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1人と独りは違う

作者: 一条 灯夜

 シャっとカーテンが開けられる音がした。


「アンタってさ、コーヒー淹れるの上手いよね」

 いつもなら満員電車に揺られて、寝惚け眼で欠伸をしているような、そんな時間。梅雨明けした土曜の青空を、三階のアパートの窓が切り取っていた。


 曇りがちだけど、大した雨が降らなかった今年の梅雨。

 長く居座っていた梅雨。

 なんとなくだけど、恋人の瑞穂は青空よりも雨が似合うようなイメージがある。長い黒髪のせいなのか、……いや、きっと、若干灰色がかった瞳が、雨雲を連想させるからなんだろう。

 それと、これまで瑞穂と会う日は、だいたい、いつも雨だったし。

「ああ……。梅雨明けしたのに、ホットは嫌だったか?」

「そういう、どっか捻くれて受け取るところは、どうかと思うけど」

「ほっとけ」

 沸騰させたお湯で、ネルと、ネルドリップ用のサーバーを温める。その後、火を弱めて、ぼこぼこ沸騰させるわけではなく、温度維持に切り替えた。

 豆は、市販の挽いてあるコーヒー豆だ。まあ、挽いた豆は香りが逃げやすいんだが、生のコーヒー豆を買ってきて焙煎して、挽いて、淹れるとなると朝のちょっとした時間じゃ一杯にありつけなくなる。

「別に、好きじゃなかったんだけどな」

 ネルをセットし、コーヒー豆を淹れ、お湯を軽くのの字を描くようにかけながら、不意にそんな台詞が口をついた。

 豆の表面が盛り上がり、ネルの中ほどまで膨らむ。それと同時に、コーヒーを淹れている時だけに香る、強い香りがした。

「アタシがか!?」

 ベッドに、ダン、と両手を衝き、大声を上げた瑞穂。

「いや、お前も、変に受け取ってるじゃないか」

 好きじゃないヤツと、わざわざ一緒に暮らし始めたりなんかしない。

 式はまだ挙げていなかったけど、六月の入籍にこだわっていたのは瑞穂の方だった。こっちは、予算的な都合で、秋に全部まとめようとしていたんだけどな。

 遠距離とはいえ、長く付き合っていた恋人なのに、女心の機微は読み難いものだ。


 そして、籍を入れた後は早かった。実家暮らしだった瑞穂は、七月頭にはこっちにでかいトランクひとつで移り住み、後日親御さんから荷物を送ってもらうほどの無鉄砲ぶり。

「煩い! アンタのせいだ。悪人面」

 ベッドに膝で飛び乗った瑞穂が枕を振り被って――俺が、ポット片手に振り返ると、口を思いっきりへの字にして、枕を抱いてベッドに転がった。

 多分、火を使っているのに、可燃物を投げ付けるべきじゃないと思いなおしたんだろう。夏用の、籾殻の枕だし。

「昔、バイトでやってた時分には、別にインスタント出してもバレねーだろ、とかさ」

 蒸らし終えたコーヒーに、再び野の字を描くようにしてお湯を注ぐ。お湯を掛け過ぎないようにするのがコツだ。掛けた分のお湯が出たら、再び掛けるぐらい。

 そうして、二回目で豆の表面が泡立ち、ボロッと崩れるようにして一気に萎み、さっきとはまるで違う――そう、綺麗な小川の川床の砂のような、そんな見た目に変わる。

 後は、豆の少し上ぐらいまでお湯をかけ、カップ二杯分が抽出されれば終わり。まだ色が出てるから、と、入れた豆以上に抽出を続けると、深みが無く、後味がえぐいだけのコーヒーになる。

「やる気の無いバイトだな」

 どっか呆れたような目で、枕で口元を隠した瑞穂が、言いながらコロンと仰向けに転がった。パッツン気味の前髪が重力で逆立ち、普段はあんまり見えてないおでこが見えている。

