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幸せの定義  作者: 八重
3/12

旅立つ日

 3月のある日、僕は花束と卒業証書を持って、葉の落ちた木の下に立っていた。

 ドラマの世界では、桜の木の下で卒業していく高校生達が描かれるが、現実はそうはいかない。まだ寒さが厳しく、寂しげな雰囲気の中、僕達は3年間を過ごした学舎を後にする。

 あっという間だったように思う。特にこの1年は、受験生ということもあり、驚くほど早く過ぎ去った。

 幼い頃から教師に憧れていた僕は、家の近所にある県立大学の、教育学部を受験した。まだ結果は出ていないので気が気でないのだが、美優は大丈夫でしょ、と気弱な僕を励ましてくれた。そんな美優はというと、別の県立大学の薬学部に、推薦入試で内定をもらい、僕より早く受験を終えてしまった。

 彼女ならもっとランクの高い大学を狙えたのではないかと僕は思ったが、彼女はこれ以上勉強したくはない、と笑いながら言った。

 正門付近では、卒業式と最後のホームルームを終えた生徒達が、せわしなく写真を撮っていた。卒業生という肩書きを得た生徒達は、なんの躊躇いもなく校内でスマートフォンを使っている。それを咎める教師もいない。それどころか生徒にスマートフォンを向けられ、嬉しそうに笑みを浮かべ、ピースサインを掲げている。

 いささか奇妙な光景に思えたが、これが当然なのだろう。卒業式という形だけの儀式を境に僕達の関係は変わってしまった。もう、生徒と教師という間柄では無いのだ。僕らの青春の時間は終わった。一ヶ月後には、ある者は大学生として、ある者は社会人として、またある者は浪人生として、新しい世界に飛び込み、溶け込んでいく。そんなふうに考えると、卒業式中に涙のひとつも流さなかった僕も、一抹の寂しさを感じた。

 気を紛らわすために、目に付いた友人達に声をかけ、写真撮影を求めた。そうしていると、クラスメイトも何人か寄ってきた。しばらく思い出作りに興じているうちに、寂しさは消えてしまった。

 一通り写真も撮り終わったが、まだ美優との写真を撮っていなかった。別にこれからも会うので、わざわざ撮る必要はないが、何となく記念になるかなと思った。

 校庭にいる生徒も疎らになり始めた。部活をしていた生徒は、追いコンのようなものがあるのだろう。だが、美優も帰宅部だったので、僕と同様に、暇なはずだ。スマートフォンで居場所を聞こうかと思ったが、一足先に彼女からメッセージが届いていた。


 呼び出されて、体育館裏に行ってみると彼女は体育館の外壁にもたれるようにして立っていた。

 近づくとコートのポケットから、缶コーヒーを取り出して渡してくれた。礼を言って受け取ると、彼女はペットボトルの紅茶を取り出した。

 一息ついたところで、彼女が口を開いた。

「卒業だね、今日で」

「そうだね。まあ俺はまだ学校に行かないといけないけど」

「亮太君なら受かってるって。大丈夫だよ」彼女は微笑んだ。

「だといいけど」

 沈黙が僕らを包んだ。

 何となく居心地が悪くなって、僕の方から口を開いた。

「そうだ、後で写真撮ろうよ。正門の前で」

 彼女の返事はなかった。

「どうかした?」

「その・・・・・・不安なの、変わってしまうのが」

「変わるって何が?」

「今が変わってしまうことが」

 変わること、それは先程まで僕も考えていたことだ。同じようなことを考えていたのか、と思ったが、違和感を覚えた。彼女と僕の思考は似ているように見えて、その本質は異なるものではないだろうか。

 彼女の表情はその違和感を強固にした。いつもの彼女は、毅然としていて、どこか強い印象を与える表情をしていた。それは、あの日から特に顕著に感じるようになった。でも、今の彼女は違った。あの日と同じだ。あの日と同じ弱々しく、ともすれば潰れてしまいそうな、そんな顔をしていた。

「亮太君は、これから多分大学に行って、今より広い世界を見て、たくさんの人に会うよね。私だって同じ。もう今までとは違う。何もしなくても毎日当たり前に会って、話して、傍に居て、そんな日々はもうこない。今日で終わっちゃった。だから不安なの、亮太君が遠くに行っちゃう気がして」

