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キャンプ飯

 中層の陽光が空の魔素エーテルと混じり合い不気味な紫の残照へと変わり始める頃、一行は第17獣道付近にある開けた丘陵地に辿り着いた。

 そこは古くからこのルートを通る 探索者ダイバー たちが常用するキャンプ地であり、地面には焚き火の痕や手頃な石を組んで作られた竈が点在する、数少ないセーフエリアのひとつだった。


 その一角には既に先客がいた。使い込まれた無骨な魔導化装備を纏い、焚火を燃やして野営の準備をしていた三人の逞しい男たちが、レイジたちの接近に気づき鋭い視線を向ける。


「先客だ。挨拶ついでに、あなたがたの調査してるモンスターについて何か知らんか少し聞いてくる」

 レイジが足を止め、背後の橋広教授たちを制した。橋広教授は、本職の探索者ダイバーたちがアカデミックライセンスの研究者や学生をどう見なしているか、という現実をよくわかっていた。


「……そうしていただいたほうが良いのでしょうね」

 教授は微かな諦観を溜息に混ぜて帽子を取り、遠巻きに先客たちへ向かって丁寧に会釈した。

 レイジは「そういうことだ」と意味ありげにうなずくと、一人で男たちの元へと歩み寄った。


 男たちのリーダー格――顔に深い傷跡のある中年の男がレイジを見て破顔した。

 無駄の無い選び抜かれた装備がダンジョンで過ごした年季を物語っている。


「なんだ、やっぱりクマちゃんか!ヤマから下りてきてたのかい」

「ゴンさん。キツネ狩りですか」

「ああ。鎌狐ファルクスがやたらと数増やしててな。稼ぎ時よ」


 レイジは無造作に拳を差し出し、ゴンもまた自分の拳を軽くぶつけ返した。中層の奥で生き延びてきた男同士がよくやる挨拶だ。

 ゴンの仲間たちとも「よう、まだ生きてたのかボブ」「ああン、やだもうクマちゃんたらヒッドぉい!」「ヒゲ無いなヒゲ」と親しげに声を掛け合う。


「三人とも変わりないようで安心しましたよ。最近ヤバいのがうろついてるらしいんで用心してください。釈迦に説法だとはおもいますが」

「おう。まあいざとなったらクマちゃんの()()()があるからよ」


 そう言ってゴンは自分の胸ポケットを叩いた。


「そこまで追い込まれないのが一番ですがね」

「違いないわ。ハッハッハ」

 レイジと男たちが話す場所と、学生たちの場所は距離がある。風に乗って低い笑い声は聞こえてくるが、具体的な会話の内容までは届かない。

 教授を筆頭に若者たちは少し離れた岩場に腰を下ろし、その様子を遠巻きに見守っていた。

 

 ゴンがレイジと同行してきた学生たちに目を向け、不思議そうに尋ねた。

「ひとりじゃないんだ?珍しいじゃないか。クマちゃんの会社のお仲間かい?」

「いえ。……今日は赤枠のガイドです」

 レイジが目を逸らして自分の頬を指で掻くと、ゴンたちの瞳から柔和さが消えた。

 冷淡な視線がレイジの同行者たちに向けられる。


「……それはまた――ご苦労なことだな。あんたほどの男がそんな仕事までやらされんのか?」

 ゴンの同情するような言葉にレイジは無言で肩をすくめた。


岩場では、学生たちが彼らの空気の変化に戸惑っていた。


「……先生。あの方たち、急に怖い顔になりましたけど……久間川さんと喧嘩でもしてるんですか?」

 アメリが困惑して首を傾げ、リヒトは向けられた視線の鋭さに苛立った。


「何なんだ、あの目は。正当な手続きを踏んで調査に来ている僕たちに向かって……」

 橋広教授は教え子たちの反応を静かに見渡すと、沈痛な、しかしどこか達観したような表情を浮かべた。


「いいかね、諸君。彼らダンジョン探索者ダイバーにとって、ダンジョンは『職場』であり『戦場』だ。自分の命を賭けて、生活の糧を得る場所だ。中層に立ち入るライセンスを得るのにも決して安くはない代償を支払っている。さて、君たちが持っているライセンスの縁は何色かな?」


