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幸せの定義  作者: 八重
4/12

祝う日

 今日は普通の一日になる予定だ。そう自分に言い聞かせながら僕は部屋のカーテンを開けた。朝日が眩しいほどに差し込んでくる大きな窓が、この部屋を気に入っている点の一つだった。

志望校に合格した僕は、春から一人暮らしを始めた。母親は反対していたが、父親が全面的に味方をしてくれたおかげで、僕はこのアパートの一室での生活を手に入れた。ただし、一定額の仕送りを送るが、足りない生活費に関しては自分でまかなうことが条件だった。仕送り以上のお金を求めた時点で、実家に戻ることを約束させられた。

 節約すれば余裕だろう、と楽観視していたがそう上手くいくはずもなく、僕はバイトに追われる日々を送るハメになった。旅行したい、ドライブしたいなどと彼女に言ったが、大学生活が始まって半年がたったというのに、何ひとつとして実現出来ていなかった。

 切羽詰まった生活費の中から、旅行の費用を捻出できるはずもなく、自動車学校に通う暇もない。それどころか、忙しさにかまけて彼女と会う頻度も激減していた。

 今日は10月15日、実を言うと僕が生まれてから、ちょうど19年の日だ。だが、僕はその記念日を一人で過ごそうとしていた。

 バイトも大学も休みで、友人と遊ぶ予定もなかった。美優からの連絡を期待したが、何も無かった。バイトのせいで月に数回しか会えていない。そんなやつの誕生日など忘れられても仕方が無い。

 昼まで布団の中で過ごした僕は、昼ご飯を作ろうと、起き上がった。冷蔵庫を開けたが、食べ物はほとんど入っていなかった。

仕方なく、着替えて買い物に出かける。近所のスーパーマーケットに行き、適当に食材を選ぶ。

 レジに向かおうとした僕はある陳列棚の前で足を止めた。そこにはケーキを初めとした洋菓子が並んでいた。悩んだ末に僕は何も手に取らず、レジに向かった。何だか虚しさが増すような気がしたからだ。

 家に帰る前に、レンタルビデオ屋に寄り、映画のDVDをいくつか借りた。あまりお金をかけずに楽しめるので、自宅での映画鑑賞が趣味になりつつあった。

 昼ごはんを食べ終わったところで、スマートフォンが鳴った。美優からメッセージが届いていた。

「今日家にいる?」


 連絡から二時間後、美優が訪ねてきた。

「ごめんね、急に」

「いや、全然大丈夫。暇だったし。というか俺の方こそごめんね。急だったから片付ける時間がなくって」

「えー、全然綺麗だよ」彼女は笑いながら言った。

「そうかな」

 連絡が来てから必死に片付けたのだから綺麗なのは当然だ。見栄を張って、さも普段から整っているように振る舞っていたのだが、なんの疑いもなく褒められると何だか悪い気がした。

「それで、今日はどうしたの?」

 来訪の理由は分かっているが、気づいてないふりをして尋ねる。

「今日、亮太君の誕生日だから。それで、ケーキを・・・・・・」

「わざわざ買ってきてくれたの?」

「いや・・・・・・買ったわけじゃなくて」彼女は口ごもった。

「もしかして作ってくれたの?」

「うん、手料理食べたいって言ってたから」

 美優は少し頬を染めて、気恥ずかしさを隠すように前髪に触れた。

「あれ、覚えててくれたんだ」

「うん。一番簡単に出来そうなのが、これだったから」

「ちょっと待ってて。紅茶入れるから」

 湯沸かし器でお湯を沸かして、インスタントの紅茶を用意した。

 彼女の作ってくれたチョコレートケーキの上には、プレート状のチョコがのっていて、チョコペンで「HappyBirthday」と描かれていた。

 美優はケーキを切り分けて、プレートをのせたほうを僕に差し出した。

 あっ、と彼女が不意に声を上げた。

「ロウソク買ってくるの忘れた。来る途中に買ってこようと思ってたのに。亮太君持ってる?」

「うーん、家にはないな。まあ、いいんじゃない?無しでも」

 その後、美優が「Happy Birthday to you」を歌ってくれた。顔を赤くしながら、それでも最後まで歌ってくれたのが嬉しかった。

 ケーキは思っていた以上に美味しかった。すごく美味しい、というと彼女は嬉しそうに笑った。

 ケーキを食べ終わったあと、借りてきた映画を見ることにした。SNSで話題になっていたから借りたのだが、内容はありきたりな恋愛映画で、僕はすぐに退屈になった。

画面の中では、イケメン俳優がアイドルに壁ドンをしている。横をちらりと見ると、美優は意外に真剣に見ていた。やっぱり女子はこういう映画が好きなのだろうか。

「こういうの憧れたりする?」小声で話しかける。

「別に憧れたりはしないかな。普通にされたらひくと思うし。だけど・・・・・・」

「だけど?」

「いや、やっぱなんでもない」

 美優は黙り込んでしまった。

「何、そこでとめられたら気になるんだけど」

「壁ドンとかそんなのはどうでもいいの。ただ、やっぱりカップルって普通はこういう感じなのかなって。私、恋人らしいこと何もしてあげられてないから」

 彼女は目を伏せた。ダメだよね、と呟いた。

「別によくない?こうしないといけないなんて決めつけなくたって。一般論とか他人の意見に左右される必要なんかないでしょ。さっきもケーキにロウソク立てなかったけど、別になんの問題もなかった。恋人としてのあり方だって同じだよ。僕らが幸せだと思えばそれで構わない」

