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星空の洞窟

 調査出発当日。

 タカオラビリンスモール1Fのエントリーロビーは、早朝から独特の熱気に包まれていた。

 隙の無い防刃素材に身を包んだベテラン探索者ダイバー、観光客と見紛うような軽装備で浮足立つ若い初心者探索者ノービスダイバーたち。地上と異界の境界線であるこのロビーには、期待とそれ以上に濃密な死の予兆が常に漂っている。


 エントリー受付カウンターの前で、橋広ゼミの一行は最後の手続きを行っていた。

 橋広教授と学生たちは一様に機能的なトレッキングウェアに身を包んでいた。

 中層の昼夜の気温に対応しつつ手足の肌を露出させないレイヤリング。頭にはキャップやバイザー、サファリハットが乗せられている。


 一見すれば登山パーティだがその色彩と目的は決定的に異なる。

 通常の登山客であれば、遭難時に空や地上からの視認性を高めるため、オレンジやライトブルーといった彩度の高い配色を選ぶだろう。しかし、彼らが纏うのはアースカラーやチャコールグレーを基調とした周囲の環境に溶け込むミリタリーカラーだ。

 それは救助や捜索を待つためではなく、モンスターからの発見率を下げるための色だった。

 ウェアの上に重ねられたタクティカルなボディアーマーやハードプロテクター、そして腰や背に携えた武装が鈍い光を放っていた。

 さらに全員が胸部や肩口に記録用のボディカメラを装備している。


 各自のバックパックには、静音ドローンや定点観測機器をはじめとする調査用機材や野営用のテントが手分けして詰め込まれていた。一行の中でレイジは他のメンバーより二回りほど巨大なザックを軽々と担いでいる。

 

 流行りのダンジョン実況配信者が好むような露出度が高いファッショナブルな軽装や、短いスカートといった頭の痛くなる格好で来た者が誰もいなかったことにレイジはほっとしていた。

 橋広教授がフィットチェックを行っているカーキグリーンのポンチョに市ノ瀬カイルがめざとく食いついた。控えめな『Arcnos』のロゴマーク。


「……先生、それってもしかしてアトモスベイルですか!ついに買ったんスか!?」

「うん、思い切ってね。ツテをあたってだいぶ無理をしてもらった。あんなことがあったら安全にコストは惜しんでいられないからね。いざというときは私がこれで一人でも助けに行くよ」

「スッゲ……マジ尊敬します!……うお…これが『アルクノスの外套』かぁ……手触りが違うわ……」


 橋広はいささか得意気にポンチョの前を開いては閉める動作を繰り返した。

 暖かくなった春先に沸く不審者によく似たコンプライアンス的に問題のある動き。

 あれはやってる手つだな、とレイジはくだらないことを考えた。


 「竹田くん。戻ってからのデータ分析ではよろしく頼むよ。現場だけが仕事じゃない。君の場所で私たちを支えてほしい」

 橋広教授が、青白い顔で見送りに来た竹田ユウトの手を両手でしっかりと握り、真剣に語りかけた。リタイアを宣言した後の竹田はスポーツマンらしい逞しい体躯を小さく丸めていたが、教授の言葉にようやく憑き物が落ちたように表情が明るくなった。きっとこれが彼本来の顔なのだろう。


「……はい。先生、皆さん。……気をつけて。絶対に、無事で戻ってください」

 竹田が深く頭を下げる。

 その背中をレイジは無言で見守った。山を下りる判断をした者への彼なりの敬意だった。


「さて、行きましょうか」

 一行はセキュリティゲートへと向かった。

 ゲートの先にはダンジョン浅層エントランスへと続く鉄道、大回廊鉄道(GCR)のプラットフォームが広がっている。  

 彼らが乗り込んだのは、巨大な電動機関車が前後を挟むプッシュプル方式の列車だった。


 列車がなめらかに滑り出し、深淵の向こう側――浅層、通称『大回廊グランドコリドー』へと足を踏み入れる。

 列車は中層に向かって3%の傾斜でゆっくりと下降を開始した。


「……わあぁ……」

 客車の窓にべったりと張り付くようにして、アメリが声を漏らした。  

 そこにはダンジョンの開口と共に自然形成された直径100メートルを超える圧倒的なスケールの天然のトンネルが、果てしなく奥へと続いていた。


 内壁の岩肌を覆う様々な形状の蠢くコケ類の上には数多の探索者ダイバーたちが踏みしめ、重機が均した「道」が幾筋も走っている。だがそれ以上に目を引くのは、岩壁のあちこちに露出し、星屑のように瞬く発光鉱物だった。淡い青、微かな燐光、それらが直径100メートルの巨大な胎内を埋め尽くしている。  

