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会社訪問

 

 久間川レイジが地上に戻ってから数日後。


 八王子駅北口の喧騒から離れた古い工業区画。FENS社が入居する古びたビルに、いささか似つかわしくないアカデミックな空気を纏った二人の来客があった。


 ダンジョン内通信インフラ保守の一端を担うFENSは、武蔵野魔導大学ムサマの工学系学科と機材の共同試作や実地データの提供などで多少の縁があった。

 よって大学関係者の出入り自体は皆無ではないのだが、生命科学部の権威とその教え子が直接訪ねてくるとなればそれはやはり異例の事態だった。

 レイジは使い古されたオフィスチェアから腰を上げ、来客を迎えた。


「お忙しい中、お時間を割いていただきありがとうございます」

 丁寧な所作で頭を下げたのはロマンスグレーの端正な髪型と丸メガネが似合う長身の紳士、武蔵野魔導大学の橋広教授だった。

 事前の約束通り、指定された時間に足を運んできたのだ。


 そのすぐ後ろにはダンジョン内で出会ったときときの薄汚れたアウトドアファッションとは違い、大学の公式行事で用いるようなフォーマルなスーツとヒールで背筋を伸ばした田沖アメリが控えていた。  

 親しみやすいタヌキ顔の面差しをした彼女は瞳を好奇心いっぱいに見開いて、物珍しそうに事務所内を見渡している。

 ダークブラウンのミディアムボブは、スーツの凛とした印象に反してあちこちが不規則にハネ散らかしていた。

 本人は「ダンジョン特有の湿気と魔素の干渉による構造変化」だと曇りのない瞳でで主張している。信じる者は誰もいない。


 身長160cmのアメリは195cmのレイジの前に進み出ると顔を見上げ、深々と頭を下げた。

「久間川さん、 おひさしぶりです!そのせつは本当にありがとうございました! 」

「おう」

「このご恩は一生忘れません!久間川さんのことも天文学的期間で忘れません!」

「ああ、そう……」

 まあ前途ある若者が助かってよかった。レイジは常識的な対応に努めることにした。大人として、優しく諭して終わりにしよう。


「きみ、もうダンジョンなんかに潜るのはやめて達者に暮らしなさい――。」

「……」

 アメリは一瞬目を丸くし、それから目を細めて「ふふん」と不敵な笑みを浮かべた。それはどうかな?とでも言いたげな得意気な顔。

 なんだこいつ……なにか嫌な予感がする。

 レイジは目の前の何かを言いたそうなたぬきを無視して橋広教授に応接用のソファを勧めた。


「……橋広さん。わざわざどうも。学生さん、お前ももう動けるのか。あの時はひどいつらだったが」

「おかげさまで! 翌日にはテングクリムゾンで激盛を完食できるくらい元気になりました!」


 アメリの屈託のない笑顔と5kgもの超激辛カレーを平らげたという報告にデスクでログ解析をしていた雨志田ソウヤが顔を上げ「え?あの量を?女の子が……?えぇ……」と表情を引きつらせる。

 橋広教授は改めてレイジの方へ向き直り、深く頭を下げた。手土産の菓子折りと封筒を応接デスクにそっと置く。


「久間川さん。まずは彼女の命を救っていただいたこと、重ねて御礼申し上げます。あなたの冷静で適切な判断がなければ、彼女は今頃間違いなくダンジョンの養分になっていたでしょう。これは、本学からの正式な謝礼です。どうかお受け取りください」

「仕事のついでですよ。お気持ちだけで結構です」


 レイジは封筒を押し戻そうとしたが、教授の誠実な頑固さがそれを拒んだ。「こちらは是非お納めください」と強く促され、レイジは小さく溜息をついて封筒を脇に置くとソファに座り直した。


「……それで、わざわざこんなむさ苦しい所まで来た本題をうかがっても?」

 レイジのぶっきらぼうな問いに、橋広教授は恐縮したように目を細め本題を切り出した。


「察しがいいですね。実は、折り入ってお願いしたいことがありまして……。 来週から再開を予定している我々のフィールドワークに、アドバイザー兼ガイドとして帯同してはいただけないでしょうか。場所は中層平原から高尾湖に向かうノーマルルート、武蔵野樹海付近になります。目的は、最近目撃情報のあった『変異種』、あるいは未確認の『新種』モンスターの生態調査です」

「もちろん私も行きますよ!」


 と教授の隣に座ったアメリの鼻息は荒い。彼女の瞳は、未知の生物への渇望でキラキラと輝いている。

「ええ、彼女も……えっ?行くつもりなの?」と教授がアメリを二度見した。どうやら教授にとっても、アメリの復帰速度とやる気は想定外だったらしい。

 レイジの眉がピクリと動いた。


(こいつら正気か?)

