0074 「理性」と「感情」
軍靴が響く。物を動かす音が其処彼処から聞こえる。指示を出す声が轟く。文句や罵声を浴びせる声が聞こえる。首都・ハリスにて、40万人のクァンタム共和国陸軍に、1個軍3万人の外人部隊に付け加えて、43万人の軍隊が犇めいている。
生きるにせよ死ぬにせよ、これが最後だ。ならば、気が済むまで準備して、覚悟して、陽気にやりたいものだ。43万人のクァンタム共和国軍は、同じ事を考えながら、この首都・ハリスを、百合の都と呼ばれた、この華やかな都を、攻め込んできた敵兵が1兵たりとも戻ってこられない恐ろしい殺人要塞に改造していた。特に元気良く動いているのが、ヴァスチーユ軍と公式に名前が決められた、元メリスト連邦王国の軍人にて編成された外人部隊だ。
そもそも、この首都決戦の企画そのものが、このレオポルド・ヴァスチーユ少将の立案した計画である。ヴァスチーユ軍は、自分達の総大将が考えた作戦を全面的に信用していた。何度も寡兵で大軍を前にして勝ってきた総大将だ。毎度毎度、犠牲を少なくして勝ってきた。これからも、この総大将の言う事を聞いていれば、生き延びるチャンスはある。いや、これが最後のチャンスだ。生き延びるのだ。王政の祖国に今更降伏しても、平民の自分達は処刑されるのみだ。そもそもの話、貴族出身の司令官がたてた甘い作戦計画に基づいて戦い、兵糧攻めにて見事に敗北して、この国に降伏したのだから、今更祖国に未練なんて無い。
以前にも兵士が言った通り、「美味い飯に美味い酒に暖かい屋根付きの寝床さえあればいい」のが人生だとすれば、その最低条件すら守れない国に尽くす必要は無い。民草の考えている事は世界中、何処へ行っても同じである。
ヴァスチーユ軍の兵隊は、他のクァンタム共和国軍の誰よりも戦意とやる気に満ちていた。この殺人要塞への改造に際しても、海賊の末裔達は誰よりも汗を流して、誰よりも働いた。ここならば、働きに応じてお礼がもらえる。昇進は無理でも、「飯・酒・寝床」が保障されるのだ。名誉や勲章よりも、その方が重要である。基礎の無い橋が橋とは言えないのと同じだ。
本国にも、自分達の存在は、ヴァスチーユ軍の存在は知られている。本国では自分達がどう思われて、どう言われているのかなんて知らない、知りたいとも思わない。でも、他の40万よりも強く戦えば、その後の生活だって保障されるのだ。何なら、この国にて一生骨を埋めるのも悪くは無い。あのロクデナシの貴族大将が、今何処で何をしているのかも、別に興味は無い。民草にとっては、お上の事情ほどどうでも良い物は無い。
もう「食べるケーキがない」のは、このクァンタムにて王妃が革命直後に出した声明だそうだが、これはもうヴィクター大陸全土に広がるかも知れない。そうしなければ、戦争に勝てないとあらば、人間はそう言う瞬間になった時こそドラスティックな判断が出来てしまう、勝手な生き物でもあるのだ。
対する「対クァンタム同盟」軍も、同じ様にドラスティックな判断を下そうとしていたが、そう言う時に一番邪魔な物である「感情」が、そのドラスティックな判断の足を引っ張っていた。
「全軍の指揮系統を一本化して、効率化を図るべきである」
と言う判断がそれであり、レオポルド・ヴァスチーユ少将が最も警戒していた事態である。もしこれが実現していれば、その時点で「負ける」としていた判断だ。その足を引っ張ったのは、矢張り「感情」であった。即ち、「誰が上に立つか」と言う問題である。
皇帝が強引な前線視察が仇となって戦死して、国内の情勢が不安定になっているダロス皇国が参加できないのは仕方が無い。1度、手酷く負けて戦力を大きく削がれたメリスト連邦王国は、また下手くそな作戦をたてて負ける可能性もある。マベルタ王国には兵はいるが指揮官に人材がない。とはいえ、ロッシナ連邦は人的資源の大半を負担するのにもかかわらず、軽く扱われている事に気が付いて腐っている。
即ち、3カ国それぞれの連携が、てんでバラバラ、合従連衡とは名ばかりの「烏合の衆」と化していた。それでも、「指揮系統の一本化」と言うドラスティックな判断が出来た点は合格点には至っていた。しかし、惜しむらくはそれを理解して、全面的に支援してくれる上司や上官が居なかったが、反対勢力の方が多すぎて、押し通せなかった点である。
こうして、3カ国の軍隊は、てんでバラバラにクァンタム共和国へと乗り込んでいた。百合の都から、殺人要塞へと改造された首都・ハリスに向けて、彼らはこれを包囲下に置いて兵糧攻めにするとか、火を放って都を丸ごと燃やしてしまおうとか、そう言う七面倒臭いが、だが有効な作戦を考えずに、ただ「数」のみを頼って真っ正面から押し潰そうとしてきた。それはそれで正しい、兵法の常道である。敵より多くの数を揃えて、これを力尽くで捻じ伏せる。古来より多用されてきたものだが、それでも1つに纏まれ無ければ、結局の所はこれまでと同様に、「戦力の逐次投入」になってしまっていた。
結局、「指揮系統の一本化」が出来なかった時点で、「対クァンタム同盟」の敗北は、王政・帝政の敗北は確定していた。彼らが、彼女らが食べるケーキは、もう残されていない事は、他の王政や帝政の国々も薄々勘づいていた。それでも、「感情」がその事実を拒んでいた。
私が食べるケーキはもう無い。この際は、どんなに固いパンでも食べなければ、食える事への喜びを噛み締めて、余生を生きなければならない。もしくは、それは死ぬより辛い事かもしれなかった。現に、この宣告を述べた王妃は、今は辺境の島に流されたまま、戻ってくる気配も無かった。
「おうおうおう! 先ず一番乗りしたのは、マベルタ王国の連中だぜ。あいつら、途中で年頃の姉ちゃんにナンパしまくって遅れてくると思ったのに、意外と熱心な事だぜ」
「て事はだな、うちの総大将の見立てが当たったぜ。連中、一纏まりになれなくて、バラバラに攻めてきやがるつもりだ」
「勝ったな」
「いや、まだ分からねぇ。うちの総大将よりも、クァンタムの兵隊の方が間抜けで馬鹿だったら、こっちが負ける。真面目にやる必要があるぜ」
「ああ、もう収容所で臭いパン囓って冷たい寝床で横になるより、健康的な生き方って奴を知っちまったからな」
「やろうぜ。俺達で。他のクァンタムの兵隊よりも、いや、このヴィクター大陸のどの国の兵隊よりも、俺達が、ヴァスチーユ軍が強いって証明しようぜ」
「もう王様も皇帝陛下も要らねぇ、俺達の方が強い!」
軍靴の響きが聞こえてくる。地平線を兵隊が埋め尽くす。マベルタ王国陸軍の軍旗がはためくのが見える。その堂々たる姿は、確かに力強く、事実弱兵などではない。




