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幸せの定義  作者: 八重
8/12

誓う日

「あのさ」

 先程から居心地悪そうにしていた美優が口を開いた。

「何?」

「この店、高いんじゃない?」遠慮がちに彼女が言った。

「気にしなくていいよ。今日は僕の奢りだから」

「余計に気にするよ。割り勘にしようよ」

「いや、本当に大丈夫だから」

 実を言うと、そんなに高くない。個室で、窓からは夜景が見えて、天井にはシャンデリアが下がっていて、雰囲気はいかにも高級レストランと言った感じだが、若者向けのリーズナブルなフレンチのコースが売りのお店だ。ただ、心配そうな彼女の様子が面白いので、真実は伝えないでおくことにした。

 タキシードに身を包んだ店員が近づいてきた。

「本日はディナーコースのご予約と伺っております。こちらワンドリンク性となっておりますがどう致しましょうか」

「私は、ミモザで」美優がドリンクメニューを一瞥して答えた。

「僕もそれで」

 一礼して、店員は去っていった。

「この間はごめんなさい」

 彼女は頭を下げた。耳にかけた髪がはらりと前に垂れる。

 彼女が家に来てから一ヶ月が経過していた。

「お気になさらず。少しは楽になった?」

「うん、おかげさまで」少し歯切れ悪い様子で、彼女は答えた。

 しばらくして、飲み物と前菜が運ばれてきた。料理の見た目は値段相応といった感じだった。

 彼女は慣れた様子でナイフとフォークを動かしている。

「こういう店、よく来るの?」

「父がフレンチが好きで、小さい頃からよく家族で食べに行ってたの」

「そうなんだ。いや、所作が綺麗だなと思って」

「慣れてるから。でも、最初はナイフとフォークの使い方が下手で、よく注意されてた」

「そっか」

「ところで、今日はなんでこのお店にしたの?いつもこんなきちんとした店じゃないのに」

「いや、たまにはこういうのもいいかなと思って。同僚の先生に教えてもらったんだけどね」

「そうなんだ。いいお店だね。雰囲気もいいし、料理も美味しい」

 彼女はそう言って、グラスを傾けた。

 その後、スープ、パスタ、肉料理が出てきた。どれも美味しく、特に肉料理は値段からは考えられないほど美味しかった。

 食事を終えると、コーヒーが運ばれてきた。

 コーヒーを運んできた店員に、請求書を早めに持ってくるように頼んだ。これからする話を邪魔されたくなかったからだ。

 しばらくして、請求書が運ばれてきた。

 僕は、コーヒーで喉を潤してから、ゆっくりと口を開いた。

「美優。話があるんだ。聞いてくれる?」

「うん、何?」

 緊張で口が乾いていた。もう一度コーヒーで喉を潤す。

「この間から、ずっと考えてた。どうしたら力になれるんだろうって」

「うん」

 彼女は目を伏せた。表情が分かりにくくなる。

「もう、嫌なんだ。君を一人で苦しませるのは。後から知って後悔するのはもうたくさん」

「ごめん、私が弱いから、心配をかけてしまって」

 美優は下を向いて、唇を噛んでいた。

 違う、そんな顔をさせたいわけじゃない。

「顔を上げて。こっち向いて」

 美優はゆっくりと顔を上げた。目を合わせたが、すぐに逸らされてしまう。

 僕は大きく息を吸った。鞄の中にある、四角い箱に手を添える。

「僕は、君が辛い時一番そばにいて、支えられる存在が僕でありたい、そう思うんだ。反対に、僕が苦しい時、君にそばで支えてほしい。君に忘れたい過去があることも、今も苦しんでることもわかってる。それも、全部受け入れるから。だから、僕との未来を考えてくれませんか?」