「ロウソクと一緒にしないで。全然違うことだよ」 彼女はどこか責めるような口調で言った。

「それに、私には亮太君が幸せかどうかなんてわからない。幸せだって言ってても心の中はわからないから。それに、そもそも幸せってどんなものかもよくわからない。曖昧すぎるもの」

 返す言葉が思いつかなかった。

 いつの間にか画面にエンドロールが流れ始めていた。

 ごめんなさい、と美優が呟いた。

「せっかくの誕生日なのにこんな話してしまって」

「いいよ、始めたのは僕だし」

 それから美優は黙り込んでしまった。僕はもう一度初めから映画を再生した。退屈なことに変わりはなく、彼女の言葉がずっと頭の中を回っていた。


 目を覚ました時、状況を理解するのに時間を要した。外は真っ暗で時計の短針は真上に届こうとしていた。横では美優が、気待ちよさそうに眠っている。テレビにはDVDのメニュー画面が映っていた。どうやら、二人して眠っていたようだ。

 美優を起こして、スマートフォンで電車の時刻表を確認したが、終電は無くなっていた。


 一日くらい平気だよ、と言ったもののソファで寝るというのは案外辛いものだった。

 横に敷かれた布団では、美優が寝息をたてている。あんな話をされた後で、一緒の布団でなどと言い出せるはずもなかった。

 僕と彼女は、未だ深い関係になったことはない。結局の所、彼女の懸念はそこなのだろう。彼女からはっきりと拒否された訳ではない。ただ、僕から誘ったことも無い。彼女は、僕が遠慮していると思っているのだろう。

 確かに僕も人並みに欲はあるし、彼女とそういう仲になりたいという思いはある。ただ、それよりも大事なことがあると言うのが僕の考えだ。だから、僕は無理して我慢している訳では無い。昼間のやりとりでそれが伝わっていればいいのだが。直接そういう話をする勇気は、僕にはなかった。


 夜中に異変を感じて目が覚めた。

 横で眠っている美優の息遣いが異常に荒い。悪夢にうなされているようだった。起こしてあげた方がいいのか迷っていると、彼女が不意に起き上がった。苦しそうに肩で息をしている。彼女の頬を涙が流れた。

 彼女の悪夢の原因は一つしか思い付かなかった。

「いつからそうなの?」

 問いかけると、美優は驚いたようにこちらを向いた。僕が起きているとは思っていなかったようだ。

「事件の後から、たまにこういうことがあって。病院にもいったけど、心因性のものだろうって」息を整えるように、彼女はゆっくりと喋った。

「ずっと一人で苦しんでたの?」

 美優は何も言わなかった。

「ごめんね、気づいてあげられなくて」

 近づいて、美優の手を取ろうとした。嫌っ、と彼女が声を上げ、小さな破裂音がした。指先が彼女に触れる寸前、僕の手は彼女の手に弾かれていた。

「ごめん」

「違う、違うの。亮太君が嫌なわけじゃなくて。今、反射的に体が動いてて。ごめんなさい」彼女は項垂れて、謝罪を続けた。

 心のどこかで期待していた。少しずつ「痛み」は薄まり、彼女の中から消えていくのではないかと。いつか、「恋人らしい」そんな関係になれるのではないかと。

 しかし、たった今思い知らされた。彼女は未だあの日から動けずにいるのだ。暗い路地裏で、今もうずくまったままなのだ。

 しかし、僕には彼女を見棄てることなどできなかった。目の前で震えながら泣きじゃくる彼女を路地裏に置き去って、自分一人逃げることはできない。

 涙を拭うことも、見捨てることも出来ず、僕はただ見守るだけだった。


 朝になると、美優はいなかった。テーブルの上には「昨日はごめんなさい」と書かれた置き手紙が残してあった。

 僕は彼女にまたね、とメッセージを送った。

 冷蔵庫を開けると、美優の作ってくれたケーキの余りが入っていた。コーヒーを入れて、朝食代わりにそれを食べることにした。

 昨夜の出来事が鮮明に脳裏にこびりついていた。

 とうとう僕は彼女の涙を拭ってやることすらできなくなってしまった。思えば、僕が彼女を救ったことなど一度もなかった。ただ、全部終わったあとで、慰めることしかできていなかった。それだけで、彼女を支えているつもりでいた。

 結局、僕は傍観者でしかない。彼女を救うヒーローにはなれない。

 露呈しかけた弱さをコーヒーと共に飲み下した。ほろ苦さがいつまでも口に残っているような気がした。

もうちょっとだけ鬱展開が続くんじゃ

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