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ダンジョンの街

 八王子は、ダンジョンの街だ。


 久間川レイジの生まれる前の世界には退屈なほどの平穏があったという。

 日本において幸福な時代が終わったのは1980年代初頭。高尾の山が割れ、そこから「地獄」が溢れ出した時だ。


 『高尾大氾濫』  

 教科書上では数行で片付けられるそのイベントは、近代兵器の有効性を減退させる魔素の干渉、八王子の街を埋め尽くしさらに獲物を求め氾濫した怪物たちの濁流、そして多摩川に沈み関東一円で失われた数十万人の血で記述されている。  

 軍も警察も逃げ遅れた市民も、等しく踏みつぶされ蹂躙された。


 最終的に日本国政府が選ばざるを得なかった解決策は、なにもかもを吹き飛ばし、焼却することだった。

 空爆と砲撃が化け物もろとも市街全域を廃墟と灰燼へ変えた八王子奪還作戦。

 歴史的経緯を授業で教えられた時、レイジは「今も昔も人の命の扱いはたいして変わらないな」と考え――まあ丸ごと消えてなくなってしまった国の連中に比べればずいぶん恵まれているか、という感想を抱いたものだ。


 破壊の後の復興は急速に進んだが、人類は逞しいというより、どうしようもないほど強欲だった。  

 ダンジョンに満ちる魔素エーテルの有用性、未知の資源という金脈が見つかるや否や、国はこの焦土に群がった。無数の屍の上にコンクリートを流し込み、墓標の代わりに要塞を築き、資源を吸い上げるための巨大な都市を作り上げた。


 再建された八王子の空は現代の大都市としては驚くほど広く、そして遮るものがない。街には、市街を取り囲むような巨大な防壁などは存在しない。


 そういえば、とレイジが顔なじみの軍人に雑談の中で理由を問うたことがある。

 またモンスターが溢れ出した場合に備えんのか、と。

 軍人はなんでもないことのようにレイジの疑問に答えた。


 モンスターのダンジョン外侵攻──氾濫フラッド発生時、ダンジョン開口部を射程内に置いて配備された砲兵部隊による砲撃、あるいは上空からの空爆を効果的に叩き込むためだ。あらゆる高層建築物や構造物は、火線の障害とならないよう射界制限の下に配置されている。まあ何しろ1回やったことだからね、と。


 メインストリートである「高尾大通り」は、地上の最先端技術と異界の混沌が奇妙に融け合った場所だ。  


 通りの一角では、軍事用語で『E型装備』と呼称される魔導化エーテライズ装備をカチャカチャと鳴らし、身の丈に近い長さの戦斧を背負ったベテランの迷宮探索者(ダンジョンダイバー)がまるで帰宅途中のサラリーマンのような疲れた顔をして歩いている。

 そのすぐ横を交通安全の黄色いカバーをつけたランドセル姿の小学生たちが、「ミャアアアー!」とおそらくはアニメに登場するダンジョンモンスターの真似であろう奇声を上げながら駆け抜けていく。


 街頭スピーカーから「現在、周辺の魔素濃度が上昇しています。マスクの着用を推奨します」という魔素警報エーテルアラートが鳴り響いても、立ち止まる者は誰もいない。彼らにとってそれは降雨予報と同じ程度の、日常的な生活音に過ぎないからだ。


 ストリートに立ち並ぶさまざまな店舗もこの街独自の商文化を色濃く反映している。  

 図々しくも「元祖・新八王子ラーメン」を僭称するラーメン店の向かいの青果店の店先に並ぶのは栃木産の瑞々しいレタスや茨城産のトマト、隣には安全基準をクリアしたダンジョン産の「玄武岩芋ロックポテト」や「焔根人参フレアキャロット」が当然のような顔をしてゴロリと並ぶ。

 魔素の脈動でピクピクと蠢くそれらを手に取り、「今日は活きがいいわ」「あ、噛んだ」などと言いながら、手慣れた様子で買い物籠に放り込んでいく主婦たちの姿は八王子ではごくありふれた日常だ。怖い。


 蒼白く発光するドラム型機械を店頭で稼動させているのは近年登場した魔素洗浄エーテルクリーニング専門店だ。魔素の活性エネルギーによって衣類を傷めず汚れだけを分子レベルで剥ぎ取るという謎めいた洗浄力を売りに数を増やしつつある。


 カフェのテラス席に並ぶのは最新のデバイスでダンジョン関連医療企業の株価をチェックするビジネスマン。その向かいには武装解除したダンジョン帰りの探索者ダイバーたち。洗浄ブースで浴びた薬剤のミント臭でブレンドコーヒーの香りを台無しにしながら談笑している。  


