10章 人を喰う服
10章 人を喰う服
紅葉が美しい季節。
悲劇はそんな時に蛇塚組の事務所で起きた。
「うぅ……」
「……」
ソファーに2人は座っている。
泣きそうな雪白の頭を月影は撫でる。
視線の先、テーブルの上には肩の縫い目がバックリと裂けたジャケットがあった。
原因は雪白の食生活が大幅に改善された事にある。
管理栄養士も居ない施設から犬養の食事へ。
1日30品目を豪語するだけあって栄養バランスはとても良い。
貧相な体が平均値程度には成長。
施設から持ってきた服は無残な最期を遂げた。
「……」
「その」
組員達がソワソワとこちらを見ている。
月影は言いにくそうに口を開く。
「大事な服だった? でもこれサイズアップも出来ないし……」
「……」
「新しいの買うのは嫌?」
雪白がキョトンとした。
2人は同時に首を傾げる。
「買、う?」
「うん」
「雪白君、親父から給料もろてるやろ?」
犬養が雪白の隣に座る。
ジワジワと言葉の意味を理解したのか雪白の表情が綻んだ。
「……! 嫌じゃないです! 何処で買うんですか?」
「お店屋さんやでぇ」
楽しげな雪白の声と同時に、事務所が安堵の空気に包まれた。
●
雪白の楽しそうな声を聞きながら、華風は組長室の扉を閉める。
血腥い話をあちらに持ち込みたくはなかった。
「雪白君のおった施設って今、誰もおらんよな? 火ぃ着けても問題無いやろ」
「駄目です」
「チッ」
蛇塚が舌打ちをして茶を煽った。
華風はすぐに新しい茶を注ぐ。
ソファーに座っている、20代後半程の男が資料に目を落とす。
蝮 葛臣。
悟道会直系、蛇塚組、若頭。
「ま、こっちの話をしよか」
そう言って蛇塚が手元の資料を見た。
シマを騒がせている連続殺人事件の資料だ。
「剥いでから殺しとるんか? えっぐいなぁ」
路地裏に死体が捨てられる事件が何度も起きている。
それは全身の皮を剥がれて捨てられている。
被害者の共通点は。
「Fall Leavesってブランド着てる位ですね」
「ふぉーる……? おい誰か知っとるか」
蛇塚の質問に全員が首を振る。
華風も聞いた事の無いメーカーだ。
「ヤクザの癖にブランド知らんのか」
苛立つ蛇塚を宥めるように蝮が言う。
「最近流行りの……若いもん向けの服作ってる所だそうで」
「兄弟知っとるかなぁ」
華風は月影の服を思い浮かべる。
今日の服は白いドレスのようなコートだった。
背中が開いたコートを見て上着をかけられていたのを思い出す。
上着をかけたのは、と考えかけ、思考を打ち切った。
顔が良い事、最先端の物を持つ事、高い服を着ている事、イイ女を連れている事。
全てをクリアしている者はなかなか居ないが、どれもヤクザにとって必須事項だ。
わかりやすく高い服、それを着れるだけの金を持っている。
ヤクザにとってブランド服というのは、そういう表現のツールである。
「ま、服は兎も角、何処の連中やろな」
「今の所、妙な動きは見えねぇんですがね……」
事件の凄惨さに、警察、裏社会両方が抗争を疑っている。
だが、その手掛かりは掴めない。
「……月影の叔父貴に頼んじゃどうです」
「あ?」
蝮の提案に声を上げそうになる。
実際に声を上げた組員が蛇塚に殴られた。
「どういう事や」
「その店にちょっと顔出して貰うだけです。別に危ない事も無いでしょう」
「ほな別の奴でもええやんけ」
「ウチには明らかなヤクザしか居ないでしょうが」
武闘派の悲哀である。
顔面だけで堅気に迷惑を掛けるような連中しか居ない。
「適当な女と一緒に誰か行かせぇや」
「親父」
蝮が食い下がる。
「ヤクザは舐められたら仕舞いでしょうが」
「……!」
蝮の意図を察したのだろう。
部屋中に蛇塚の殺気が満ちる。
一触即発の空気の中、扉がノックされる。
無遠慮な音に蛇塚が激発する。
「誰や!」
「俺ー」
「……」
返ってきたのは呑気な月影の声だ。
蛇塚が深呼吸して怒りを収めた。
扉を開けようとする華風を制し、蛇塚がそのまま会話を続ける。
「どないしたん兄弟?」
「全部こっちに聞こえてるよ」
「あー……その、な」
蛇塚の怒りは消え失せ、気不味い表情を浮かべる。
言い出しっぺの蝮も渋い顔をしている。
「俺、兄さんが従兄弟叔父さん探してくれるの知ってるから」
「……」
「ちゃんとお仕事回してね?」
「おう……」
観念したように話が終わる。
蛇塚が華風に向かって資料の束を投げた。
「精々、勉強させてもらえや」
「押忍」
そう言って華風は組長室を出た。
●
件の店まで歩いて行く事になった。
黒いコートに包まれた月影の後ろを黙って歩く。
僅かに甘い香りが鼻をくすぐる。
何処かにある金木犀と、月影の煙草と香水の匂い。
まるで女物の香水のような果物と花の匂いだ。
組員の兄貴分達が着けている香水のどれにも当てはまらない。
「雪白君はどんなのが似合うだろうねー」
「楽しみです」
月影と雪白、犬養と華風。
そしてもう1人。
歳は40代程、白のダブルスーツ。
今時、Vシネでも見ないような出で立ち。
泥染 龍麻。
蛇塚組若衆、3次団体大島組、組長。
華風とは異母兄弟の関係にあたる。
「ところでさぁ」
先を歩く月影が振り返る。
揺れる黒コートは泥染の物だ。
「これ泥染さんに返しちゃ駄目? 暑いんだけど」
「駄目です」
「駄目です」
「アカンです」
「……めっ?」
「そんなぁ」
しょんぼりしながら月影がブカブカのコートを羽織り直す。
イギリスのブランドの物だろうか。
誰が見ても高級品のコートだ。
そうこうしている内にFall Leavesの看板が見える。
思わず足を止める。
何の変哲も無い店の筈だ。
華風は周囲を警戒する。
人を食う服。
そんな噂が立っているからだろうか。
寒気、絡みつくような視線。
ブランド店にあるまじき怪しさがあった。