 美優は目を伏せて、終わりたくないよと、そう呟いた。

 僕は自分の間違いに気づいた。彼女は強い女の子ではなかった。彼女は強がっていただけだ。 僕や友人達に、自分が抱える弱さを気づかれないように、ずっと隠してきたのだろう。でも、完璧に隠し続けることは不可能だ。それが露呈したのが今の彼女だ。

 寒空に晒されて彼女の手はひんやりとしていた。その手を温めるように両手で包む。そして、彼女の目を見た。

 彼女が今欲している物は、なんだろうか。どんな言葉なら彼女にたちこめる暗雲を晴らせるだろうか。

 迷った末に、僕は口を開いた。

「終わらないよ」

 美優が、顔を上げた。

「どうして、そんなこと・・・・・・」

「言いきれるよ、自信を持って」彼女の言葉を遮って僕は言った。

「確かに、高校生活は今日で終わりだ。多くの人との関係が変わると思う。今日を境にもう二度と会わない人だっているかもしれない。でも、僕らは違う」

「亮太君は、不安じゃないの?終わらない確証なんてどこにもないよ」

「大学生になったら、二人で旅行に行きたい」

「え?」

 予期せぬ言葉に、彼女は困惑した表情を浮かべた。僕は構わず続けた。

「免許取ったら二人でドライブしたい。成人式には振袖着た美優と写真撮って、一緒にお酒飲んで。遊園地行ったり、色んな美味しいもの食べに行ったり、あと美優の手料理も食べたいな。他にもたくさんあるんだ、二人でやりたいこと。それで、いつか・・・・・・」

 言葉を止めた。未来の話をするのは、ずるい気がしたからだ。それを言ってしまえば、彼女を安心させられるかもしれない。でも、それは同時に彼女を縛りつけてしまうように思えた。

「いつか?」美優が首をかしげた。

「なんでもない、とにかく、たくさんあるんだ。だから大丈夫。終わりになんからないよ。終わりにさせない。それでも不安だと思うなら」

 彼女の手を取って僕の手首のあたりを握らせる。

「こうしてればいい。離れないように」

 ありがと、と美優は小さく呟いた。

 僕は間違えなかっただろうか、最適解はなんだっただろうか。美優が本当に欲しかった言葉はなんだっただろうか。考えても仕方がなかった。

 もやもやを晴らしたくて、僕は彼女の手を再び取った。

「写真撮ろう、二人で」

 彼女の手を引いて正門へと走った。ちょっと待ってよ、と彼女はどこか楽しそうに笑った。


 夕方になって、打ち上げをするお店へと向かった。まだクラスの半数以上は受験生だが、そんなことはお構い無しだ。

 僕の少し前を、美優が綾と話しながら歩いている。先程までの弱々しい彼女はどこにもいなかった。

 危うい、と思った。先程のあれが彼女の本心だとしたら、彼女はずっと「自分」を演じて生きている。だが、それを止めるように言うのは酷だ。彼女が弱さをさらけ出すことは無理だろう。あれの根底にあるのは、他でもなく、彼女の過去の「痛み」だ。そいつは、彼女の中で消えることなく、心を蝕み続ける。そして、その痛みは、それを知った僕や、彼女の家族にも広がっている。近しい人間が、その痛みに苛まれることを彼女は望んでいない。

 彼女の「痛み」をなくす方法は、考えても思いつかなかった。当然だ。僕が感じているものは、「痛み」の模造品に過ぎないからだ。それの本質を理解できるのは、持ち主である彼女だけだ。本質を理解できない者がそれを消し去ることなど出来るはずもない。

 いつの間にか美優が横に来ていた。彼女の顔を見ることは出来なかった。またあの表情を浮かべているような気がしたからだ。

「雪だ」前を歩いていた綾がぽつりと呟いた。

 もう3月だというのに、雪がちらつき始めた。暖かい春は遠く、未だ寒さは続くようだ。

 彼女はそっと、僕の制服の裾を摘んだ。

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