猛獣
「ほら、あそこに。」
煌太の耳打ちに、越智は勢いよく振り返る。俺はあからさまにならないよう、自然を装って振り返った。
後ろにいた二人の少女の姿を視界に捉えた途端、俺と越智は唖然とした。
片方は長髪を後ろの右側で束ね、眼鏡をかけたいかにも知的でおしとやかな様子なのに対して、もう片方は肩にすら届かない短髪に動きやすい運動靴を履いた、いかにも活発な空気を醸し出していた。双子というだけあって顔はそっくり、しかも美少女であるが、纏っている雰囲気はまるで別物だった。
「双子…か…。なんか、思ってたのと随分違うんだけど。」
越智の感想に、俺は頷いて同意を示す。
「それに何か?双子はやっぱり二人で登下校まで一緒じゃないと気が済まない系なの?」
俺がふと浮かんだ疑問を口に出すと、煌太は息を吐きながら首を振った。
「人それぞれだろ。中学時代のあいつらは別々だったじゃないか。」
煌太の言葉を聞いて記憶を精査してみると、ああ、確かに中学時代のあの兄弟はびっくりするくらいに仲が悪かった。まあ男と女では微妙な差異もあるかも知れないが。
「でも…なんて言葉掛けたらいいのか分からないよ…。」
面白いくらいにあたふたしている越智に、煌太がそっと耳打ちする。
「あの大人しそうな方が目的の妹だ。雄馬クンは優しい顔立ちだからそんなに警戒もされないだろうから、普通に声かけて大丈夫だよ、きっと。」
煌太に後押しされた越智は大きく深呼吸をすると頷いた。
「じゃ、じゃあ…行ってくるね。」
びっくりするくらいにガチガチだ。まあ緊張しているのはわかるが、そんなだと余計相手を警戒させるのではないだろうか。
越智はカクカクと右手と右足を同時に出しながら歩いて行く。まあ端から見れば完全に怪しいわけで。やっぱ俺が行くべきだったかな、とか思うわけで。
越智は彼女らに肉薄すると改めて深呼吸をした。どうやらそれで落ち着きを取り戻したらしく、自然な笑顔を浮かべて声をかけた。
「あ、あの…A組の服部さん、だよね?」
「あなた誰?」
越智の呼びかけに、本人よりも先に反応したのは隣に立っていたショートカットの少女、つまり服部姉だった。
「あ、えと…C組の越智って言います…。」
あまりに俊敏な切り返しに面食らったのか、越智はしどろもどろになりながら答える。しかし彼女は、相手の気が弱そうなところを確認すると、まるで狼が牙を剥くかのように畳み掛けてきた。
「ふぅーん。で?越智君は妹に何の用なわけ?」
「あ、それは…えと…その…」
いきなり時計の話題を振るわけにもいかず、さらに反応に困っている越智にも、彼女はお構いなしだった。
「特に用がないならわざわざ話しかけないでくれるかな。登校中とはいえ何の用もないのに時間を取らせる気?」
ーうわぁ…性格きっつ。
俺は取り付く島もない様子を見て、内心辟易した。越智はあまりの威圧感に完全に縮み上がってるし、一番コミュ力の高い煌太は隣でにやにやしながら助け舟を出すつもりはなさそうだった。
ーしゃあねぇか…。
俺は覚悟を決めて歩を進めた。
「確かに用はあるんだが公衆の面前では話しにくいことなんだ。妹さんと二人で話がしたいんだけど。」
あたふたして喋れなくなった越智の前に割り込んできた俺を、服部姉は威嚇をする猛獣かのような目つきで一瞥すると、眦を吊り上げた。
「そういう誘い方をするような人にはあまりいい思い出がないのよね。口説こうとしてるんだったら辞めなさい。あなたじゃ釣り合わないわ。」
あまりの物言いに、これ見よがしに皮肉を込めた盛大な溜息をお見舞いしたくなったが、さすがにそれを実行するほど気が立っているわけではなかった。
よくよく考えると、確かに初対面の男子に二人きりで話がしたいと言われても警戒するだろうし、ごく普通の男子高校生がこんなおしとやかで繊細そうな美少女に釣り合わないというのも十分に納得できる。
「それもそうだな。時間取らせて悪かった。忘れてくれ。行こう越智。」
「「え?」」
あがった二つの拍子抜けの声は服部姉と越智のものだった。これ以上話しても水かけ論だろうし、何らかのきっかけが必要なのは間違いない。それを踏まえた上での判断だった。
「あの…あなたのお名前をお聞きしてもいいですか?」
先ほどまで後ろで押し黙り、姉に場の空気を一任していた妹の発言に、3人は驚いて振り向く。
「ちょ、奏多…。」
何か言いたげな姉から目を逸らし、俺に続きを促してくる。
「C組、各務遥翔だ。」
「各務遥翔さん、ですね。覚えておきます。」
姉はともかくとして本人には思いの外手応えありか?初日にしては悪くないスタートダッシュかも知れない。
「そ、それじゃ、次から話しかける時はきちんと用を整理してからにして頂戴。行くわよ奏多。」
「待って、日向。」
むすっとした表情でずかずかと去っていった姉の背を追いかけ、妹はとてとてとその場を去った。
一騒動終えた後、越智は完全に沈んでいた。
「ごめん遥翔君…ただの足手まといになっちゃった。」
俺はがっくりと項垂れた越智の肩を軽く叩いた。
「気にするな。あんな猛獣みたいなの相手によくやった。これからはとりあえず俺に任せとけ。」
大きく肩を落とし、溜息をついている越智を見て、少し罪悪感が湧いてくる。正直、俺は女性の相手は得意じゃない。適材適所、という名の建前で越智に押し付けようという気がなかったわけではないだけに、今の彼の落ち込みようを見るとなんとも言えない気持ちになってくる。
「ま!まだ一日の始まりなんだし、元気にいこーぜ?な?」
この空気を打開しようとした煌太に、俺は疑わしげな視線を向けた。
「?どうしたんだ、遥翔?」
「お前くらいの情報通ならあの姉妹のことくらい知ってたよな?」
煌太は俺からの問いかけに不思議そうに首を傾げると、今度は自慢げに胸を張った。
「もちろん!性格が正反対なのも、姉が過保護なのも。」
煌太は人を食ったような性格をしているが、誤魔化しが下手だったりボロを出したりということが多い。今のように。
「お前、わざと姉がいるときにけしかけて話しかけさせた挙句、傍観とは随分と素敵な趣味をしているのな。」
「え!?いや、そ、そそそそ、そんなことは…。」
俺は面白いくらい動揺する煌太を尻目に、煌太に絶対零度の視線を注ぐ越智を伴って歩き出した。
「行こうぜ越智。裏切り者は放っといて。」
「ま、待ってくれぇ〜!!」
煌太の情けない叫び声が、通学路に響いた。