 僕は鞄から手のひらサイズの黒い箱を取り出した。箱を開けると、真ん中に小さなダイヤがついたシルバーのリングが、輝いていた。彼女の方へそれを差し出す。

「僕と結婚してください」

 彼女の方を見る。美優は、嬉しさと悲しさが入り交じった、泣き笑いのような表情をしていた。

「少し、考えさせてほしい」

 彼女はそう言って、俯いた。

「わかった。答えは急がないから、ゆっくり考えて」

 彼女は頷くと、僕の手元にあった請求書を手に取る。一瞥すると、半分のお金をテーブルに置いた。

「今日は先に帰るね」

「駅まで送る」

「大丈夫」

 彼女は席を立った。コートを羽織って、僕に小さく手を振ると、言ってしまった。

 テーブルの上に置かれた指輪は、照明の光を反射して輝いていた。僕らの思いとは正反対で、眩しいほどに輝いていた。



 部屋で一人、天音橙子は大きくため息をついた。明日は用事が出来たので会えない、と彼から連絡があった。

 ドタキャンされたのはこれで何度目だろうか。何度もこういうことがあると、嫌でも疑ってしまう。

 そろそろ見切りをつけてしまおうか。彼と、今の関係以上になるビジョンは見えなかった。

 ここ数年のうちに付き合う男性がコロコロ変わっていた。別れを切り出すのはいつも自分からだ。その時の決まり文句は、あなたとは先が見えない、である。

 先が見えない男との恋愛はただの時間の無駄、それが私の恋愛観だ。

 ふと、妹達のことを考えた。彼女らは先など見えないのが当たり前の学生時代から、ずっと付き合っている。妹の話を聞くに、関係がずっと良好というわけではなかっただろう。

 何が彼女らをそうまでさせるのだろうか。

 私は羨ましかった。将来とかお金とか、そういうしがらみを全てなげうって一緒にいたいと思えることが。

 玄関のドアの音がした。彼氏と食事に行っていた妹が帰ってきたようだ。

 妹の足音は廊下を進み、私の部屋の前で止まった。ノックもせず、扉を開けて部屋に入ってくる。

「おかえり」私は妹に声をかけた。

 美優は何も言わず、私のベッドに倒れ込んだ。カバンもコートも身につけたままだ。

「何かあったの?」

 妹からの返事はない。

 もう一度尋ねようとすると、美優が何か言った。声が小さくて聞き取れなかった。

「なんて?」

 プロポーズされた、と美優は言った。

「マジで?」

「マジ」

 美優は足をパタパタ動かしている。

 不意に、体を起こした。

「どうしよう」美優は不安そうに言った。

「どうしようって、嬉しくないの?」

「嬉しいけど・・・・・・。だって、わからないから。どうして私なのか」

 美優は、私の枕に顔をうずめた。私でいいのかな、くぐもった声が聞こえた。

「知らないよ、そんなの。気になるならちゃんと彼に聞いてごらん。あたしなんかに聞くよりずっといいよ」

 うん、そう言って彼女は体を起こした。

「やばいなあ。こんなポンコツ妹に先越されるのか、私は」

「どういう意味?」妹が膨れて言う。

 そのまんまの意味だよ、そう言って私は妹の頭に手を伸ばす。整えられた髪をぐしゃぐしゃにする。

 やめてよ、と美優は不平を言ったが、構わず続けた。

 しばらく続けていると、彼女は私の手を振り払った。

 鞄から手鏡を取り出して、髪を直そうとした美優を私は抱きしめた。

「もう、さっきから何?」美優が不満そうに述べる。

「ちゃんと、幸せになってね。約束」

 妹はうん、と言って私の肩口に額を押し付けた。控えめな香水の香りが鼻腔をくすぐった。



 今の季節のことを師走とは言うが、本当に走っているかのように、人々は忙しく過ぎ去っていく。車窓から街を眺めながら、僕はそう思った。

 クリスマスは過ぎ去り、あと数日で、年の瀬を迎えようとしている。

 彼女にプロポーズをしてから二週間がたっていた。

 答えは急がないとは言ったものの、こうも放っておかれると、不安になってしまう。

 やっぱりもう少し後にした方が良かったかな、なんて思ってももう遅い。

