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中層基地

「――ですから中尉! アメリは、彼女はもう4日も行方不明なんですよ!何度言えばわかるんだ!? 一分一秒を争う状況なんだよ!軍は、国は彼女の命を見捨てるというんですか!?」


 ダンジョンの表層サーフェス入り口と中層セントラルを結ぶ大回廊鉄道の中層側施設、セントラルステーションに隣接する日本陸軍基地。

 その外来者受付カウンターの前には重苦しい緊張と疲労が漂っていた。


 真新しいダンジョン探索装備に身を固めた男子学生が、カウンターに握りしめた拳を打ち付ける。その端正で整った顔からは普段のエリート学生らしい自信と余裕は霧散し、焦燥と「失う恐怖」に引き攣っていた。

 彼の背後には、彼と同じくフィールドワークから戻ったばかりの武蔵野魔導大学の指導教官と学生たちが力なく立ち尽くし、しゃがみ込んでいた。


 彼らの服装は本来なら機能美に溢れた一流メーカーのハイキングウェアやアウタージャケットだったが、今はどれもダンジョンの土埃で薄汚れ、傷つき、無残に皴寄っていた。

 トレッキングブーツは泥にまみれ、何キロも走り、歩き通した疲労を物語っている。壁際に無造作に置かれた巨大なバックパック群も持ち主の心身の限界を象徴するように、力なく横倒しになっていた。


「……いいですか、中尉。僕の名前は天宮リヒトです。天宮、です。わかりますね?天宮グループはJASROの予算委員会にも席を持っている。もし、『軍が適切な救助活動を怠り前途ある学生を見殺しにした』と報告すればただではすみませんよ……あんたの進退に関わる問題になるんだ!わかっているのか!脅しなんかじゃないぞ!」


 執拗に軍の捜索と救助を要求する彼の口から出たのは、自身の家名を盾にした露骨で稚拙な脅迫だった。『行方不明の田沖アメリ』という過酷な現実は、彼から手段を選ぶような余裕を完全に消し去っていた。


「天宮君、落ち着きなさい。……中尉、たいへん申し訳ない。彼に代わってお詫び申し上げます」

 指導教官が穏やかに、しかしその裏に隠しきれない震えを滲ませて割って入る。その背後では、他の学生たちがそれぞれ方法で己の苦悩と向かい合っていた。


 乱れた長髪を額に張り付けた男子学生は手元の端末を握りしめたまま、身じろぎもせず彫像のように立ち尽くしていた。画面には自分からは連絡をしたことがない連絡先が表示されている。指先は発信ボタンの数ミリ上で、凍りついたように動かなかった。


 その横で髪の短い女子学生が端末を睨んでいた。手元の画面には、自分たちがこれから強行救出に向かう場合に必要となる物資のリストが並んでいる。

「……この重量を背負ってロストしたポイント……予測捜索範囲までどれだけかかる? 私たちの脚では到着する頃にはあの子は……」

 現実的な計算が弾き出す生存確率の低さに唇を嚙む。


 ゴーグルをかけた痩せた学生は、独自に改造した合法かどうかが曖昧なASCOMテスターを許可なくノードの微弱な漏洩信号に繋ぎ、何とかアメリの端末のシグナルを拾おうと試行錯誤していた。疲労と睡眠不足で充血した目が、焦燥でせわしなく泳いでいる。


 床にへたり込み、両腕で自分の体を抱きしめ憔悴しきった小柄な女子学生は焦点の合わない瞳でブツブツと呟き続けていた。

「どうしよう……私のせいだ。私がアメリちゃんの手を離したから……」


 スポーツマンタイプの男子学生もその隣で絶望に打ちひしがれたまま、膝に置いた両手を固く握り合わせ祈るような姿勢のまま項垂れている。

「……中層の夜に素人が一人で放り出されて……無事でいられるはずがない……もう、とっくに……」


 悲嘆に暮れる絶望の言葉を最後まで言い終わる前に、天宮リヒトが憤然と振り返った。怒りに燃える瞳で皆を、そして軍人を睨みつける。

 ふざけるな。僕はおまえらのような無能でも腰抜けでもない。

 リヒトは荒々しく傍らのバックパックを掴み上げ、肩に担いだ。金属製のバックルが激しくぶつかり合う音が響く。


「もういい、軍が動かないなら僕が一人でも行く! ここで指をくわえて待っていられるか!深層の底まで探しに行ってやる!」

「……面倒を増やすな天宮!座ってろ!」


 物資を計算していた学生が端末を叩きつけるようにして立ち上がり、リヒトに怒声を浴びせる。彼女の常の冷静さもとっくに限界を超えていた。

 自制を欠いた怒号、罵倒の応酬。嗚咽を漏らし、啜り泣く声。

 混沌とするゼミ生たちを指導教官の教授が重く、苦渋に満ちた声で制止した。


「天宮君、落ち着きなさい。君の装備がどれほど優秀な最新鋭のものであっても、一人で捜索に行けるほど中層は甘くない。君の勇気や献身は今は田沖君を救う助けにはならないんだ。君ならわかるだろう?」

