苦い夜
久間川レイジは串刺しにされていた二人の遺体を地面へ横たえた。
まぶたを閉じさせ、固定されていた腕を解放する。
生命を絶たれ尊厳を剥奪された肉体を、貴婦人を扱う騎士のように丁重で迷いのない手つきで「人」の形へと整えていく。遺体が身に着けていたジャケットを脱がせ、それを引き裂かれた顔が隠れるようにそっと被せた。
「……手伝います」
いつの間にか隣に立っていた天宮リヒト。
髪は乱れ、今どきの若者らしく眉の整えられた端正な顔立ちは血の気が失せている。
「きついなら休んでていいぞ」
「僕がこのくらいのことで参るとでも?」
リヒトは鼻で笑い、強張った笑顔を無理やり作ったがその声はうわずっていた。
今日一日の自分の無力さを呪う。何もできず一方的に叩きのめされ追い立てられた。戦いにすらなっていなかった。頂点捕食者とウサギのようなものだ。
――いや、それだけならまだいい。
最悪なのは
(彼らが死んだのは自分たちのせいなのではないか?)
(自分たちを弄ぶ素材にするためだけに殺されたのではないか?)
という可能性だ。
もしそうだとするならば「迷惑な赤枠」などというレベルの話ではない。
犯していない罪の罪悪感がリヒトの内奥で己を責め立てていた。
カチャリ、と金属の触れ合う音が重い静寂に響く。
レイジは遺体の首から下げられていたDD用ドッグタグの一枚を回収した。残りの一枚は遺体と共に残す。回収したものはJASROへの報告用だ。
タグを握りしめ、レイジは短く瞑目した。
「……もう一人の人は……無事でしょうか」
リヒトが祈りの聖句を唱えるように呟いた。
「ゴンさんか。やられてるかもしれんな」
レイジのあまりにもあっさりとした答えにリヒトは絶句した。
「そんな……ベテランなんでしょう?」
「探索者って稼業はそういうもんだ。どれだけ用心しても、どれだけ腕や経験があっても死ぬときは死ぬ」
レイジはリヒトを連れて焚火へと戻った。
そこには互いに身を寄せ合い、深刻な顔で火を見つめる学生たちが集まっていた。
「……あのモンスターが用意した焚き火なんですよね、これ」
田沖アメリがパチパチと小さく爆ぜる火を複雑な表情で見つめる。
自分たちを誘い出し、嘲笑うために怪物が用意した舞台装置。その熱が凍えた心を繋ぎ止めている皮肉と嫌悪感。
「せっかく用意してくれたんだ。ありがたく使ってやるさ。 火に罪はねえよ」
市ノ瀬カイルが言葉とは真逆に心底嫌そうに答えた。
その時、うつむいていた藤咲モモナが、意を決したように顔を上げた。
「久間川さん、あの……コーヒー、まだありますか」
「ん? 飲みたいのか?」
レイジは意外そうに眉を上げた。
昨晩、これを飲んで一番ひどいリアクションをみせたのが彼女だったはずだ。
「モモナさん、昨日飲んで死んだじゃないですか……」
隣のアメリが心配そうにモモナの腕に触れる。
「……あれくらいハードコアなのがいいの。今のこの……なんかグチャグチャな気持ちをリセットしたいから。次はアレにちゃんと立ち向かえるように。アメリちゃんを守れるように」
「モモナさん……!」
モモナの瞳には、恐怖を振り払おうとする強い意志の光が宿っていた。
他のメンバーも顔を上げる。
「……そうだな。いつまでもビクついててもはじまらねえ。俺にも一杯お願いします。一発気合い入れるわ」
カイルが自分の両頬をバチバチと叩きながら言った。
「これから夜の見張りが必要だからね。眠気覚ましにはちょうどいい。僕も貰おうかな」
リヒトもなにかを吹っ切ろうとする決然とした顔でマグを取り出した。
レイジは太い笑みを浮かべて用意を始めた。思いついたようにリヒトを指差す。
「よし、とびきり濃いやつを淹れてやろう」
「ふつうのでいいです」リヒトが真顔で制止した。
甘く蠱惑的な香りが立ち上る。
絶望の象徴であったはずの怪物の火の上で、彼らは同じ苦い液体を啜り、再びこの異界の夜を越えるための契りを交わそうとしていた。完飲したモモナは気絶した。
