0072 不慮の事故
グーデラティス・フォン・バチス皇帝は、あまりの損失に驚いていた。クァンタム共和国もまた同じ陸軍国なれば、そしてあのメリスト連邦王国の大軍を寡兵にて破ったのであれば、それ相応の敬意と警戒でもって事に当たったつもりである。
それにしてもだ。レーン河のグラント橋を巡る戦いでの損失は日々大きくなり続けている。迂回しようとすると時間がかかりすぎる事を考えると、グラント橋を渡って行くしかないのだが、3陣に分かれたダロス皇国陸軍の第1陣が、マンツェルン城に籠城する1個師団相手に敗北を重ねており、その損失は既に敵のそれよりも大きくなっている。
もう1つ、憂慮すべき状況なのが、クァンタム共和国も大規模な人的動員を、要するに徴兵を行って大軍を組織しており、これが前線に現れたら、グラント橋を巡る戦いは決着が付いてしまう。ズバリ、こちらの敗北が確定する。
たかが1個師団。それが、地の利を得ただけでここまで脅威的な働きをするのか。しかも、その内容は報告が正しければ降伏したメリスト連邦王国陸軍の軍人達であり、傭兵部隊である。外人部隊とクァンタム共和国は呼んでいるらしいが、それがここまで健闘すると言うのも予想外であった。
ここは1つ、迂回するべきではないか。時間はかかるが、今からならばクァンタム共和国陸軍が行った人的動員が結実する前に、第2陣なり第3陣なりの戦力を大きく迂回させて、マンツェルン城を包囲下に置いて、外人部隊を一網打尽にする。そんな意見が出されたが、グーデラティス・フォン・バチス皇帝は、怒号を発して言う。
「それでは負けたのと同じだ。小賢しい敵を真っ正面から堂々と打ち破って、その骸の上に槍を掲げてこそ、我が軍の誉れと言うべきでは無いか」
これは、単に軍事的ロマンチストの戯言以上の意味がある。今回の作戦にGOサインを出した皇帝自身の責任を問われたくはないという意味でもあった。そうでなくても、日頃より膨大な税でもって強大な陸軍を組織している皇国軍が、たったの1個師団、それも外人部隊を相手に手こずっているだけでも懲罰ものなのに、迂回して、要するに逃げて犯則業を使って勝とうと言うのは、こちらの失敗と無能を証明する行為である。
大臣達は、重く頭を垂れる。前線で戦っている軍人達には申し訳ないが、皇帝の命令は絶対であり、その皇帝が前進せよと言うのであれば、皇帝に忠誠を誓う軍人は前進せざるを得ない。仕方が無い。いや、本来そんな言葉で済ませられる問題ではない。
クソ、もし「戦後」が来たとすれば、皇国軍省の参謀本部に詰めている作戦士官、佐官を全員クビにして総取っ替えしてやる。連中もまた皇帝に抗命する事は出来ないだろうから、「責任は皇帝にある」なんて言えないだろう。信賞必罰の精神で言えば、皇帝だってその発言力と権威を、大きく削がれるだろう。
しかし、あの1個師団を率いる男は、どんな奴なのだろうか。そして、その男に率いられている兵達は、どんな連中なのだろうか。あそこまでして、破滅の「運命」に逆らい続けられるのは、流石「王」を否定した「民主主義」の国だ。
もしかすれば、もう皇帝による親政は、不要なのかもしれない。「民主主義」による政治体制を敷かなければ、次の戦争があったとしても負ける「運命」しか見えてこない。
もしかすれば、この戦争が最後のチャンスかも知れない。組織の、国家の、政治の民主化を行う、最高の機会ではないか。民主化しなければ戦争に勝てない。なんともシンプルな理由であろうか。でも、これ以上の理由はない。
大臣達の間で、そんな意識が日々大きくなり続けていた。このヴィクター大陸にて覇を唱えるのに必要とあらば、立憲君主制に移行するのは必要なプロセスである。