 家の引き出しでは受け取ってもらえなかった指輪が、相変わらず輝いているのだろう。

 人の気も知らないで、とつい思ってしまう。物言わぬ石にそんなことを言ってもしょうがないのに、他に今の感情を吐露する対象は見つからなかった。

 ポケットの中で、スマートフォンが震える。

 停車中に確認すると、美優から二週間ぶりに連絡が来ていた。

『まだ仕事?』

『今帰ってるとこ』

『わかった』

 家に着くと、美優がドアの前で待っていた。

「ごめん、待った?」

「今着いたところだから、気にしないで」

「そっか。まあとりあえず上がって」

 ドアを開けて家の中に入ったが、彼女は着いてこない。玄関で立ち止まったままだ。

「どうしたの?」彼女に声をかける。

「ねえ、少し外を歩かない?」

「寒いよ、外は」

「いいの、歩きたい。ダメ?」

「わかった、荷物置いてくるから少し待ってて」

 僕は荷物を置いて、ついでに引き出しから指輪を取り出し、コートのポケットに入れた。

 僕の住んでいるアパートは閑静な住宅街の中にある。学校が近くにあり、昼間は子供たちの声が聞こえてくることもある。

 街灯の下、僕の少し先で、道路の白線を辿りながら、彼女はゆっくりと歩いている。

 曲がり角で彼女は立ち止まった。道は3方向に別れている。

「まっすぐ行ったら団地、左は学校、右は公園」

「じゃあ右かな」

 彼女は、右に曲がった。僕もそれについて行く。

 しばらくして、彼女が不意に立ち止まった。

 振り返って僕の顔を見る。

「ねえ、どうして私なの?」

「え?」僕は頓狂な声を上げた。

「結婚しようって言ってくれたの、すごく嬉しかった。でも・・・・・・どうしてかなって。どうしてそこまで想ってくれるの?」

 彼女は、再び歩き始めた。白線の上で、彼女の体がゆらゆらと揺れていた。

 ふと、見上げると三日月が頭上で光を放っていた。

「そうだね。月が綺麗、だからかな」

 彼女は振り返ってキョトンとしている。

「あれ?伝わってない?」

「わかってるよ、意味くらい。それだけなの?」

「そうだけど、ダメ?それ以上の理由が必要?」

 というより、僕にはそれ以外の理由は思いつかなかった。世の男性達は、こんな時どういう口説き文句を持っているのだろうか。まさか、君の財布が気に入ったとか、外見が好みだからとかそんなことをいうはずはあるまい。

 しばらく沈黙が流れた。二人で会話もなく黙々と歩き続けた。

 眼前に公園が見えてきた。昼間は子供たちで賑わっている公園も、夜になると別の場所のようだ。

 公園のベンチに腰かけるとお尻から冷たさがつたわってきた。

「さっきも言ったけど、結婚しようって言ってくれたのは本当に嬉しいの。でも、私は自信が無い。あなたの隣に立つ自信が」

「そんなの僕だってないよ。僕も、自分なんかでいいのかなって思うよ。でも、そんなこと考えてたって仕方がないよ」

 それに、と僕は続けた。

「自信なんてなくたっていい。僕が君のそばにいたいんだ。だから、不安かもしれないけど、着いてきてくれないかな」

 彼女の方を見ると、彼女の目は潤んでいた。

「私なんかでいいの?」

「君でいいんじゃない、君がいいんだ」

 うん、と彼女は言った。その瞳から涙がこぼれる。

 僕は指先で、涙をそっと拭った。

「私も、亮太君がいい」

 そう言って、彼女は僕の首に腕を回して、ゆっくりと唇を重ねた。熱さが、じんわりと伝わる。

 慣れないことをしたせいで、鼻がぶつかってしまった。2人で顔を見合わせて笑う。

 僕はコートのポケットから指輪を取り出した。彼女の薬指にそれをはめる。

 素敵、と彼女が呟く。その顔は幸せそうだった。思わず僕の顔も緩む。

 僕は、彼女の手を取った。

「美優、これからよろしく」

 こちらこそ、そう言って彼女は微笑んだ。

 空を見上げると、三日月に雲がかかり始めていた。鈍い月明かりを受けて、彼女の左手が輝いた。

物語は終幕へと・・・

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