残った者たちは強烈な刺激物によって無理やり研ぎ澄まされた意識で、現状の確認と打開策を話し合い始めた。
「最優先目標は、全員の生還だが――」
レイジが、闇の向こうを見据えて言った。
「あいつの執着ぶりからして、ただ逃げ切るのは難しいだろうな。ここまで手の込んだまねをしてくる仕事熱心な野郎だ。とても見逃してくれそうにない。通信圏内への到達すら無理とくれば交戦は不可避だ。橋広さん?」
「残念ながら、私も同意見です。奴は我々を完全にロックオンしている。お気に入りの玩具を手放すとは考えられません」
橋広教授の言葉に、キノコーヒーを啜って震えを止めたカイが忌々しげに吐き捨てた。
「つうかさ……なんで俺ら、こんなにビクビクしなきゃなんねえんだよ。腹立ってきたわ、マジで。ヤンマちゃんまで壊しやがって……」
カイルの瞳に恐怖を上書きするような怒りの炎が灯る。
「あの野郎、絶対後悔させてやる。武蔵野魔導大学舐めんなよ」
「抗うためにはまず敵の生態、行動を推測しましょう。……そういえば、なぜ奴は一定の距離を置いて接近してこないのか?」
教授が冷静さを取り戻した視点で問いかけた。
「いたぶって遊んでいる……というのもあるのだろうが、それだけでしょうか。九条くんはどう考えますか」
九条シューマは、先程検死した遺体の様子を頭の中で再構築した。
「……遺体に近接戦闘の痕跡がありません。装備にも、です。死因になった傷以外の損傷は殺害後に行われた加工の過程によるものがほとんどです。つまり、彼らはほぼ無傷の状態から抵抗できずに殺害されている」
「察知されない接近手段があるか、接近する前に無力化している、と?」
リヒトが問い返す。
「ええ。これまでの行動から奴の狩猟ドクトリンを推測しましょう」
「おそらく、奴はロングレンジ……超指向性の音響制圧といった手段で行動不能にするタイプです。動けなくなった獲物をゆっくり料理する。……正面からの肉弾戦を避けているというより、そもそも近づく必要がないんだ。距離を置いてこちらを煽っているようにみせているのも、自分に有利な間合いを保つためのカモフラージュかもしれません」
「遠距離からのハメ技に頼ってるってことは、だ。やる必要のない向かい合っての殴り合いは得意じゃないことを期待するか」
レイジが九条のぶんのコーヒーを手渡しながら思案する。
九条は一瞬「え?自分も飲むのですか?」という表情を浮かべたが今回は逃れられないと諦めたらしい。
手渡された黒い汁の理不尽な苦味に顔をしかめながら思考を巡らせる。
「まずあれさえ凌げれば……というか、あれをなんとかしなければ私たちに勝ち目はありません。接近する前に平衡感覚を潰され、意識を刈り取られる」
「ふむ……それからもうひとつ。奴は何のために『静寂』を作るのだろうね?」
と橋広はコーヒーの表面に浮いた波紋を見つめながら言った。
「思いつきなんスけど」とカイルが挙手した。
「そのあとに俺らが食らった本命攻撃のチャージフェイズとか、それかあのサイレント状態を経ないとぶっ放せない、とかじゃないッスかね?あの沈黙儀式やるのが発動条件、みたいな」
「ほう……根拠は?」
「ゲームとかでよくあるやつなんで」
「……」
次にアメリが挙手した。
「はい田沖くん」
「同じもの、なんじゃないでしょうか」
「というと?」
「あのとき、はじめに静かになった時からもう耳がジンジン痛かったんです。で、そのまま痛みがシームレスに、途切れなく大きくなっていったんです。ここまでは静か、ここから耳バーン!足ピーン!とかじゃなくて」
「……つまりあの能力を大きく広げているときは音が殺され、範囲を細く絞ると音で殺される、と」
「です」
「ふむ……現象面から推測するにそちらのほうが可能性は高そうですね」
さらに深く考え込む橋広とは対照的にレイジは面に戦意を漲らせた。
「そいつはいい。アレが来るとわかっていればもうこっちのものだ。次は気合で耐える」
