誓う日
「あのさ」
先程から居心地悪そうにしていた美優が口を開いた。
「何?」
「この店、高いんじゃない?」遠慮がちに彼女が言った。
「気にしなくていいよ。今日は僕の奢りだから」
「余計に気にするよ。割り勘にしようよ」
「いや、本当に大丈夫だから」
実を言うと、そんなに高くない。個室で、窓からは夜景が見えて、天井にはシャンデリアが下がっていて、雰囲気はいかにも高級レストランと言った感じだが、若者向けのリーズナブルなフレンチのコースが売りのお店だ。ただ、心配そうな彼女の様子が面白いので、真実は伝えないでおくことにした。
タキシードに身を包んだ店員が近づいてきた。
「本日はディナーコースのご予約と伺っております。こちらワンドリンク性となっておりますがどう致しましょうか」
「私は、ミモザで」美優がドリンクメニューを一瞥して答えた。
「僕もそれで」
一礼して、店員は去っていった。
「この間はごめんなさい」
彼女は頭を下げた。耳にかけた髪がはらりと前に垂れる。
彼女が家に来てから一ヶ月が経過していた。
「お気になさらず。少しは楽になった?」
「うん、おかげさまで」少し歯切れ悪い様子で、彼女は答えた。
しばらくして、飲み物と前菜が運ばれてきた。料理の見た目は値段相応といった感じだった。
彼女は慣れた様子でナイフとフォークを動かしている。
「こういう店、よく来るの?」
「父がフレンチが好きで、小さい頃からよく家族で食べに行ってたの」
「そうなんだ。いや、所作が綺麗だなと思って」
「慣れてるから。でも、最初はナイフとフォークの使い方が下手で、よく注意されてた」
「そっか」
「ところで、今日はなんでこのお店にしたの?いつもこんなきちんとした店じゃないのに」
「いや、たまにはこういうのもいいかなと思って。同僚の先生に教えてもらったんだけどね」
「そうなんだ。いいお店だね。雰囲気もいいし、料理も美味しい」
彼女はそう言って、グラスを傾けた。
その後、スープ、パスタ、肉料理が出てきた。どれも美味しく、特に肉料理は値段からは考えられないほど美味しかった。
食事を終えると、コーヒーが運ばれてきた。
コーヒーを運んできた店員に、請求書を早めに持ってくるように頼んだ。これからする話を邪魔されたくなかったからだ。
しばらくして、請求書が運ばれてきた。
僕は、コーヒーで喉を潤してから、ゆっくりと口を開いた。
「美優。話があるんだ。聞いてくれる?」
「うん、何?」
緊張で口が乾いていた。もう一度コーヒーで喉を潤す。
「この間から、ずっと考えてた。どうしたら力になれるんだろうって」
「うん」
彼女は目を伏せた。表情が分かりにくくなる。
「もう、嫌なんだ。君を一人で苦しませるのは。後から知って後悔するのはもうたくさん」
「ごめん、私が弱いから、心配をかけてしまって」
美優は下を向いて、唇を噛んでいた。
違う、そんな顔をさせたいわけじゃない。
「顔を上げて。こっち向いて」
美優はゆっくりと顔を上げた。目を合わせたが、すぐに逸らされてしまう。
僕は大きく息を吸った。鞄の中にある、四角い箱に手を添える。
「僕は、君が辛い時一番そばにいて、支えられる存在が僕でありたい、そう思うんだ。反対に、僕が苦しい時、君にそばで支えてほしい。君に忘れたい過去があることも、今も苦しんでることもわかってる。それも、全部受け入れるから。だから、僕との未来を考えてくれませんか?」
僕は鞄から手のひらサイズの黒い箱を取り出した。箱を開けると、真ん中に小さなダイヤがついたシルバーのリングが、輝いていた。彼女の方へそれを差し出す。
「僕と結婚してください」
彼女の方を見る。美優は、嬉しさと悲しさが入り交じった、泣き笑いのような表情をしていた。