 つい数日前にあんな遭難事故を引き起こしておきながら、舌の根も乾かぬうちにまたダンジョンに潜るつもりなのか。目の前で平然と激辛大盛カレーの完食を誇ったアメリといい、この一見物腰柔らかな教授といい、この連中の頭の作りはどうなっているのか?


 武蔵野魔導大学――通称『ムサマ』。日本におけるダンジョン研究の頂点に位置し、国家のエネルギー政策からダンジョン産出資源の研究、次世代魔導医療の基礎理論までを担う文字通りの最高学府。

 国から莫大な予算を投じられダンジョン内での特殊な調査権限すら持つ知の殿堂。それが一攫千金を夢見てギャンブラーじみた無謀な探索に挑むタイプの探索者ダイバーたちとさして変わらない行動規範で動いていることに、レイジは呆れを通り越して戦慄すら覚えた。


「……調査? 狩猟ではなく?」

「ええ。その個体がどのような生態を持ち、既存の生態系にどう干渉しているか、ありのままの姿を観察したい」

「はあ」

 「つくづく私は今回の事故で痛感しました。我々にはダンジョンにおける優秀なコンサルタント、いや指導者メンターが必要なのです。

 あなたのダンジョンにおけるサバイバル技術と貴重な経験に基づく助言があれば、我々のような経験が十分とは言えないチームでもより安全に、かつ正確な調査が行えるのではないかと考えました。機材の搬入やネットワーク構築についても、あなたの知見をおおいに頼りたい!」

「いやいや待ってください。橋広さん、あいにくですがうちはただの通信屋ですよ。たしかに頻繁にダンジョンには潜りますが、業務内容は中継装置の設置や保守点検です。ガイドや護衛なんてサービスは請け負っていません。畑違いです」

 レイジは取りつく島もなく首を横に振った。


「お願いします、久間川()()!」

 アメリがデスクに身を乗り出してレイジに迫った。その大きな瞳は、好奇心ではなく「逃さないからね!」という強い決意に満ちて輝いている。


「私、あのときわかったんです。久間川先生には、ダンジョンの本質が見えているって! 理論だけじゃ辿り着けない境地、見落としてしまう輝きを、あなたはあんなにはっきりと理解していたじゃないですか!」

「…うん?先生?輝き?何の話をしてるのかさっぱりわからんが……あのときって何だ?」


 レイジは困惑を通り越してうっすらと恐怖を感じ始めていた。

 このたぬき、思ったよりヤバい系なのではないか?


「久間川さんはきっとダンジョンの妖精っぽいアレなんです!

 そんな人がそばにいてくれたら、私の……私たちの研究はどれほど進むことか!いずれ私は深層の先の先に隠されたダンジョンの秘密を……!」

 ソウヤはうっかり妖精の羽が生えた半裸のレイジがフヨフヨと空を漂う姿を想像してしまい、渋い表情になった。夢に出そう。やめてくれ。


「うん、田沖くーん、落ち着きなさーい」という橋広教授の控えめな制止も、今の彼女の耳には届かない。

「お願いです、久間川さん! あなたのピッケルが、隠された真実への道標になるんです!それにまたあの美味しいポタージュが食べたいです!」

「食いたければ作ってやるが別にダンジョンの中で食わなくてもいいだろう」

「ほんとですか!……いえダメです!中層で食べましょう!キャンプで食べることに意義があるんです!妥協は人間をダメにします!」

「ほんとに何を言ってるんだおまえは……」

 レイジは深く溜息をついて天井を仰いだ


「それに……うちはJASROの中小受託事業者なんでね。個人の判断で畑違いのジョブは受けられない。お話は伺いましたが、まずは持ち帰らせてください」

 レイジが有無を言わせぬ断固とした口調で締めくくると、橋広教授は残念そうに頭を下げた。


「……承知いたしました。突然の不躾なお願い、失礼いたしました。ですがどうかご一考をお願いいたします」


 そして「まだお話の途中ですクマさーん! 久間川さーん!見捨てないで!」となおも食い下がり、応接ソファの肘掛けを掴んで離そうとしないアメリの首根っこを申し訳なさそうに、しかし手慣れた様子で掴み上げるとそのままズルズルとドアの方へ引きずっていった。