久間川レイジが体得している魔素操作は、経験を積んだ探索者なら誰でも一定レベルで行う身体能力の強化のみだが、彼はその一点だけに特化し続けてきた。というより他の使い方を習得できなかっただけだったが。
結果として実現される肉体の強度は一般的な探索者とは桁が違う。最初の遭遇時、他の面々が倒れ伏し昏倒する中で膝をつくレベルで済んだのはその異常なタフネスゆえだった。
「さっきは驚いたせいで効いたが次はいける。気合いだ気合い」
レイジが自信たっぷりに断言する。
そのあまりにも無茶苦茶な精神論に、学生たちは呆れた。
気合いて。あんたあたま大丈夫か。
「気合も必要ですが、物理的な対策も必要です」九条が冷たい視線でレイジを一瞥して話を戻す。
「ミーティングの際に触れた防音耳栓は持っていますが、あれはあくまで一般的なもの。今の状況では、リスクを承知で耳道を完全閉塞させるレベルで対策する必要があります」
持ち込んだアイテムを確認する作業が始まった。
「モンスター対策の忌避剤クリームではどう?」
佐伯ミレイの提案に、カイルが首をひねる。
「塗れば長持ちするけど、詰め込むものじゃないッスね。体温で溶けて流れ落ちるのがオチだ」
「もっと密着する、粘性が高いものがいい。なにかゲル状のもの、パテのように形を保てるものはないか?」
「ゲル状……あっ」「あ」「あっ……」
数人の視線が、同時にミレイへと向けられた。
全員が、昨日アメリの心をへし折った無彩色のエサを思い出した。
ミレイは向けられた視線を瞬きして見返すと「ああ、あれか」と頷いた。
「……了解。粘性をさらに高めて、耳全体を覆うように充填しよう。その上から医療用パッドで被覆すれば――」
ミレイはふと思いついたようにレイジを見て問いかけた。
「味は?」
「味はどうでもいい」
一応の対抗手段を得たとして次にどのように攻めるのかを考える。
たとえ聴覚を保護していても音の振動は肉と骨を介して伝わってしまう。
三半規管や脳へのダメージを完全に防ぎきれるとは限らない。
最接近して交戦するのは抵抗力が最も高いレイジ。攻撃性の高い魔導化装備をもつリヒトとモモがそのサポートに回る。
橋広教授や九条、カレンの魔操は戦闘に向いたスキルではなく、アメリとカイはそもそも魔操能力を発現していなかった。
九条がマップを広げる。
「奴を倒す計画実行ポイントですが……音が複雑に反響する狭隘な地形や、樹木が直線的な音波を阻む森ではどうでしょうか」
「閉所であれを食らったら、効果が増して防御を無効化され致命的ダメージになる可能性がある。俺たちは耳を塞いで挑む以上、音に頼れん。樹が視覚での魔素探査を妨げる森も分が悪い」
「ふむ、確かに」
そう言ってうなずくと、橋広は地面に細い枝でLやRやQといったアルファベットやギリシア文字、おぞましい記号が入り混じった数式を書き始めた。
「音圧レベルは以下の要因で増幅され――」
「今はそういうのいいです先生」
九条はとりあわずに地図を指で指し示した。
「……ここ、『石ノ森』はどうでしょうか?空は開けていて遮蔽物、盾に使えるサイズの柱状節理が散在しています」
九条の提案にレイジはしばし思案し、首を横に振った。
「あいつは人間が隠れやすい場所、自分にとって不利な地形を嫌うだろう。警戒して近寄ってこなければ意味がない」
まばらな岩場が散らばる起伏の乏しい地形ポイントをレイジは指で叩いた。
「……やるならここ、『灰の窪地』だ。いや、むしろ奴はそこに誘導してくるだろう。あそこなら奴はまた俺たちをハメ殺せると思うはずだ。俺たちは、まんまとハマってやればいい。きっと歓迎してくれるだろう」
「わかりました。うむ。不安ではありますが……それではその場での全員の役割や配置を――」
と続けようとした橋広を、レイジは自分の私物らしい通信端末を取り出し、何事かを入力しながら制した。
「橋広さんたちにはやって欲しいことがある。直接やりあう俺たち三人以外を連れて通信圏内へ向かい、基地に救助を要請してほしい」
「――久間川さん」