 ときおり呼吸するように明滅するその光は、ゆるやかに下っていく列車の速度と相まってまるで夜空へ吸い込まれていくかのような錯覚を見る者に抱かせる。


「綺麗……。すごいです、こんなのはじめてです! 見てください市ノ瀬先輩、あそこ! まるで星空……よりも偏ってるから銀河の分布みたい!」

 アメリが子供のように目を輝かせ、隣のカイルをばしばしと叩きユサユサと揺さぶる。だがカイルはゴーグル型眼鏡の位置を直し、タブレットをいじりながら冷淡に切り捨てた。


「……おいテメー、実習でも来てるしこのあいだの往復でも同じ道を通っただろ。ボケてんのか」

「ええ?はじめて見たときと同じように感動しているんですー。ヒユ的な表現です。あるいは詩ですね。わかりませんか?」

「やかましいわボケ」


 列車は減速し、やがて中間駅である『ネクサスステーション』へと滑り込んだ。

 ここは物流と鉄道管理の中枢であるとともに、安全なシェルター構造内からダンジョンを眺めることができる展望テラスや博物館などが併設されたダンジョン観光のメインコンテンツの一つでもある。

 

 それと同時に浅層を主な活動場所とするノービス探索者ダイバーたちの前線拠点としての側面も持ち、大回廊のメイントンネルからは調査用や資源採取用の数多の横穴群が血管のように複雑に分岐していた。

 

 プラットフォームの向こう側にはガラス張りの豪華なラウンジが見え、作業員たちが貨物を積み下ろす横で、実況配信を行う探索者ダイバーたちや観光客たちが発光鉱物の星空を背景に記念撮影に興じていた。

 浅層を拠点とするノービス探索者ダイバーたちが慌ただしく行き交い、メイントンネルから分岐する数多の横穴の奥へと消えていく。


 停車時間の合間、リヒトは何度か逡巡したあと意を決したように隣のアメリへ向き直った。


「アメリ。中層に降りれば、そこはもう人類の常識は通用しない場所だ。またどんなことが起きるかわからない。……いいかい、今回は絶対に僕のそばを離れないでほしい。僕の力なら、君を確実に守れる。保証するよ」

 新調したアマミヤ・イージス製の最新ボディアーマーを手で示し、リヒトは真剣な表情でアメリの瞳を覗き込んだ。

 だが、その言葉が終わるか終わらないかのうちにアメリとの間にゆらりと割って入る影があった。


「……アメリちゃんのそばにはぁ、私がいるから。大丈夫」

 藤咲モモナだった。  

 いつもの柔和な笑みはそのままに、完全に据わった目がリヒトに向けられる。先日の事故でアメリの手を離してしまった、という後悔が彼女の中でなにか歪な強迫観念へと変質しているようだった。


「私のヒーローは久間川さんだけど、アメリちゃんを守るのは私。……邪魔、しないよね? 天・宮・くん」

 有無を言わせぬ強烈なプレッシャーを放つモモナの迫力にたじろいだリヒトは「いや、僕も……」と言葉を詰まらせ、思わず一歩後ろへ下がった。


「あははー、 頼もしいですモモナさん! 天宮先輩もありがとうございます」

 間にいるアメリだけが、その不穏な空気に気づかずヘラヘラとだらしなく笑っている。


「……騒ぐな。ここはもうダンジョンだ」

 レイジの低く重みのある一言に、はしゃいでいたアメリが背筋を伸ばして口をつぐむ。モモナはじっとりと湿った視線をリヒトに向け続けていた。 唇が声もなく何事かを呟き続けている。