「少し、考えさせてほしい」
彼女はそう言って、俯いた。
「わかった。答えは急がないから、ゆっくり考えて」
彼女は頷くと、僕の手元にあった請求書を手に取る。一瞥すると、半分のお金をテーブルに置いた。
「今日は先に帰るね」
「駅まで送る」
「大丈夫」
彼女は席を立った。コートを羽織って、僕に小さく手を振ると、言ってしまった。
テーブルの上に置かれた指輪は、照明の光を反射して輝いていた。僕らの思いとは正反対で、眩しいほどに輝いていた。
部屋で一人、天音橙子は大きくため息をついた。明日は用事が出来たので会えない、と彼から連絡があった。
ドタキャンされたのはこれで何度目だろうか。何度もこういうことがあると、嫌でも疑ってしまう。
そろそろ見切りをつけてしまおうか。彼と、今の関係以上になるビジョンは見えなかった。
ここ数年のうちに付き合う男性がコロコロ変わっていた。別れを切り出すのはいつも自分からだ。その時の決まり文句は、あなたとは先が見えない、である。
先が見えない男との恋愛はただの時間の無駄、それが私の恋愛観だ。
ふと、妹達のことを考えた。彼女らは先など見えないのが当たり前の学生時代から、ずっと付き合っている。妹の話を聞くに、関係がずっと良好というわけではなかっただろう。
何が彼女らをそうまでさせるのだろうか。
私は羨ましかった。将来とかお金とか、そういうしがらみを全てなげうって一緒にいたいと思えることが。
玄関のドアの音がした。彼氏と食事に行っていた妹が帰ってきたようだ。
妹の足音は廊下を進み、私の部屋の前で止まった。ノックもせず、扉を開けて部屋に入ってくる。
「おかえり」私は妹に声をかけた。
美優は何も言わず、私のベッドに倒れ込んだ。カバンもコートも身につけたままだ。
「何かあったの?」
妹からの返事はない。
もう一度尋ねようとすると、美優が何か言った。声が小さくて聞き取れなかった。
「なんて?」
プロポーズされた、と美優は言った。
「マジで?」
「マジ」
美優は足をパタパタ動かしている。
不意に、体を起こした。
「どうしよう」美優は不安そうに言った。
「どうしようって、嬉しくないの?」
「嬉しいけど・・・・・・。だって、わからないから。どうして私なのか」
美優は、私の枕に顔をうずめた。私でいいのかな、くぐもった声が聞こえた。
「知らないよ、そんなの。気になるならちゃんと彼に聞いてごらん。あたしなんかに聞くよりずっといいよ」
うん、そう言って彼女は体を起こした。
「やばいなあ。こんなポンコツ妹に先越されるのか、私は」
「どういう意味?」妹が膨れて言う。
そのまんまの意味だよ、そう言って私は妹の頭に手を伸ばす。整えられた髪をぐしゃぐしゃにする。
やめてよ、と美優は不平を言ったが、構わず続けた。
しばらく続けていると、彼女は私の手を振り払った。
鞄から手鏡を取り出して、髪を直そうとした美優を私は抱きしめた。
「もう、さっきから何?」美優が不満そうに述べる。
「ちゃんと、幸せになってね。約束」
妹はうん、と言って私の肩口に額を押し付けた。控えめな香水の香りが鼻腔をくすぐった。
今の季節のことを師走とは言うが、本当に走っているかのように、人々は忙しく過ぎ去っていく。車窓から街を眺めながら、僕はそう思った。
クリスマスは過ぎ去り、あと数日で、年の瀬を迎えようとしている。
彼女にプロポーズをしてから二週間がたっていた。
答えは急がないとは言ったものの、こうも放っておかれると、不安になってしまう。
やっぱりもう少し後にした方が良かったかな、なんて思ってももう遅い。
家の引き出しでは受け取ってもらえなかった指輪が、相変わらず輝いているのだろう。