セバスタン・フォン・カシミール大将は、自分の部下達の間から士気が大きく落ちているのを感じざるを得なかった。最初はこの野戦司令部にて満ちていた士気も熱気もやる気も、もう無い。このままではいけない。こうなれば、迂回してグラント橋を遣わずに突破するのが唯一の打開策である。
1個師団。僅か1個師団が守る橋が、城が、此処まで強くなる。空を飛べる戦姫で川を越えても、敵は戦姫を空に上げずに地上にて待機させて戦っている。1度、大量の戦姫を投入して飽和攻撃を行おうとしたが、その時には巨神部隊を投入して、戦姫部隊をコテンパンにしてしまった。
千日手、否、明確な敗北を認めざるを得ない。このまま此処で戦っても、被害だけが大きくなり続けて、橋の向こうの城まで辿り着けない。これ以上、此処で踏ん張る理由が見当たらない。
そろそろ、この件を上申するべきではないか。と思った矢先に、現地に強引にやってきたグーデラティス・フォン・バチス皇帝が、自分の親衛隊を連れて、「視察」と称してこの場に来ていた。
大将まで昇った男であれば、皇帝に対する忠誠心は並々ならぬものがある。それでも、跪いても尚も、現状を隠すことなく述べているのは、矢張り「仕事」としてこの場にいる人間の為せる業である。
「このままでは、この橋は渡れません。本日までに発生した犠牲は、第1陣全軍の2割に及びます。それでいて、敵は未だにあの城で健在です。今でも、時折こちらにゲリラ的な砲撃を行います」
「それで、貴様もまた河を迂回するべきと言うのか」
「このまま、河を血で染めるわけには行かないのです」
鼻で笑う皇帝。
「貴様もまたそんな敗北主義に染まっているとはな」
「主義主張の問題ではありません。陛下、責任は全て本官が引き受けます。第1陣はこのままにして、第2陣、第3陣は大きく迂回して、敵の後背を付くべきです」
「聞きたくないな、そんな言い訳は」
「言い訳などではありません。なんであれば、実際に最前線にて戦っている兵達を見てきて下さい。彼らが抱えている絶望と苦しみに触れて下さい」
「……なんかな、向こうは皇帝が前線に来ているのか? やたら偉そうな格好をしている奴が来て、兵隊に話しかけているぞ」
「まさか、皇帝自らが現地視察なんて、うちの王家だってやらないぜ。でも、獲物としてはもってこいだな」
「じゃあ、決まりだな。今日の嫌がらせ砲撃の標的はアイツだ。1発ぶちかましてやれ」
かくして、グーデラティス・フォン・バチス皇帝は、戦場にて命を落とした最初のダロス皇国の皇帝となったのである。元メリスト連邦王国の砲兵の撃ち放った嫌がらせのゲリラ砲撃で撃ち出された砲弾が、その身体を粉々にしてしまったのだ。無論、ダロス皇国軍は引き返していった。
グラント橋争奪戦、あるいはレーン河攻防戦は、こうして思わぬ形で幕を下ろした。ダロス皇国軍の損害は、ヴァスチーユ師団が被ったそれの実に3倍にも及んでおり、幾ら数を揃えても、適切に運用出来なければ宝の持ち腐れであり、またしても戦力の逐次投入の愚かさを歴史に刻んだ戦いとなった。
ロッシナ連邦は、皇帝が全ての家臣を呼びつけて、緊急の会議を開いていた。ダロス皇国軍が、その無惨で無様な形で敗北したと言う知らせは、この北の国にも届いている。彼らは、次は自分達の出番であると理解していた。ここまで来て、自分達は出兵しなかったとあらば、後々面倒事が増える。
いや、この際だから、他の対クァンタム同盟の国々からの協力を取り付けるべきではないのか。皇帝が「不慮の事故」にて戦死したダロス皇国は無理でも、メリスト連邦王国、それにまだ一兵も前線に出していないマベルタ王国からも引っ張り出させるのだ。
今度は合従連衡軍の結成である。このヴィクター大陸にて存在しても良い政治形態は、王政であり帝政である。民主主義革命だけは何としても阻止しなければならない。