 発車のベルが鳴り、列車が再び動き出す。窓の外、星屑のような光に照らし出された大回廊の奥から湿り気を帯びた異界の風が車体を通じて伝わってくる。

 中層駅まで、あと数十分。

 文明の灯火が届く終着点、中層基地を目指し列車は前照灯で星の瞬く闇を切り裂いて進んでいった。


 やがて列車は今回の調査の拠点となる中層駅セントラルステーションへと滑り込んだ。  

 そこは軍の中層基地と並び立つ、ダンジョン内に築かれた日本国の最前線施設だ。幾層にも分かれた堅牢なコンクリートと鉄の構造体。モンスターの侵入を防ぐ防護壁に囲まれ、要塞のような威容を誇っている。


 駅の上層に位置する大展望テラスからは、観光客や初めて中層に挑戦する探索者ダイバーたちが上げる歓声が響いていた。

「すっげえ……これが中層かよ!」 「本物の異世界だ……!」

「ほんとに空がある」

「ニュージーランドっぽくない?行ったことないけど」

「俺も行ったことないけどノルウェー思い出すよ」

「空が青いなあ」


 巨大な魔導強化ガラスの向こう側には遥か彼方まで広がるなだらかな平原、幾重にも連なる深い緑の丘陵。

 その間を縫うようにいくつにも枝分かれした河川が蛇行し陽光を反射してまばゆくきらめいている。人工物や文明の痕跡は無い。

 人の手が一切及ばない、原始の美しさを湛えた大自然。その彩度の高い緑の原野には獰猛な異界の野生が息づいている。


「まったく、あいかわらず風光明媚で嬉しいねえ」

 カイルは皮肉っぽく笑うとゴーグル型眼鏡のフィルタ機能を使い前回の調査でも手を焼いた森の境界線を分析し始める。  

 九条シューマは長髪を風に揺らしながら、その穏やかな景色の奥に潜む静寂の源を探るように目を細めた。


 一行は浮足立つこともなく駅から出口へと向かった。テラスからの壮大な眺望は経験済みであり、彼らにはこれから踏み込む現場への再訪に対する緊張感がみなぎっていた。

 防壁に設けられた正面ゲートが開放された。その先にはもう舗装された道はない。

 そこに刻まれているのはこれまでに数多のダンジョンエクスプローラーたちが踏みしめ、その足跡だけで形作られた轍だ。


「それでは諸君、行きますよ!」

 橋広教授が軽やかに告げた。

 レイジは無言で使い込まれた鈍く黒光りするピッケルを杖代わりに突き、最初の一歩を踏み出した。

 文明の安息を背に一行は陽光きらめく異界のランドスケープへとその歩を進めた。


「プッギュエエエエエエ!」

「プギャギャッ! ギャッ!」

 中層駅を出発してから数時間。平原と接する深い森の静寂が、突如として耳を叩くような下卑た咆哮によって破られた。


 一行の行く手を阻むように茂みから姿を現したのは、2体の豚鬼オークだった。  

 豚と猿が雑にブレンドされたような頭部。体毛の少ないつややかに脂ぎった小麦色の肌、肥大した筋肉、そして濁った食欲を剥き出しにしたつぶらな瞳。手にしているのは原始的な棍棒だが、その膂力から繰り出される一撃は、人体を防具ごと粉砕する破壊力を持っている。


 だが橋広パーティに混乱はなかった。  

 数分前、倒木に刻まれた独特の縄張りの印(マーキング)とわずかに漂う獣臭をレイジが指摘し、あらかじめ警戒態勢をとっていたからだ。


「ガイドはそこで見てて良いですよ! 手助けは不要です」

 真っ先に切り込んだのは、天宮リヒトだった。  

 彼が抜き放ったのは、アマミヤ・イージス製の魔導剣エーテライズブレード。リヒトの()()に呼応し、刃が高温を帯びて赤化する。


「はあぁっ!」

 鋭い踏み込みと共に放たれた灼熱の一閃が、先頭の豚鬼の首を深々と切り裂いた。傷口からは焼けた肉の臭いが立ち上り、豚鬼は悲鳴を上げる事もできず崩れ落ちる。リヒトは鮮やかな残心を見せ、レイジの方を見て不敵に笑った。


 魔操――魔素操作エーテルコントロール

 ダンジョン内に遍在する魔素エーテルをその肉体を通じて、あるいはダンジョンから産出される素材を加工したデバイスを介して、熱や電気といった物理現象へと変換する技術だ。

 リヒトが発現させたのはダンジョン内の魔素を触媒となる深鉄鋼アビスティール製の刀身へ流し込み発熱させる現象である。使用者の特性に合わせて調整されたデバイスと高い魔操適性が揃って初めて行使できる攻撃手段。