橋広は学生のおかした初歩的な間違いを穏やかに指摘するような表情で頭を振った。
「たしかに私や佐伯君、市ノ瀬君や田沖君たちはそちらの3名にくらべて武装は貧弱ですがいないよりはマシくらいの戦力にはなるはずです。第一、軍が動くわけがない。前回もそうでした。……もし、我々を逃がそうという口実なら――」
「たしかに、軍は動かないでしょう」
端末への入力が終わったらしいレイジは視線を橋広に戻して言った。
「高尾即応連隊の最優先任務は中層基地の防衛です。たかが大学教授に学生が数人、民間の作業員がひとりがいなくなった程度、ではまさにそのとおり。だが軍としてではなく個人としてであればそうでもないんです」
そう言って個人認証機能を解除した端末を橋広に渡す。
「これは?」
「ネットに繋がったらこのメッセージを送信してください。個人的に貸し借りというか利害関係というか……まあなんというか動く動機のある相手がいます。軍としては動けなくてもなにか小細工をしてくれるかもしれない」
もしこの端末になにかトラブルがあった場合は、とレイジは橋広に顔を近づけて抑えた声で言った。
「――基地の乾という中尉を名指しして連絡を。俺の名前を出して、そうだな……『収穫の時期だと言っていた』と言えば伝わります。彼の裁量で動ける範囲でなら協力が期待できる」
その端末に入れたメッセージは、大規模な戦力は無理でも中層において基地だけが所有する車両で我々をピックアップする事を依頼する内容です――と説明するレイジを橋広は疑わしげに見つめていたが、やがて「しかたがないですね」と頷いた。
「……わかりました。そういうことにしておきましょう。事が始まり次第、離脱しますよ」
「頼みます」
ただし全員が素直に納得して解散したわけではない。
九条も攻撃班に加わることを希望したが「逃げ……離脱する道中で遭遇するモンスターから仲間を守れる戦力が最低限必要だ」と説得されては断念するしかなかった。
「……俺も残っちゃダメっスかね」
カイルが心底悔しそうに下を向いて言った。
「デコイとか釣り餌とかでいいんで……あの煽りカスに一発くれてやれるならなんでもやりますよ。あの皮剝がれたニャンコの仇は俺がとる流れが来てるんスよ……!」
必死で訴えるカイルの肩をレイジがグローブのような掌でバシンと力強く叩いた。
「ゥアッツァアァウ!(訳:痛い)」
「一発くれてやりたいんだな?いいだろう。おまえにやってもらいたいことがある。おまえにしかできないことだ」
「うおマジっすか!もうなんでもやらせてください!!」
「保険――いや、切り札を作る」
「おお……!」
必要なモノを取ってくる。手持ちの観測機材や工具を用意しておけ、と離れるレイジを見送りながら「よし、やってやる」とカイルが拳を握り締めたその時。
突然カイの肩が背後から強く掴まれた。
「デャアーウッ!?」
心臓が停止するほど驚いたカイルの肩に手を置いたのはいつのまにか蘇生したモモナだった。口元から一筋の黒い涎を垂らし、目は虚ろだった。
「……な。なんだよ藤咲。大丈夫か?あんなの無理に飲むから――」
「――あいつさあ。アメリちゃん泣かせたよ」
何もない空中に視線を固定し、奇妙に平坦で聴く者を不安にさせる抑揚を欠いた声音でモモナが言った。泣かせた。泣かせた。泣かせた。泣かせた。泣かせた。泣かせた――。
繰り返すうちにカイルの肩を掴む力がギリギリと強くなっていく。とても女の力とは思えない圧力がミシミシと鎖骨を軋ませる。
「アッ…い、痛い!やめっ、やだっ、離して!とれちゃうッ!肩、取れちゃうッ!」
悲鳴を上げるカイルの顔にモモナがゆっくりと顔を近づける。
鼻先が触れ合い口から匂う甘いキノコ汁の残滓が嗅ぎ取れる距離。
モモナの長い睫毛に縁取られた真っ暗な瞳には、恐怖に歪み怯えるカイの顔が大写しになっていた。
「ブッ殺す」
「ひっ……」
「てつだって。いち・のせ・くん」
哀れなカイルはただ頷くことしかできなかった。