 教授の問いに、リヒトがライセンスカードを収めた胸ポケットの位置を手で押さえる。その縁は、鮮やかな赤。

「赤……です」

「そうだ。一般の正規探索者(ダイバー)のみなさんはそれを『赤枠あかわく』と呼ぶ」

 橋広は講義を行うときと同様に穏やかに続けた。


「君たちは講義形式の魔導理論を修め、シミュレーターで訓練し、私たちのような教員が引率する実習で単位を取得する。その結果、1年次カリキュラム修了でノービスA、2年次修了で天宮君のようにエキスパートCライセンスが取得できる。引率者がエキスパートライセンスを所持していればノービスライセンスでも中層に立ち入ることもできる。研究者を早期に現場へ送り出すための国家的な特例措置だが……叩き上げの彼らから見れば血で書かれていないまがい物のライセンスに過ぎないんだよ」


 枠は赤いのにねえ、と微笑み、教授は視線をレイジたちの方へ戻した。


「彼らにとって、積むべき経験を積んでいない赤枠の学生は迷惑な顧客か、迷惑そのものでしかない。不注意で事故が起きれば資源採取ポイントや狩場が封鎖され、あるいは救助のために自分たちが駆り出されることもある招かれざる厄介者だ。それが、あの視線の正体だよ」


 むろん極力彼らの活動の障害にならないように注意はするが、やむを得ず活動領域が重なったときにはいろいろと難しいことになるケースが往々にしてある――。


 ゼミ長の九条シューマは長い前髪を揺らし、目を伏せた。

 先代のリーダーの死を目の当たりにしている彼にとって、それは否定しようのない事実だった。

「……そう見られるのも無理はないですね。仕方がないことです」


 佐伯ミレイも自身の武装を点検する手を止めず、冷徹に同意した。

「彼らと比べたら経験も実績も不足しているのは事実ですね」


 しかし、リヒトは納得がいかない様子で不快げに吐き捨てた。

「ふざけてる。僕たちの研究結果が巡り巡って彼らの生存率を上げているのがわからないのか! 資源の有用性やデバイスを開発する理論を提供しているのは僕たちでしょう。それを厄介者扱いなんて……しょせん頭の悪い底辺労働者か」


 市ノ瀬カイルも、ゴーグルを指で押し上げながら口元を歪めた。

「たしかにキャリアパスは違うけどさあ……舐められてんな。俺たちモブ扱いかよ。面白くねぇ」


 一方で藤咲モモナは困ったように微笑み、アメリは残念そうにゴンたちの焚き火を眺めていた。

「あはは……。まあ、仲良くできるといいんだけどね。同じタカオダンジョンにいる仲間なんだし」

「ほんとそうですよ……そうだ、一緒にご飯食べれば仲良くなれるかも」

「メシか。よし田沖、おまえちょっと連中のメシ盗んで来い。肉行け、肉」

「仲良くって言ってるじゃないですか!そんなの戦争になりますよ市ノ瀬先輩!」


 三者三様の反応をみせる学生たちのもとに、レイジがゴンとの話を終えて戻ってきた。


「橋広さん……少し予定を修正したほうがいいかもしれませんね」

 レイジが橋広教授の前で立ち止まり、低い声で告げた。その表情には警戒が滲んでいる。


「何か、かんばしくない情報でも?」

「彼らの話じゃ、第18エリア周辺の様子が数日前からおかしい。……はっきりした兆候じゃないんですが、空気の『におい』が違うと言ってました。魔素エーテルの澱みか、あるいはそれ以外の何かか」


 レイジは視線を第18エリアの方向――暗い森の奥へと向けた。

「それとちょっと気になるのが通信障害ですかね。このあたりで3に落ちるのは珍しい」

「3?」

「通信が繋がるASCOMノードの数です」


 ダンジョン内の通信網、ASCOMネットワークの基本設計思想は四重冗長性クアドラプル・リダンダンシーだ。中継ノードの設置、交換、更新メンテナンスなどが容易に行えない中層以降の環境において「単系」など論外だった。

