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幸せの定義  作者: 八重
11/12

幸せな日 後編

 玄関先で白川晶子は、僕の顔を見て意外そうな顔をした。

「山崎さん・・・・・・どうされたのですか?」

「少し話があって。今大丈夫ですか?」

 白川晶子は、少し考え込んだ後、どうぞ上がってください、と言って僕と姉を招き入れた。

「昼間、美優さんがいらしていたんですけど」

「ああ、妻とは別件です。すみませんお手数をおかけして」

 白川晶子がコーヒーを入れてくれた。お礼を言ってから、ありがたくいただくことにした。

「妻はどういった要件でここへ?」

「先日は申し訳なかったと、それから要件は何だったのかと聞きにこられました。要件を伝えたら、謝罪を聞いてくれると言ってくださって。ただ、息子が今日は不在なので、また後日ということに」

「それだけですか」

「後は・・・・・・」

 それだけ言って白川晶子は口ごもった。

「何ですか」

「山崎さんとはもう無関係なので関わらないでほしいと」白川晶子は目を逸らしながら言った。

「そう・・・・・・ですか」

「あの、それで今日はどういったご要件でしょうか」

 僕は一度、深く息をついた。

「聞きたいことがあるんです。どうして、謝罪をしようと思われたのですか?」

「それは、息子がきちんと自分の犯した罪を謝罪することが、更生した事を示す一番の方法だと思ったからです。後は・・・・・・なんというか、けじめというか。すみません、うまく言えず」

 僕は再度深く息をついた。根本的に違う。この人は間違っている。

 悪いことをしたらごめんなさい。それは社会的に至極真っ当な行為だ。相手の目の前で、頭を下げてごめんなさいと謝罪することが正しいのだと、皆が小さい頃からそのように教えられて育つ。

 しかし、必ずしも謝ることが正しいのだろうか。例えば、ずっと過去を「痛み」として抱え続けてきた人間に、「痛み」を与えた張本人が突然目の前に現れて、謝罪をしたいのだとそう言うことが本当に正しいのか。正しいはずがない。

「あなたは間違っています」

「間違いですか?私が」

 白川晶子は首を傾げた。

「ええ、間違っています」

「どうしてですか。罪をきちんと謝罪して、全てを解決させることのどこが間違いなのですか」白川晶子は声を震わせていった。

 恐らく、白川晶子にとってそれは正義なのだろう。でも僕はそんなものは望まない。望みたくもない。

「あなたは、勘違いをしていらっしゃる。僕は・・・・・・僕らはね、あなたやあなたの息子さんに謝罪をしてもらったところで、何一つ嬉しくないんですよ。そんなもの望んでないんです」

「でも、美優さんはそれが一番いいって。同意してくださって・・・・・・」

「妻は、とても優しい人なんです。いつも、人のことばっかりで、自分が苦しいのを我慢して・・・・・・。もう、嫌なんですよ。彼女が苦しむのを見るのは」

 白川晶子は黙り込んでいた。じっと、自分の指先の辺りを見つめている。

「あなたの行為は、あなたや息子さんからしたら正しい行為なのかもしれません。でもね、あなた達の行為で、妻の十年間は踏みにじられたんです。それなのに彼女は僕のことを考えて、離婚届を置いて家を出て、あなたの思いを汲み取ろうとして・・・・・・」

「そんなこと言われても・・・・・・。私は正しいと思ったから」

 白川晶子が泣きそうな顔で言った。不思議なことに同情心はまったく湧いてこなかった。

「もし、謝罪によって私達が和解し合えると思っていらっしゃるならそれは大きな間違いですよ。たとえ、妻が許したとしても、私は一生許しません。絶対に」

 だったら、と白川晶子が掠れた声で言った。

「だったら、私達の思いはどうなるんですか。情けない話だとわかっています。いい大人が当時高校生だったあなたの奥さんを傷つけた。許されることではないということは分かっています。でも、息子だって後悔してるんです。きちんと謝罪して、決着をつけさせてやりたいんです。彼は罪を犯したかもしれない。でも、変わろうとしているんです」

 白川晶子は早口でまくしたてた。

「知りませんよ、そんなの」

 僕は吐き捨てるように言った。

「妻は本当はそんなことを望んでいません」僕ははっきりと言い放った。

「どうして、言いきれるのですか?いくら夫婦だからといって、全て分かり合えるわけないでしょう」

 今のすれ違っている状況を指摘されているような気がして、僕は押し黙った。

「あなたに何がわかるの」

 ずっと黙っていた姉が口を開いた。

「あなたの息子が台無しにした美優の人生を、自分の人生かけて取り戻そうとしてるこいつの思いを、あなたに否定する権利なんてあるの?」

 白川晶子は驚いたような顔で固まっていた。何か言おうと口を動かしているが、声になってはいなかった。

「ごめんなさい、言いすぎました」

 そう言って姉は口をつぐみ、俯いた。

「もし、あなたや息子さんが今、罪の意識に苛まれて苦しんでいるなら・・・・・・そのまま苦しめばいいと思います。妻はずっと苦しんだんだ。あなた方もずっと苦しめばいい」