「受けろよ、レイジ。これはチャンスだ」

 客人が去った後の事務所で、最初に口を開いたのはソウヤだった。


「うん、やるべきだよ」

 事務所の奥にある社長室から、FENSの経営者である雨志田うしだ社長が顔を出して言った。

 ソウヤの叔父であり、50代のベテラン技術者でもある彼は、FENSの「安全第一」という理念をそのまま体現したような温かみのある目でレイジを見据える。

 レイジの持つ稀有なスキルと実績を最も高く評価する理解者であるが、同時に彼が深層に入り浸ることを憂慮している。


「久間川くん。きみはいつまで今の調子で『深層ダイブ』を続けるつもりかな?」

「……体が動く限りは」

「馬鹿を言わないでくれ。きみの魔素耐性は並外れているが生物である以上、蓄積は確実に進んでいる。いつまでも潜り続けられるわけじゃない。今後の人生についても考えなさい。大学とコネクションができるなんてまたとない機会だよ?」

 雨志田社長は、レイジの肩をポンと叩いた。


「今回のクライアントのご指名は中層だ。きみにとっては近所の公園で散歩するようなものだろう? 深層で鬼や天狗と鬼ごっこばかりしてたら命がいくつあっても足りないじゃないか。会社としても、武蔵野魔導大学ムサマとの公式な協力関係はいくらでも欲しい。本業じゃないなんて堅いこと言わずに、広報活動の一環だとでも思ってやってみたら?……ああ、やってみたら、じゃないな。やりなさい。そうだ、社長命令だよ社長命令」

 想定外に強く迫る業務上の圧力にレイジはたじろいだ。なんとか逃げ道を探そうと、デスクのソウヤに視線を向ける。おまえだけが頼りだ。


「……ソウヤ。お前、深層の解析データが遅れると困るって言ってたよな? 第22エリアのノード同期がまだ甘い。俺が行って調整しないとまずいんじゃないか?」

「ああ、それなら問題ない。昨日お前が持ち帰ってくれた同期データをもとに、俺がリモートで補正パッチを投げといた。ズレは誤差以下に収まってる。お前の出番は一切ない。まったくない」

 ソウヤはキーボードを叩く手を止めず、ディスプレイ越しに冷たい視線を送る。

 レイジはなおも無駄な抵抗を試みた。


「……じゃあ、その、なんだ。ええと他にも何かあったような気がする。きっとある」

「……レイジ。お前のバイタルデータを管理してる神である俺からのありがたい警告だ。最近、休息時の心拍が魔素の影響で微かに上がってきてる。単純に深層に居すぎなんだよ。これ以上数値を上げたら、俺がJASROにデタラメなメディカルデータでも提出してお前の探索者ダイバーライセンスを停止させてやる。俺を心配でハゲさせたいのか?俺の髪になにか恨みでもあるのか?」

 ソウヤが椅子を回転させ、正面からレイジの目を見つめた。その目は大学時代からの親友をこれ以上死地へ送りたくないという、切実な光を宿している。


「たまには若い連中に山の歩き方を教えるのも悪くないんじゃないか?OJTだと思えよ。 教授とのパイプができればJASROとのあれやこれやもいろいろと融通が利くようになる。お前の『趣味の登山』を会社としても黙認しやすくなるんだぜ」


 いいな?しばらく中層で深層の魔素エーテルを「抜け」ととどめを刺される。

 外堀を埋められ、レイジは呻いた。同僚たちの言葉にはレイジの身を案じる真情と、将来を見据えた現実的な計算が込められていた。  

 レイジは窓から高尾の山嶺を眺めた。

 自分のような粗雑な人間に教育者の立場など向いているとは思えないが、彼らのような無知な若者がダンジョンの歩き方を覚えれば、いくらかは不運な遭難事故が減るかもしれない。それは探索者ダイバー界隈全体にとっても悪い話ではない。


「……わかりました。社長、会社として受けてください。ただし、向こうが俺の流儀に苦情を申し立てても一切受け付けませんよ」

「わははは。ノークレーム・皆でリターン、ということだな!」

 ようやく折れたレイジに社長は笑った。

 片目をぎゅっと閉じ、両手を拳銃に見立ててレイジを撃つジェスチャーをバンバンと繰り返す。

 ちょっとこのノリはきついものがある。


「え?ああ、うん?リターン?そうですね……」

「よし、決まりだ! さっそく先方に承諾の連絡を入れよう。ソウヤ、契約書のドラフトを頼むぞ!」

 こうして久間川レイジは橋広ゼミの調査行に参加することになった。


 レイジにとって中層セントラルとは深層デプスへの「単なる通り道」に過ぎない。

 そこは地上の喧騒と本格的な異界を繋ぐ、通路のような場所。慣れ親しんだルート、熟知した魔素分布、顔馴染みのような感覚のモンスターたち、そして入り口には軍の部隊が駐留する安全圏。

 ――だが、山々の頂上だけを見上げている者は往々にして足元の小さな変化を見逃す。

 この時のレイジは、日常の一部と化して久しい中層が「変異」の予兆に音もなく震えていることにまだ気づいていなかった。

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