 相互接続された4つのノードにより、フェイルセーフな同期を保証する――。

 業界においてはクアッドリンク・プリンシプルまたは4ノード冗長化アーキテクチャ、レイジたち現場の作業員たちからは単に「ルール・オブ・フォー」と呼ばれるシステム。

 ネットワークを管理するJASROが「通信安定域」と定義するのはノード4以上のエリアになる。


「まあ()()()()のはいつものことなんですがね」

 とレイジは続けた。

 どのような理由であれダンジョン内のノードが破損する事象は、実際にモンスターの仕業であるかどうかとは無関係に「齧られた」と呼ばれる。そう、ぜんぶモンスターが悪いのであり作業ミスや設定の不備などではない。まちがいない。

『昨日設置したノードが齧られたっぽいんだが?(憤怒)』

『それはそれは。休日出勤確定ご苦労様です(笑)』

 といったやりとりは日常茶飯事だ。


「通信障害、ッスか……」カイルが、手元の端末をいじりながら顔を上げた。


「そして夜の音」

 レイジの言葉に、学生たちの間に緊張が走った。


「夜間、生き物の鳴き声や吠え声が極端に減った。……まるで、森全体が何かを恐れて息を潜めているような静けさが続いてるらしい。ゴンさんほどのベテランが『気味が悪い』と言うのは――これはよほどのことです」


 レイジの報告を聞いた橋広教授は、眼鏡の縁を指で押し上げた。その瞳には恐怖よりも先に、知的好奇心と重大な局面への覚悟が混じっていた。

「……静寂、ですか。調査対象らしき個体が現れる際の特徴と一致しますね」

「ええ。今のところ、このキャンプ地まではいちおうの安全圏だが、明日以降はリスクが跳ね上がる。今日は十分に休息して備えましょう」


 不満を抱えていたリヒトやカイルも、ただ頷くしかなかった。夕闇が迫り始めた高尾の森は、一行を嘲笑うかのような深い沈黙を保っていた。


一行は男女別に分かれてテントの設営を開始した。


「せっかくかまどがあるんですから、使いませんか。燃料も節約できます」

 タープを張り終えたリヒトが点在する石組みの竈を指差して言った。

 だがレイジは即座にそれを却下した。


「いや、竈は使うな」

「そうですよ。キャンプといったらやっぱり焚火ですよ。もう天宮先輩たらぁ~」

 ぷぷぷー、と笑うアメリをレイジは斬って捨てた。

「焚火もダメだ」

「えっ、どうして? 薪ならそのへんの森にいくらでも――」

 並んで不満げなアメリとリヒトに対し、レイジの森に向ける視線は厳しかった。


「いつもならそれでもいい。だが、ゴンさんたちの話じゃこの先で異変が起きてる。何が潜んでいるかわからん状況で、薪拾いのために陽が落ちかけた森へ入るのはリスクが大きい。今回はバーナー調理だけで済ませる」

 レイジの断固とした物言いに、学生たちは仕方なくバーナーを取り出した。

 そんな中、カイルだけはレイジが組み立てている無骨な金属塊に目を輝かせていた。


「久間川さん、それ……御岳ガレージワークス(MGW)のパイロレギュレーターっスか?ん?3?使ってる人初めて見た」

「ああ。構造が単純な分、魔素の干渉に強い。……おまえ、よく知ってるな」

「趣味ッスね。アルクノスの新型もいいんスけど、こういう剥き出しのメカメカしいメカニズムにはロマンがあるっていうか。あ、ここの触媒室、カスタムしてませんか?つか燃料ガソリンじゃないんスか?フュエルガスでもないッスよね?ええ?なにコレなにコレ」