 白川晶子は、何も言わなかった。ただ、黙ってこちらを睨みつけるだけだった。

「私達が分かり合うなんて無理なんですよ。不可能です」

 とどめを刺されたかのように、白川晶子はがっくりと項垂れた。

 でもまだだ。一番大事なことを話せていない。これを言わなければ、美優を守ることはできない。

「私から一つお願いがあります。妻に二度と関わらないでください。あなた方は、妻にとって邪魔以外のなんでもないんです。妻の人生から、消えてください」

 コーヒーを飲み干し、席を立った。

 放心状態の白川晶子を残し、失礼します、と言って部屋を出た。玄関で一度振り返ったが、白川晶子の姿はなかった。

 車に戻ったところで、姉が口を開いた。

「離婚って本当なの?」

「昨日帰ったら離婚届が置いてあった」

「どうするの。諦めるの?美優のこと」

「そんなわけないだろ。何の為にあのばあさんに嫌われたと思ってる」

 幸せを取り戻すためだったら、嫌われるくらい容易いことだった。

 姉がフッと笑った。僕もつられて笑う。

「頑張れよ、ヒーロー」姉がにやけながら言った。

「やめろ、その呼び方」


 インターホンを鳴らし、名乗るとすぐにドアが開いた。お義母さんが出迎えてくれた。

「亮太さん・・・・・・本当にごめんなさい、娘が迷惑かけて」

「いえ、美優は今家にいますか?」

「ええ、どうぞ上がって」

 家に上がると、廊下に美優がたっていた。

「亮太君・・・・・・やっぱり来ちゃったか」困ったように美優は笑った。

「二人で話がしたい」

「私は話すことないんだけどな」

 美優が服の袖を引っ張りながら言った。お義母さんが、美優、とたしなめる。

「時間は取らせない。三十分でいいから」

「わかった」不承不承と言った感じで美優が答えた。

 リビングを借りて、美優と向き合う。

「どうして、出て行ったの?」

「もう好きじゃなくなったから」美優は顔をしかめて答えた。

「嘘つくならもう少し上手につきなよ」僕はたしなめるように言った。

 美優が大きくため息をついた。

「だって亮太君泣いてた。あいつらが来た後に。迷惑かけたくないんだよ、これ以上」

 起きてたのか、と僕は呟いて顔をしかめた。どうやら弱音を吐いたのを見られていたようだ。

 美優はどこか苦しそうな表情をしていた。机の下で足をパタパタと忙しなく動かしている。

「私を守るために必死になって、傷ついて。そんな姿見て、私思ったの。亮太君は私と一緒にいない方が幸せになれるんじゃないかって。そう思ったから。私に亮太君の幸せを邪魔する権利なんてないもの」

 美優は俯いた。

 彼女の覚悟が、生半可なものでは無いことはわかっていた。相当な覚悟がなければ、相手のことを思って離婚するなんて道は選べないだろう。でも、彼女が僕のことを思っての行動だとしても、僕はそれを望まない。でも、どうすればいいかわからなかった。

「幸せ・・・・・・か、何だろうね幸せって」僕は誰に言うでもなく呟いた。

 彼女は答えなかった。

 そのままお互い言葉をかわさず、時間だけが過ぎていった。

 三十分たったよ、と彼女は呟いた。

 このまま終わらせるわけにはいかなかった。彼女を失いたくない。そのために、言葉を尽くすしかなかった。

「昔、言ってなかったっけ。幸せがなんなのかわからないって」

「そんなこと言ったっけ」

「言ってた。あれは確か・・・・・・そうだ、美優が誕生日にケーキ作ってくれた時だ」

「そうだっけ」震える声で彼女は言った。

「幸せがなんなのかわからない。そんなのは当たり前だよ。だって、幸せには明確な定義がないから。だから、誰にもわからないんだ」

 美優が顔を上げた。目を細めてこちらを見る。

「だからね、無駄なんだよ。無数のあったかもしれない誰かとの幸せなんて考えても。そんなのはただの空想でしかない」

「違う、私は亮太君に幸せになってほしいって、思うから。だから、私が消えるのが一番なの。あなたの幸せのために・・・・・・」

 彼女の声は徐々に小さくなっていった。

「それなら教えて。僕はどうやったら一番幸せになれる?これから君を失って、どう生きていけばいい?」

「そんなの・・・・・・わかるわけない」

「じゃあ、そもそもの仮定が間違っている。今以上の幸せなんて物自体が存在しない。だから・・・・・・」

「一緒にいればいいって?そんなはずない。私はあなたを不幸にしてしまった。あなたを一番幸せにできるのは私じゃない。その事実だけは確かに私の中にあるの」僕の言葉を遮って彼女は言った。

 だから一緒にいないほうがいい、口にしなかったが彼女はそう思っているようだった。

「私のことを気づかってくれているならもういいの。この間言ったでしょう?もう大丈夫だって。私はあなたからいっぱい貰った。数え切れないくらいたくさん。だから、もう大丈夫だよ」