人の気も知らないで、とつい思ってしまう。物言わぬ石にそんなことを言ってもしょうがないのに、他に今の感情を吐露する対象は見つからなかった。
ポケットの中で、スマートフォンが震える。
停車中に確認すると、美優から二週間ぶりに連絡が来ていた。
『まだ仕事?』
『今帰ってるとこ』
『わかった』
家に着くと、美優がドアの前で待っていた。
「ごめん、待った?」
「今着いたところだから、気にしないで」
「そっか。まあとりあえず上がって」
ドアを開けて家の中に入ったが、彼女は着いてこない。玄関で立ち止まったままだ。
「どうしたの?」彼女に声をかける。
「ねえ、少し外を歩かない?」
「寒いよ、外は」
「いいの、歩きたい。ダメ?」
「わかった、荷物置いてくるから少し待ってて」
僕は荷物を置いて、ついでに引き出しから指輪を取り出し、コートのポケットに入れた。
僕の住んでいるアパートは閑静な住宅街の中にある。学校が近くにあり、昼間は子供たちの声が聞こえてくることもある。
街灯の下、僕の少し先で、道路の白線を辿りながら、彼女はゆっくりと歩いている。
曲がり角で彼女は立ち止まった。道は3方向に別れている。
「まっすぐ行ったら団地、左は学校、右は公園」
「じゃあ右かな」
彼女は、右に曲がった。僕もそれについて行く。
しばらくして、彼女が不意に立ち止まった。
振り返って僕の顔を見る。
「ねえ、どうして私なの?」
「え?」僕は頓狂な声を上げた。
「結婚しようって言ってくれたの、すごく嬉しかった。でも・・・・・・どうしてかなって。どうしてそこまで想ってくれるの?」
彼女は、再び歩き始めた。白線の上で、彼女の体がゆらゆらと揺れていた。
ふと、見上げると三日月が頭上で光を放っていた。
「そうだね。月が綺麗、だからかな」
彼女は振り返ってキョトンとしている。
「あれ?伝わってない?」
「わかってるよ、意味くらい。それだけなの?」
「そうだけど、ダメ?それ以上の理由が必要?」
というより、僕にはそれ以外の理由は思いつかなかった。世の男性達は、こんな時どういう口説き文句を持っているのだろうか。まさか、君の財布が気に入ったとか、外見が好みだからとかそんなことをいうはずはあるまい。
しばらく沈黙が流れた。二人で会話もなく黙々と歩き続けた。
眼前に公園が見えてきた。昼間は子供たちで賑わっている公園も、夜になると別の場所のようだ。
公園のベンチに腰かけるとお尻から冷たさがつたわってきた。
「さっきも言ったけど、結婚しようって言ってくれたのは本当に嬉しいの。でも、私は自信が無い。あなたの隣に立つ自信が」
「そんなの僕だってないよ。僕も、自分なんかでいいのかなって思うよ。でも、そんなこと考えてたって仕方がないよ」
それに、と僕は続けた。
「自信なんてなくたっていい。僕が君のそばにいたいんだ。だから、不安かもしれないけど、着いてきてくれないかな」
彼女の方を見ると、彼女の目は潤んでいた。
「私なんかでいいの?」
「君でいいんじゃない、君がいいんだ」
うん、と彼女は言った。その瞳から涙がこぼれる。
僕は指先で、涙をそっと拭った。
「私も、亮太君がいい」
そう言って、彼女は僕の首に腕を回して、ゆっくりと唇を重ねた。熱さが、じんわりと伝わる。
慣れないことをしたせいで、鼻がぶつかってしまった。2人で顔を見合わせて笑う。
僕はコートのポケットから指輪を取り出した。彼女の薬指にそれをはめる。
素敵、と彼女が呟く。その顔は幸せそうだった。思わず僕の顔も緩む。
僕は、彼女の手を取った。
「美優、これからよろしく」
こちらこそ、そう言って彼女は微笑んだ。
空を見上げると、三日月に雲がかかり始めていた。鈍い月明かりを受けて、彼女の左手が輝いた。
物語は終幕へと・・・