 マニアックな指摘に、レイジの口元がわずかに緩む。

「……低温下では標準の点火パルスじゃ弱くてな。メーカーに頼んで深層素材の特注品を噛ませてある。燃料は――」

「うおっマジっスか! 安定性、何%くらい上がりました? 5パー? いや10いきます?」

 ギアの話で盛り上がる二人。

 それを冷ややかな目で見つめる影があった。


「……おい。無駄話はやめて、早く用意してくれないかな。腹が空いてるんだ」

 両手に食材を持ちうんざりした表情のリヒト。


「最新デバイス大好き人間じゃなかったのか?そんな骨董品に興奮して……時間の無駄だろ」

「はあ?このマッシブな良さがわかんねえのかよ。これだからキラキラお坊ちゃんはさあ」

 おなかがすいたのぉ?おうちからシェフでも呼べばぁ?とウザ絡みを始めるカイル。食事の用意は遅々として進まない。


 一方、佐伯ミレイはギスついた雰囲気をまったく気にかけなかった。彼女は既にコッヘルを火にかけ、淡々と調理を開始していた。

「田沖、器を出して。もう食べられる」

「わぁ、ミレイさん! ありがとうございます! 今夜は何かなー、なに……えっ」


 アメリは笑顔で差し出された器を覗き込み、ミレイの顔に視線を向け、そして再び器の中を見た。表情が無くなる。

 そこにあったのはゆらゆらと湯気を立ててうずくまる、熱いゲル状の物体だった。栄養バランスと摂取効率のみを追求した名状しがたい灰色の何かに、ピンクのサプリメントの粉末を振りかけたネバついたモノ。

 岩芋のカロリーと、糖質、塩分、プロテインを煮詰めた高粘度の「エサ」だった。

 どう見ても地球人類が食欲をそそられる色彩ではない。そして何よりも恐ろしいのは完全無臭であること。


「……これ、なんですか?生き物が、食べて、大丈夫なやつですか?」

「なにって――夕食だよ。咀嚼コストを削減し、消化器への負担を最小限に抑えた完全栄養食」

「い、いや……その……味は?」

「塩とクエン酸を加えてある」

「うぅ……」

「食べられる」

「……いただきます」

「食べられる」


 絶望に震える手でおそるおそるスプーンを口に運ぶアメリ。

対照的に橋広教授は平然とした顔で、渡されたミレイの作成物を摂食していた。彼はこの食べる地獄を経験済みだった。


「ふむ。これはこれでなかなか悪くないですね。ああ佐伯くん、出汁を変えましたか?」

「出汁?恐縮です、先生」

 すすり泣くアメリのジュルジュバぬっちゃむっちゃという冒涜的なおぞましい咀嚼音が響く中、レイジたちの料理が完成した。


「遅くなってすまんな」

 レイジが差し出したのは、湯戻しした乾燥肉と岩芋の粉末を濃厚なコンソメのキューブで和えただけの簡単なものだった。ミレイの作成物と素材に大差は無い。

 しかし香ばしい匂いを漂わせフルフルとふるえる柔らかい肉と表面に浮いた琥珀色の脂は、栄養満点のエサに心を叩き折られたアメリにとって、砂漠のオアシスよりも神々しく輝いてみえた。

 再びすすり泣きながら今度は人間の食事を貪るアメリにカイルが呆れた。


「おまえ食いすぎだろ。配分考えろ」

「だって……だって……!」と咽び泣くアメリの器に慈愛に満ちた表情のモモナが無言で自分のぶんのレイジ料理をスプーンで分け与えていた。

 それを作るのに僕も協力したんだけどな、とさりげなく主張するリヒトを九条が「頑張りましたね」と優しく労い自分の分のミレイ飯をさりげなく渡そうとしている。

 レイジは、あぐあぐと一心不乱に肉を咀嚼するアメリを眺めながら

 こいつの食に対する執着はいったい……と不思議に思っていた。


(……まあ、いい。胃袋が動いているうちは死なん)

 レイジは自分のバックパックからドス黒いキノコの粉末が詰まった缶を取り出した。

 ()()()の湯を沸かしていたバーナーの火力を調整する。

 準備は万端だ。


 さあ、食後のお楽しみだ――。

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