「たんまりゼニが積まれてれば、別だったろうけどな」

 目的の量が抽出されたのを確認し、残りのお湯でカップを温めて、そろいのマグカップにコーヒーを注いだ。

 テーブルに載せると、……ああ、いや、まあ、いいか。二人きりの休日なんだし。

 瑞穂は、黒のタンクトップにズロースっぽい白のパンツという、中々に素晴らしいようなすさまじいような格好で、平然と椅子に座った。


「アンタ、元から、なんか凝り性だったじゃない」

 カップを口に当てて、軽く息を噴きかけて冷まし――すぐには飲まずに、一度カップを唇から放して、瑞穂はどこか拗ねたように言った。


 あ、まださっきの話は続けるんだ。

 まあ、良いけどさ。


「そうか?」

「そうだよ。好きになったら、一直線。こうと決めても一直線って感じ。周りの事なんて、おかまいなし」

 これは……ちょっと責めてる目だなって思う。

「ふむ」

 まあ、確かに、誰かに相談するってこと、あまりしなかったよなって思う。いや、そもそも誰かに相談したところで、解決することなんて滅多にないんだし、だったら、自分で決めようってのが俺のスタンスだったけど。


 ただ、一言言っておくなら、別に、瑞穂とのつき合いが長いってわけじゃない。むしろ、著しく短い方だと思う。


 行きたい大学の行きたい学部と学科は、早い内から決めていた。親の許可も取っていたので、受験したのはその私立一校だけ。腕試しに国立も、とかは考えなかった。行く気がないなら、単なる無駄だ。

 そして、新生活を始める前の三月だけ商店街のコーヒーショップでバイトしていた。ひとり暮らしを始めるにあたり、軍資金を稼ぎたかったからだ。

 んで、その店に中学の頃の同級生が来て、その友達が瑞穂だった。

 その場でビビッと電流が! ……なんてことは無く、まあ、普通に店内で受験勉強している瑞穂のグループと顔見知りになり、どちらかといえば、ダラダラとした近付くでも遠のくでもない距離でかかわっていたような気がする。

 瑞穂も、最初は、割と大人しいって言うか、あんまり喋らない子だったし。ただ、大学の春夏秋の長い帰省では、一~二回は会っていたし、初詣なんかは一緒していたな。


 カップを置く、カツンという音で、瑞穂の方へと視線を向ける。

「……追っかける方の苦労なんて、知りもしないでさ」

「いや、そりゃあ……火が点くまでに時間が掛かったし、燃え上がるまでには更に時間が掛かったからな」

「火と炎に違いなんて無い」

「コーヒーの焙煎機と、抽出用のガスコンロ並みに違う」

 そう、多分、俺と瑞穂は、百年ぐらい前の時代のペースで近付いていったんだと思う。すごく、ゆっくりと。

 だから、告白された時は、すごく唐突に感じたのを覚えている。

「……多分ね、アタシ、羨ましかったんだ」

「羨ましい?」

「よくある、飛べない鳥ってやつ。良い子でいる内に、なにも言えなくって、教師の進める落ちない高校にいって、親の進める安全圏の大学を受けて……ってね。だからかな、行きたい大学一本勝負で、就職組みでもないのに、春休みにバイトしてるあんたが、なんか、すごく大人に見えて――なに、にやけてんだよ」

 自覚は、まあ、ある。

 が、しょうがないだろう。

 告白してきた時以降、あんまり自発的に好きだといわない彼女――ああ、いや、今は妻って言ったほうが良いのか? いや、でも、なんか馴染みが――相手なんだから。

「いや、そういう本心を言うの、珍しいなって思うのと」

「『思うのと』?」

「この後、だから好きとか、言われるのを期待して」

 頬杖ついて、続きを期待すると、カップで口元を隠した瑞穂は、可の泣くような声で呟いた。

「……絶対言わないし」

 まあ、言わなくても、言ってるのと同じような顔をしているけどな、とは指摘しなかった。顔まで隠されないように。


「なんかね」

「ん?」

 飲み終えたカップを洗いはじめると、背中から呼ばれ、肩越しに振り返る。

「飛べない鳥だったけど、付き合って、変わったと思ったけど、でも、なんか、向こうで一人でいたら変わらないなって感じてきて」

 独り?

 まあ、一人と独りは違うと言っても、それは感じ方の問題か。

 瑞穂って、あんまり連絡まめにしない方が良いのかと思ってたけど、そうでもなかったのかな?

「結局、なにも変わってないなって思ったら、ゴールデンウィークで色んな気持ちが爆発したのです」

 まあ、こんな風に、構って欲しそうな顔は――、反則的に可愛いと思うけどな。

「そっか」

「うん」

 再びシンクの方を向くと、わざと作った無防備な背中に瑞穂がくっついてきた。


 ホッとのコーヒーを飲んだ後だってのもあるし、梅雨明けしたせいもあると思う。これからもっと暑くなりそうだな、なんて感じさせる夏の風が、開け放した窓から吹き抜けていった。

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