 ダンジョン内の魔素に曝された生物の一部が覚醒するこの能力を得ることによって、探索者ダイバーたちはモンスターの徘徊する死地に対抗している。


 もう1体も学生たちの連携によって追い詰められていく。  

 九条シューマは左手首のリスト型デバイスから魔素によって形成された半透明なハニカム構造の盾と、右手のマチェットで豚鬼の棍棒を巧みに受け流し、ステップに織り交ぜた蹴りを使い体勢を崩す。その隙に向かって藤咲モモナが動いた。


「死ね豚ァ! 死ねッ! 死ねえええええ!」

 彼女が手にするのは、魔素を通すことで高電圧を発生させるクォータースタッフ。普段の清楚な微笑みは完全に消え失せ「豚ァッ!」血走った目で豚鬼の全身を乱打する「死ねェッ!」小柄な体を回転させ「ラァッ!」遠心力を乗せて叩き込まれる殺意と紫電を帯びた打擲の嵐。

 豚鬼の痣だらけになった体が痺れて硬直したところへ、市ノ瀬カイルがハンドアクスを薪割りのように振り下ろしてとどめを刺した。


「うっわ、気持ち悪!……九条先輩、次は絶対代わってくださいよ……俺、こういうの向いてないんスから」


 カイルは顔に飛んだ返り血を嫌そうに拭いながらぼやいた。

返り血一つ浴びていない九条は優雅な所作で展開していた盾を収納し

「前向きに検討しておきます」と答え、言質を与えなかった。

 戦闘はわずか数分で終わった。  

 リヒトは最新装備の性能を誇示するように肩をそびやかし、華麗な動きで剣を鞘に納めた。柄に手を添えて高らかに宣言する。


「これがアマミヤ・イージスの最新作、スカーレットエクスカリバーシリーズ『ファイアジャッジメント・マーク(ツヴァイ)』ナイトオブプロミネンスエディションの力ですよ」

 もちろん使い手の能力があってこその性能ですが、と続ける。


 その場にいた全員が(長い)(……長い)(そんな名前だったんだ)(長すぎだろ)(まさか自分で名付けたのではあるまいな?)と似たような感想を抱いたが礼儀正しく黙っていた。


「どうですか久間川さん。彼らの実力は?」

 事前に「まずは彼らの戦闘スキルを見てほしい」と学生たちのみで対応させた橋広教授が、豚鬼の死骸をなぜかどことなく悲しげに眺めながらレイジに問いかけた。

 レイジは豚鬼の骸を軽く検分し、短く答えた。


「たいしたものです」

 おおむねソロでダンジョンにエントリーするレイジにとってダンジョン内モンスターとの戦闘とは、遭遇を回避し損ねた際に行う作業だ。拳骨で力任せにブン殴るか、ブーツの底で蹴り潰す。

 彼には「剣を加熱させる」や「連携で隙を作る」といった戦術の巧拙についてはよく分からなかった。しかしわからないなりに


(あのアツアツな剣とかビリビリな棒とか、うまく使うもんだ。俺には真似できん)

 と素直に感心する。

 レイジも一度興味を持って似たような魔導デバイスを試しに使わせてもらったことがあったが、「よし、魔素を突っ込めばいいんだな」と筋肉的思考で挑んだ結果、派手に損壊させる結果に終わった。

 

 魔導化武器エーテライズウェポンとは使用者の魔躁特性トレイトに合わせた出力や魔素流路などの調整、デバイスの作用機序に対する確かな理解と習熟が必須な、繊細な機器なのだ。

 レイジのような蛮族が力任せに振り回す棍棒とは運用思想が根本から異なる。


(あのときはめちゃくちゃ怒られたなあ。悪いことした)

 反省したレイジは、以後は護身用装備に「頑丈・堅牢」以外の機能を求めるのはやめた。人には向き不向きがあるのだ。


(それにしてもあんなにクルクル動いて、よく目が回らないもんだ。……まあ、まだステーションのすぐ近くだ。今のうちにカラダを動かして慣らしておくのも悪くはないだろう)

 周辺のモンスターについてはどうやらこのメンバーで十分対応できそうだ。レイジはそう判断し、当初の予定通りキャンプ設営地点への移動を促した。

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