 夥しい先人の犠牲の上に築かれたこの街にはダンジョンと共存し、その恩恵を享受しながら生きる新時代に適応した人々の日常が満ちていた。

 ある意味、地上もまたダンジョンの一部なのだ。


 新高尾駅からダンジョン入り口へと続く高尾大通りの正面を見据えれば、そこにはこの街の「平和」が何を代償に成立しているかが、剥き出しの形で見えてくる。


 ダンジョン出口の「前」は遮蔽物のない荒涼とした広大な空き地が整備されている。  

 そこは作りかけの公園でも市民憩いの広場でもない。モンスターの氾濫フラッドに備え、幾重にも張り巡らされた塹壕と、分厚いコンクリートで固められたトーチカ群が等間隔で座する「野戦陣地」だ。  

 ときおり出口から這い出てくる、あるいは叩き出されたモンスターたちが市街地に到達する前に、高尾即応連隊の防衛火力によって一匹残らず「灰」へと変える場所。

 軍やダンジョン産業関係者はここを機能としての名前で呼ぶ――「処刑場」と。


 この鉄火場には、高尾即応連隊の1個歩兵大隊が常時張り付き不眠不休の警戒に当たっている。彼らの銃口は常にダンジョンの闇へと向けられ、検知センサーが空間の微細な揺らぎを監視し続けていた。夜間にも行われる「害獣駆除」の曳光弾が空を裂く光景は特別なものではない。


 その殺伐とした野戦陣地から十分な距離を置き、高台にそびえ立つアイボリーホワイトの巨大建造物。商業・行政・軍事機能が一体化した半官半民の複合施設、タカオラビリンスモール。

 モールの基部からは、ダンジョン入口へと続く大回廊鉄道(GCR)のレールとEV専用道路に付随する歩行路が、野戦陣地を貫くようにしてダンジョンの喉元へと一直線に伸びている。


(……相変わらず、上は賑やかだな)

 久間川レイジはダンジョン中層のセントラルステーションからGCRの専用車両に揺られ、他の探索者ダイバーや観光客たちと地上へと戻ってきた。


 到着したのは、タカオラビリンスモールの地下に位置する表層サーフェス統合駅――通称「ダンジョンステーション」だ。ここは地上と異界を繋ぐ喉元であり、物流のボトルネックである。如何なる経路を選んでも、全ての動線は軍の管理する厳重なセキュリティゲートへと収束する構造になっていた。


 列車のブレーキ音が重々しく響き、広大なトランスファーハブに停車する。

 プラットフォームや隣接する車両待機所には高尾即応連隊の兵士たちが銃を手に立ち並び、厳しい警備の目を光らせていた。

 観光地化された浅層エントランスへ鉄道で向かう観光客、徒歩でダンジョンエントリーする初級探索者ノービスダイバーも一人残らずセキュリティゲートを通ることになる。


 ハブの背後には、地上の港湾物流拠点に匹敵する大規模なバックヤードとコンテナ集積施設が広がり、さらにその奥には地上の核融合グリッドから送られる莫大な電力を集約、分配する電力バッファ・変電施設が鎮座していた。ダンジョン内部の活動を支えるこの施設には、万一の供給途絶に備えた非常用発電設備も併設されている。


 洗浄ブースで全身にデトックスミストを浴び、土埃と魔素の残滓を洗い流すと、ようやく肺に「地上の空気」が戻ってきた感覚がした。レイジは探索者ダイバーたちが利用するモールロビー直通のセキュリティゲートではなく、業務用ゲートへと足を向けた。


 レイジが向かうのは、探索者や研究者や観光客で賑わう華やかな1階総合ロビーではなかった。  

 一般人の立ち入りが制限された、ダンジョン行政を管轄する日本異常構造研究機構(JASRO)の業務用保守管理窓口――通称、地下事務局。


 そこはモールの華やかさとは対極にある、前時代の市役所のように無機質な事務作業空間だった。

 カウンターの向こう側では、つまらなそうな顔をしたベテランの事務官たちが、ダンジョン内のインフラ保守管理業務とそれに付随する観測データ処理といった専門的な業務を日々淡々と処理している。


「次の方、FENS(フェンス)さん。……久間川さん、深層ノードの保守完了報告ですね。ご苦労様でした。」

 窓口の女性職員がレイジの提出したASCOM保守ログを端末に読み込ませながらファイルを確認した。


「はい。第15エリアから深層境界にかけてのノードの同期設定、それから深層で拾った異常パルスデータです。サーバには上げてありますが、念のため物理バックアップも置いていきます。ボディカムの記録データもその中に」


