを着た男。
厳つい顔に傷が目立つ。
「あ、ありがとうございます」
蛇塚組、舎弟頭。4・6の兄弟。
赤楝蛇 竹明。
雪白が礼を言うと赤楝蛇がいたずら小僧のような笑みを浮かべた。
ホッとする間も無く、ひょい、と雪白が俵担ぎにされる。
そのまま赤楝蛇が山の中へと走った。
犬養と数人の組員が何も言わずに追い掛ける。
「え? ええええええ!?」
「雪白くーん!?」
「カガシー。先、小屋冷やしとけー」
蛇塚の命令に赤楝蛇が空いている方の手を上げて返事をする。
その様子を見て月影は目を見開きながら言う。
「喋れないのは大変だねぇ」
「……もう慣れたわ」
諦めたように蛇塚が言った。
20年程前に全国的に起きた極道の抗争。
その際に敵対組織に拷問を受け話せなくなったのだ。
身体的なものではなく精神的なものらしい。
普段は筆談。
付き合いの長い者は勘で会話するようだ。
「それはそうとな、兄弟」
「失礼します、叔父貴」
「ん?」
切り替えるような蛇塚の声と同時に組員の1人に担ぎ上げられた。
こちらを見る蛇塚と華風の顔が低い。
「滑る前にこうした方がええ事に気付いてん」
「滑らない、多分」
声の溌剌さとは裏腹に、水色の外套が頼り無く揺れる。
●
山の上が涼しいとはいえ、暑いものは暑い。
温暖化により、冷房無しでは過ごせない気候になってきた、と、年重の組員は語る。
山小屋に到着し、発電機で冷房の電源を着ける。
中が冷えるまでの間、犬養と軽く散策をする事にした。
バブル期に建てられたホテルの廃墟。
危険が無い事を確認し、こっそりと忍び込んでみる。
当然、照明など無い。
薄暗い中を足元に気を付けて歩く。
雑草が生えた床、ボロボロに剥げた壁。
割れたガラス。
フロントには電話機がそのまま残っている。
南国風の観葉植物。
水色のタイルだけが残る風呂場。
和室には布団が残されていた。
金箔の禿げた屏風が立っている。
「おっ……とぉ」
犬養がこれ以上はアカン、と雪白を制した。
隣の部屋を見た後、こっちに居てくれ、と言われた。
真っ赤な壁や床が目を引く部屋だ。
こちらは洋室である。
床に紙が散らばっている。
事務所でよく見るコピー用紙ではなく、和紙だ。
「!」
グロテスクな死体が描かれている。
よく見れば、散らばっている上の全てに死体が描かれている。
ボロボロの赤いカーテンが揺れた。
丸いベッドの上に男が座っている。
60代後半程だろうか。
白装束の男だ。
手には筆を持っている。
傍にはショベルが置かれている。
「九相図、ってのさ」
「くそう……?」
聞き慣れない言葉に思わず聞き返す。
男が絵を指差す。
この絵の事を言うのだろう。
雪白にはその程度の事しか判らない。
徐々に腐っていく死体が描かれている。
目を背けたいのに背けられない。
「雪白君? まさか誰かおるんか!?」
犬養がドアを蹴破り部屋に飛び込んできた。
男の姿が消えている。
「あ、あれ?」
山小屋の中を見るが誰も居ない。
雪白は何度もキョロキョロとする。
先程まで床を埋め尽くしていた絵も消えている。
頭の上に手が置かれた。
ワシャワシャと撫でられる。
「狐につままれたんやろ」
「そうなのかなぁ」
そろそろ帰るで、と背中を向けられる。
釈然としないまま、雪白は背中を追いかけた。
九相図。
月影は何か知っているだろうか。