17章 消えた音楽家
17章 消えた音楽家
駅前のマンション。
オートロックの高層マンション。
その最上階は泥染の部屋。
まだ今程、暴対法が厳しくなかった頃に買ったものだ。
高級ソファー、大画面テレビ。
吹き抜けの階段を登った先にはキングサイズのベッドがある。
窓ガラスに自分の姿が映る。
肘下まで彫られた入墨、ズボンの下には足首まで彫られた入墨がある。
「……」
いつものスーツに袖を通す。
もう一度、街を見下ろした。
●
「まぁ、よくある話といえば、よくある話で」
「そうなんですか?」
蛇塚組、事務所。
どんな調査をするか、話し合っている最中、泥染が切り出した。
「ちょっと才能がある奴や田舎から出てきた奴を、ウマい話でホイホイ釣る奴ってのは何処にでも居るもんで」
「……そうなのかー」
「この人も何人も釣ってそうな顔してるでしょむがっ」
「ちょっと? やめてくれる?」
華風の口を塞ぎながら泥染が続ける。
「まぁ、そういうのはそういうので赤楝蛇の叔父貴ですら行方が判らないってのは無い筈なんですが」
「そういうのが何件も続いてる?」
「はい」
日本では毎年、8万人以上の行方不明者が出ていると言われている。
だが警察、ヤクザ両方の調査で行方が判らなくなる、というのは滅多に無い。
生きていれば何かしらの公的な動きが補足されるし、例え樹海で死んでいても遺体は発見される。
埋められたり、海に沈められていたとして蛇塚組のシマ内で起きた事を赤楝蛇が知らない、と言う事は有り得ない。
何かが起きているのは間違いないようだ。
泥染の手を引っ剥がし、華風が異議を唱える。
「つって愛人の子、何かアテはあんのかよう。ただキャバ嬢が居なくなった、だけじゃ探しようがねぇよ」
「無いねぇ。地道に聞き込むしかねぇよ」
「赤楝蛇の叔父貴以上のツテなんかねぇぞ俺ら」
テーブルに突っ伏す華風の頭を月影は撫でる。
気合が充電されたのか華風が起き上がった。
「ま、1回行ってみようか」
「押忍!」
話が纏まった気配を感じたのか雪白が手をブンブンと振っている。
犬養と雪白は八瀬に引っ付いている。
「いってらっしゃーい!」
「いってきます!」
「帰ってこなかったら犬君と雪白君養子にするぞ」
『えっ』
「人質取るのやめて下さい」
蛇塚が八瀬の言葉に突っ込んだ。
●
「判りませんでしたー!」
「ですよねー!」
喫茶店のテーブルで月影と華風が突っ伏した。
泥染がブラックコーヒーを苦い顔で啜る。
「キャバクラの子は音楽でデビューする為のお金を稼ぎに来たくらいしか情報がなくて」
「路上ライブもまぁ、同じような感じですね。デビューする為に歌ってた」
「どうもイマイチ、パッとしてなかったみたいで覚えてる人間が少ない……」
どうしたものか。
月影達は途方に暮れる。
何故、彼ら、彼女達は姿を消したのだろう。
動機が全く見えない。
田舎に帰った訳でも無く、騙された訳でも無い。
何か世を儚んでいたようでも無かったらしい。
月影はアイスティーを口に含んだ。
喫茶店のテレビは発見された飛行機のニュースを流している。
窓の外を見ると、記者らしき人影があちらこちらに見える。
「……」
「……叔父貴、暫くウチに泊まりますか」
華風が顔を顰めながら言った。
調査の最中にベッタリと張り付かれては突っ込んだ話も出来ない。
顔にハッキリとそう書かれていた。
「……帰るって約束しちゃったからねぇ」
「そう、ですね……」
思う事があるのか、華風はそれ以上何も言ってこなかった。
泥染がコーヒーカップから顔を上げた。
「けど御自宅の方も張り付かれてるんでは? 誰かよこしましょうか」
「明日、兄さんと話してみます。取り敢えず今日は……」
言いよどむ月影に2人の顔が近付く。
おずおずと月影は提案する。
「ええと、その、迷惑じゃなければ、と、泊まりに来る、来ます……?」
月影の言葉に泥染と華風が顔を見合わせた。
●
月影の自宅。
夕食と風呂を済ませ、思い思いにリビングで寛いでいる。
犬養は調査の進展を華風から聞いている。
泥染と八瀬は晩酌をしていた。
『楽器がまだ発明されてない古代、人の声や体が楽器だった訳ですが』
テレビから男の声が流れている。
どうやら音楽に関する特集をしているようだ。
月影に引っ付く雪白の視線はテレビに釘付けだ。
「雪白君は音楽に興味が?」
「音楽家さんのお話は兄さんのお仕事に役に立たないかなと思いまして」
「そうか」
永楽 篝。
テロップに名前が表示されていた。
50代前半程の色男だ。
『楽器や科学、音楽理論が発達した今でも、感情と音楽は切り離せない。
美しい音楽を数字化出来るのに、出力される音に深みは無い。
これは道具の話では無く、もっと根源的な話で』
永楽の言葉に雪白が首を傾げた。
「根源的」
「説明が難しい……!」
理解は出来るのだが、いざ説明するとなると難しい感覚だ。
月影は雪白をもちもちしながらテレビを見る。
『私も実感しておりますが、歳を重ねる、経験を重ねる毎に慣れといいますか、
感性の摩耗というのはどうしても避けられませんので、常に深い情動に触れる必要があると』
その言葉に八瀬と泥染が僅かに目を伏せた、気がした。
月影は見なかった事にする。
「生き様?」
「……そんな感じかも」
雪白の言葉に月影は頷く。
番組が終わり、皆、眠る事にした。
●
夜に目が覚める。
真っ黒な中、窓際にジャコバサボテンの花が見えた。
泥染は体を起こし、立ち上がる。
誰かが歩いている。
足音を殺し、リビングに向かう。
そっと中を覗き込むとワインの匂いがした。
窓際に月影が立っている。
ワイングラスを月明かりに当てている。
目が合った。
観念し、扉を開け、リビングに入る。
テーブルの上に木彫りの阿弥陀像が置かれている。
それと相対しながら飲んでいたようだ。
「昔、貰ったんです」
「……」
無遠慮な接近にも構わず月影が話しかけてきた。
「飲みますか?」
「……頂きます」
ソファーに座るように促される。
もう1つのワイングラスにワインが少し注がれる。
若い頃、まだヤクザに金があった頃。
誇示の為に高いワインを浴びるように飲んだ。
味が判っていた、などとは口が裂けても言えない。
ワインに限らず、全ての行動と快楽は義務だった。
月影を見る。
どんなワインだろうか。
ボトルのエチケットを見ても覚えの無いワインだ。
年甲斐も無く浮かれながらグラスに口をつける。
一口含んで、声を上げそうになった。
堪えた後、月影を見る。
「これ」
葡萄ジュース。
泥染の小声に月影が悪戯っぽく笑った。