 教授の沈痛な言葉に、リヒトは歯を食いしばり、悔しさに拳を震わせながらもその場に立ち尽くした。アメリが消えたときの情景が脳裏に浮かぶ。


 未確認モンスターの調査中、目標の痕跡を見つける前に遭遇した狂乱した羊獣プロバトンの群。本来は温厚なはずの草食獣たちの暴走。

 バックパックのストラップを羊獣プロバトンのねじれた角に引っ掛けられ、群れの波に引きずり込まれたアメリは一瞬で姿が見えなくなった。

 さらに逃げる羊の群れを追うように十数匹の豚鬼オークが群れを成して現れるという最悪の状況。

 どうにかモンスターたちの群れをやり過ごした後、教授は二次遭難を防ぎ学生たちの安全を最優先するため、その場での捜索を強硬に主張する者を必死に説得し、断腸の思いで一時帰還を選択した――。


 窓口の向こう側で陸軍中尉は法令と規則、軍務の壁を盾に態度だけは丁重に

「落ち着いてください」「上に伝えます」「そのような権限はありません」「適切に対応しています」と無表情に事務的な対応を繰り返していたが、その内心には割り切れない苦い思いを抱いていた。

 天宮グループの威光など知ったことではないが、このあと行方不明になった女子学生が辿る末路――あるいはすでに迎えた最期を思うと酷く気が滅入る。

 ダンジョンの過酷な環境は、ひとり取り残された弱者の生存を期待することを誰にも許してはくれない。

 このような情景は中尉の様に中層基地に勤務する軍人――日本陸軍高尾即応連隊にとっては幾度となく繰り返されるありふれた日常にすぎない。

 人間として慣れるべきではない――慣れてしまった自分への蔑みが沸く。

 まったく、なんてざまだ。両親もさぞ誇りに思うだろう。


(可哀そうだがもはや生きてはいまい。今から捜索隊を出しても二次遭難の危険を招くだけだ。もし、彼がこの場にいたとしても――さすがに手遅れだろうが連絡だけは入れておくか。もしや、ということもある。)


 中尉が自分の端末を手に取ろうとした、その時だった。

 ピガッ、と内線が鳴る。部下の軍曹からの連絡だ。

『中尉殿、監視塔の甲斐からです。「クマの旦那が戻った」そうですが……何やら、変なのをぶら下げてるそうです』

「変なのとはなんだ」


 詳しい報告を聞き終わった中尉はかすかに笑い、内線端末を戻した。そして、窓口の向こうで憔悴しきっている橋広教授と学生たちに短く告げた。


「どうやら戻ったようです。ゲートの外です」

「え……?」

「戻った?」

 その言葉を聞いた学生たちは、自分の耳を疑った。

 不信と驚愕が入り混じった表情で顔を見合わせると、彼らは重い足を必死に動かし、何かに急き立てられるように軍基地のゲートの外へと向かった。


 ゲートを抜けた先、中層基地へと続く緩やかな斜面。

 逆光の中から熊のような圧倒的な存在感を放つ大男が悠然と歩いてきた。

 小山の様に巨大なバックパックを背負った男は、太い腕で「荷物」を軽々と小脇に抱えている。薄汚れたハイキングウェアを纏い、半開きの口の周りをチョコレートで汚した間の抜けた顔の「荷物」。

 男の全身に纏わりつく濃密な魔素の残滓と威圧感に学生たちは一瞬気圧されたがすぐに我に返る。


「「「アメリ!?」」」

「ああ、よく無事で……無事だよな?」

「アメリ……アメリ……!」

 学生たちが駆け寄り、リヒトが驚愕の表情で大男――久間川レイジに問う。


「どこで彼女を…… 彼女を一体どこで見つけたんだ!?」

 リヒトの声からは先程までの憤怒と絶望にかわって、ただ目の前の奇跡に対する純粋な困惑と安堵が溢れていた。


深層やまの近くだ。詳しい経緯は本人に聞いてくれ」

 久間川レイジはその場で抱えていたアメリを無造作にベチャリと落とした。


「むぎゃあんっ!」

 地に落ちた田沖アメリは轢かれたアライグマのような鳴き声を上げて力なく悶絶し、疲労で限界を迎えた四肢をだらしなく投げ出したままその場にへたり込んだ。

 ぐにゃぐにゃとしまりのない表情はなぜか満足げだった。


「――深層境界バウンダリ付近で拾った。後の処理は頼む」

 レイジは様子を見にゲートまで出てきた中尉に向かって視線を向けて軽くうなずくと、返事も待たずにセントラルステーションへと踵を返した。

 中尉は目だけで微笑み、軽く敬礼をして見送った。


「すみません。どうかお待ちください」

 教授が去ろうとするレイジの背中に向かって声をかけた。

 教授の思慮深い眼は、名も知らぬこの男が纏う異様な気配を観察していた。


「私は武蔵野魔導大学の橋広、と申します。教え子を救っていただいたこと、心から感謝します。後日、正式にお礼を述べに伺わせてください。お名前を教えていただけますか?」

「俺はフィールドエーテルネットワークシステムズの久間川だ。用件は会社を通してくれ。失礼する……おい、学生。二度と一人でダンジョンをうろつくんじゃないぞ。食い物も盗むな」


「はひぃ……久間川さん、ありがとうございましたぁ……」

アメリの魂の抜けた声を聞きながら、レイジは今度こそ立ち去った。


 地面の上で平べったくなったまま「ポタージュが美味しくて……」と暢気に語り始めるアメリに泣きながら抱き着き、あるいは感極まった歓声を上げる学生たち。

 基地前の喧騒は、レイジが去った後もしばらく続くこととなった。

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