帰郷
港町独特の喧騒が、故郷へ戻ってきた心地をキリュウへと与えた。数年前までは毎日のように行き来していた道に、いつか乗ってみたいとあこがれていた船。町のなかで一番高い時計塔は、八の刻を告げる鐘を鳴らしている。聞き慣れていて、かつ懐かしい響きにキリュウは表情を緩ませた。
数年ぶりの帰郷にキリュウが背負って帰ってきたものは、多くの髪飾りや腕飾り、耳飾りといった装飾品だ。昔は道に商品を広げている彼らから、海の向こうのものや生活するためのものを買い求めていたというのに、今ではキリュウが風呂敷を広げる番となっている。不思議だな、と過去の思い出に浸りながらキリュウは、船から降りる準備を始めた。
久々に降り立った故郷・アリドラン港町は船の甲板から見たのと同じように喧騒に包まれていた。この港で船を下りるのはキリュウを含め数人の旅人や露天商で、ぎりぎりまで甲板からの景色を楽しんでいたキリュウは必然的に降りるのが最後になった。船員にせかされながら船を下りれば、そこに広がるのは最後にみた港町とは少しだけ違う、故郷の姿だった。
あらかじめ今日の帰郷を手紙で告げていたキリュウのもとへ、名を呼びながら駆けてくる姿があった。妹だ。
「ほんとに帰ってきたんだ」
「失礼だな、本当に決まってるだろ」
「さぁ? どこぞの長男は家を飛び出してから一方的な連絡しかよこさなかったわけだし。疑われても文句は言えないんじゃないの?」
「……う、それを言われると痛いな」
頭を掻きながら返事する。最後にあった時より幾分か背が伸びたらしい妹だが、キリュウも負けず劣らず背を伸ばしたので、身長差は縮まっていない。それでも髪は伸び、少しの装飾品を身に着けている妹はすこし女性らしくなっている。
「で?」
「ん?」
「どうすんの。いつまでここにいるの、キリュウ」
「……もうお兄ちゃんとは呼ばないんだな、アウラ」
「悪い?」
「いや、別に。家を出たのはおれだし」
その答えに満足そうに頷いたアウラ。気の強いところは何も変わってないな、と笑う。いつの間にやら、船から降りた客は思い思いに町に散り、船着き場にはアウラとキリュウのふたりだけだ。
「そうだな……短くて一か月はいるだろうな。物がある程度売れるまで…これでも露天商だからさ」
「弦の月のはじめまでいられない?」
「再来月のはじめか? いいけど、どうしてだ?」
大荷物を背負ったまま話しているせいで、少しだけ疲れてくる。背負いなおした荷物から、じゃらりと金属質な音がした。ちらりとその音のもとに視線を動かしたがすぐにキリュウと目を合わせ、アウラは自慢げに微笑む。
「あたしね、結婚するの。キリュウが戻ってくるらしいからって、式を遅くしてもらってる。それが弦の月のはじめだから、そこまで滞在できるかなって」
驚いた。思わず目を見開くと、アウラはいたずらっぽく笑って見せた。それから、どこかの長男が家を出ちゃったから、あたしが家を継ぐのと言う。
「驚いた?」
「……驚いた。相手は?」
「貝の装飾屋のトーカ。知ってるでしょ?」
「ああ」
「キリュウが帰ってきたら驚かしてやろうって、トーカとも話してたんだ」
成功だ、とアウラが言った。それから、キリュウの手を引っ張って歩き出す。
「帰ろう、キリュウ。もうトーカもいるよ。いろいろ変わったんだ、キリュウが送ってくる装飾品も、みんな飾ってあるから」
久しぶりの故郷の滞在は楽しいものだった。弦の月が近づくにつれてアウラとトーカ、それと家族は楽しそうに式の段取りを決めている。懐かしい味の食事に、昔の知り合い。成長した友達や従妹に、様変わりした店の数々。同じように品を並べている露天商とも仲良くなり、時には品物の交換もした。アリドランは素敵な港町だ、ここに再び根を下ろしたいと思うくらい。
そして、弦の月がやってきた。結婚式を明日に控えたアウラに問われる。「キリュウ、いつ帰るの」
「明後日の朝だな。ロウ半島に向かう便があったんだ」
「そっか…」
寂しげにする妹に、昔のようにぽんと頭をなでる。たたくといったほうが正しいかもしれないが、キリュウはこれをなでていると思っている。
「また帰ってくるよ」
「いつ?」
「さあ。どっかで嫁さんになるひとを見つけた時かもしれないし、いい品物を見つけた時かもしれないな。わからないよ」
「……キリュウらしいね」
「だろう?」
にやりと笑って見せれば、アウラも笑い返してくる。いつになるかはわからないが、必ず帰ってくる。ここがキリュウにとっての故郷であるかぎり、家族がいる限り。いつかまた、ここにとどまり住まう日が訪れるかもしれないのだ。
「潮風の誘うまま、だな」
「きざなとこは変わってないんだね、キリュウ」
笑いながらあきれたように、アウラが言う。はは、と笑いを返しながら、キリュウはアウラをなでる手を止めた。
そして、簡素にまとめてある自分の荷物の中から、一つの首飾りを取り出した。真ん中に海のような輝きをもつ、青緑色の宝石をあしらって、貝殻で飾った、
「海飾り、っていうんだ。海の民、ジャラウドから譲り受けた」
「海飾り?」
「ああ。ジャラウドたちだけが知っている狩場があるらしくて……宝石の周りの装飾は、法螺貝の仲間のひとつ、ラウランタ貝なんだって。その真ん中の宝石は、アシラカ」
アシラカ、と繰り返して呟いたアウラ。高価なものなんじゃないの、と問い返してくる。
「まあな」
「いいの? そんなもの、もらっちゃって」
「たったひとりの妹の結婚祝いを吝嗇にしてどうするんだよ。それと、家を飛び出してった迷惑料」
「……ふーん。じゃあ、もらっちゃうからね、キリュウ」
「ああ」とキリュウが返事をすると、アウラはそれを自分の首にかけた。きらめきが、よく日に焼けた肌に映える。嬉しそうにアシラカを撫でると、燭台のひかりに照らす。
「……きれい。ありがと、キリュウ」
「いや、こっちこそ。いろいろ迷惑かけたな」
「今更でしょ」
「……そういわれればそうだな。まあ、なにはともあれ」
結婚おめでとう、アウラ。そうキリュウがいうと、アウラはすこしはにかんで笑った。