 微笑を浮かべる彼女の口元と反対に、彼女の目は光を失っていく。僕を遠ざけるために並べた偽りが彼女の心に刺さっていくように、僕は感じた。

「あなたは、本当に優しい。傷ついた私なんかのために結婚を申し込んでくれるくらい、本当にいい人。だから、ちゃんと幸せになってほしい。お願い」そう言って彼女は目を伏せた。

「今、なんて言った?」

 聞き捨てならない言葉を聞いて、僕は声を荒らげた。

「いい加減にしろよ。どこの世界にお情けで結婚してやるようなお人好しがいるんだ」

 彼女はビクリと肩を震わせた。戸惑ったような目で僕の方を見る。

「僕が何で君にプロポーズしたと思う?それは君と生きたいと、心からそう思ったからだ」

「なんで・・・・・・なんで今そんな事言うの?そんなこと言われたら揺らいじゃうよ。お願いだからもう・・・・・・」

「なぜか?そんなの明白でしょ?僕は君と生きる毎日が一番の幸せだって信じているからだ。どんなに辛くたって、苦しくたって、君と生きたい。君と笑いたい。君の隣にいたい。他の誰かじゃ駄目だ。君がいいんだ」彼女の言葉を遮って僕はまくし立てるように言った。

「なんでそこまでして私なんかを・・・・・・。私、迷惑いっぱいかけるよ。弱いし、すぐ泣くし、亮太君にいっぱい寄りかかってしまう。あなたを・・・・・・不幸にしてしまう」

 彼女の目から涙がこぼれる。彼女の目は真っ赤に腫れていた。

「もしかしたら美優の言う通り、僕も美優ももっと幸せになる方法はあるのかもしれない。でもね、そんなの考えたって仕方がないんだ。僕らは今の日々が一番の幸せだって、そう定義して生きていく他ないんだ」

「そんなの、お互い辛いだけだよ」消え入りそうな声で彼女は言った。

「そうかもしれない。だから・・・・・・だからね、そんなこと考えないで済むように、君が不安にならないくらい君を幸せにしてみせる。だからもう一度だけ、信じて着いてきてくれないかな。もう一度、僕にチャンスを下さい」

 彼女は俯いていて、表情はわからない。ポタポタと雫が彼女のジーンズの上に落ちる。

「私なんかでいいの?」掠れた声で彼女は言った。

 いつかの問いを、彼女は再び僕に投げかけた。僕の答えは決まっている。

「君がいいんだ。君じゃなきゃ嫌なんだ」

 ありがとう、そう言って彼女はぐしゃぐしゃの顔で微笑んだ。

 僕はポケットからハンカチを取り出して、彼女に手渡す。

「さて、帰ろうか」僕は笑顔を浮かべて、彼女に言った。

「うん、帰る」彼女は嬉しそうに答えた。

 彼女の目に残った涙が瞬きによってこぼれた。僕は指先でこぼれ落ちた涙をそっと拭った。



 ある日、いつものように朝食を作りながら、僕は物思いにふけっていた。

 彼女が戻ってきてから一週間以上が経った。僕らは少しずつ日常を取り戻しつつあった。白川達の来訪により、彼女の「痛み」は再び彼女を苦しめている。しかし、それも一時的なものだろう。以前と同じように、乗り越えられると僕は確信している。

 白川晶子はあれから連絡してこなかった。

 彼女に一連のことを伝えると、少し罰の悪そうな顔をして、僕に謝ってきた。彼女はやはり、僕が傷ついたり、辛い思いをすることが辛いのだろう。

 しかし、それは違う。僕は改めて思うのだ。彼女の為ならその痛みは苦ではないと。

 どんなに辛くても苦しくても構わない。なぜなら、彼女と日々を積み重ねていけることが、僕にとって一番の幸せだと胸を張って言えるからだ。

 何度も迷って、失望して、諦めかけて。それでもこの日々がやはり愛おしくて、僕にとっては何物にも代えがたい。

 これから十年、二十年、いやもっと多くの時間を彼女と過ごせるならば、それに勝る幸せなどないのだから。

 こんな気持ちを素直に彼女に伝えたら、彼女の不安は晴れるだろうか。それとも冗談だと思われるだろうか。

 まあ、気恥ずかしくてこんなことはなかなか伝えることは出来ないけれど。でも、幸いにも今の僕達には時間がある。だから大丈夫だろう、きっと。

 湯沸かしポットの音で、僕は我に返った。

 目の前のフライパンでは、目玉焼きの端が少し焦げていた。僕は慌ててガスコンロの火を切った。目玉焼きをプレートに盛り付け、テーブルに持っていった。

 テーブルの真ん中には弁当箱が二つ置かれている。中にはおにぎりととハンバーグが入っている。わざわざいつもより二時間も早起きして作った代物だ。

 紅茶を入れながら、壁にかけられた時計を見る。もうそろそろだろう。

 カチャリ、と寝室のドアノブの音がした。ありきたりなその音に、僕の心は高鳴った。

 さあ、今日も幸せな日の始まりだ。

お読みいただき誠にありがとうございました。

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