 職員が手慣れた動作でストレージからデータを端末に読み込む。

 通常の迷宮探索者ダンジョンダイバーは装着したカメラデータをリアルタイムでJASROの監視サーバへ送信する義務がある。送信された映像はAIによって常時監視され、異常があれば即座に人間の管理者が介入するシステムだ。

 レイジのように通信ネットワーク自体のノード調整、設定などを行う技術者は業務の内容上、リアルタイム送信に支障が出る場合があるためこのような方式が認められていた。


「異常パルス? ……あー、またかあ。最近、調査部がピリピリしてるんですよね。……はい、受領しました。お疲れ様です。今回は資源納品はありませんか?」

 そう訊いた職員の妙な期待がにじむ目をレイジはさりげなく無視した。


「いえ今回は何も。完了報告だけですよ。……ああ、そういえば今回はカメラに()()()が映ってるはずです。途中で害獣に食害にあって保護して戻りました」

「害獣……?」

 職員が怪訝な顔をしたが、レイジにはそれ以上の説明をする気はなかった。


「見ればわかりますよ。じゃ」

 レイジは受領印の押された書類を受け取ると、軽く会釈して窓口を去った。


 モールの外へ出ると、八王子の空は夕闇に包まれ始めていた。  

 沈みゆく太陽の光が、ダンジョンから漏れ出て宙を漂う希薄な魔素と混じりあい街を不気味な紫色の残照で染め上げている。  


 駅前の大型ホログラフィックビジョンには先日帰還した有名マスターライセンス探索者ダイバーの戦果、迷惑系ダンジョン内実況配信者の死亡ニュース、そして明るい音楽とともに流れる魔雫葡萄エーテルグレープを用いた新製品コマーシャルなどが映しだされている。CMの最後に『カラダにエーテル!ココロにミラクル!』とキャッチコピーを叫ぶ可愛らしいアイドル。意味不明である。


 レイジは華やかなメインストリートから外れ、駅から離れた工業区画へと歩を進める。  

 向かう先は八王子奪還作戦後、工期とコストと機能性だけを考えた規格で建設された無個性な豆腐のような外見のビルのひとつ。

 外壁に掲げられた看板には、汎用フォントでこう書かれている。


『フィールドエーテルネットワークシステムズ (FENS)』


 正面ドアを開けると古いエアコンの作動音とともに、安いインスタントコーヒーの香りが漂ってきた。  

 豪華な上級探索者(ダイバー)チームの拠点や、武蔵野魔導大学の洗練されたキャンパスとは程遠い、奪還作戦直後の復興建設ラッシュで建てられたコンクリートに安い塗料が塗られただけの壁。壁沿いに並んだスチールラックにはASCOM機材の予備パーツや測定機器、規格ごとに分別されたケーブル類などが整然と収納されている。床のグレーのPタイルは重い機材を引きずった跡で白く擦れ、安価なスチールデスクの上には最低グレードリースのホログラフディスプレイ。ホワイトボードに様々な筆跡で書かれた予定、雑多な注意書きとリマインダ。

 ここがレイジたち現場作業員たちの「帰る場所」だった。


「久間川です。戻りました」

 レイジは巨大なバックパックをドスンと無造作に床に下ろすと、使い古されたオフィスチェアに深く腰掛け広く分厚い背を預けた。


「遅いぞ、久間川主任。三日も超過したうえにろくに連絡もよこさない、帰ってきたと思えば定時過ぎとはね。俺は悲しいよ。いつからそんな不良になった?」

 事務所の奥から、同僚がホログラフディスプレイ越しに不機嫌そうな声を上げた。彼は定時を過ぎても帰還予定のレイジを待っていたのだ。


「悪い。まあ深層やまではいろいろあって何事も予定通りにはいかないからな。しかし、ちょっと連絡がないくらいでそんなに恋しがるとは……。俺のママかおまえは。甘えてやろうか?」

「やかましい。社長おじさんがうるさいんだよ。あの人も俺と同じくらいおまえを心配して――まあ、とにかく無事で何よりだ、レイジ。相変わらず腐れキノコ汁臭いなあ」

 レイジの同僚、雨志田うしだソウヤは呆れたように笑い、レイジの差し出したバックアップストレージを受け取った。


 窓外には、異界をその胎内に呑み込んだまま巨大な影となって横たわる高尾の山嶺が地上の灯りを拒絶するように静まり返っていた。

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