0071 理想の上司
「駄目か」
ダロス皇国軍の前線の指揮官は、肩を落とす。深くて広くて長い河、レーン河を渡るのには、巨大な身体を持つ巨神でも困難であった。そればかりか、敵の砲兵の良い的になってしまい、脳天を撃ち抜かれてレーン河に沈んでいく巨神が相次いだ。このままでは損害が増えるばかりだとして、前線の巨神部隊指揮官は戦闘中止を宣言して撤退、結局、グラント橋を渡って、その向こうにあるマンツェルン城を陥落させるしかない。
レオポルド・ヴァスチーユ軍狼中佐は、自分の軍狼である「アスカ」に乗りながら、野外に出て戦局を眺めていた。どうやら巨神を用いた強行突破も諦めてくれたらしい。こちらは戦力こそ1個師団しかないが、物資も装備も充分にある。こちらの巨神部隊の出番はまだまだだ。
マンツェルン城に戻ってきたレオポルド軍狼中佐は、作戦班に現状を報告する。
「巨神はどうにか退けた。次はどう来ると思うかしら」
作戦班は、全会一致で一つの可能性を口にする。
「舟を手配して渡ってくる可能性が大きいです。材料となる木材は幾らでもあるので、作ろうとすれば、そしてその能力があれば作れます」
なる程、そうくるか。レオポルド軍狼中佐は、外人部隊の作戦班が述べた言葉を通訳兼副官の口から聞いて、これに対する解答を示す。
「舟は当分、有り得ないと思う。少なくとも、後方の軍上層部と約束した1ヶ月の内には来ないだろう。あの規模の大軍を全軍渡らせられるだけの舟を用意するのには、材木はむしろ不足している。仮に舟を作って乗り込んできても、連隊規模の歩兵を運ぶのが関の山だよ」
レオポルド軍狼中佐は、それよりも気になるべき部分を述べる。
「それよりも、後方の軍上層部がこちらの約束をちゃんと履行してくれているのか。あるいは履行する努力をしているのか。その方が気になる。幾ら地の利を得ているとしても、こちらはたったの1個師団。物資が潤沢なのが唯一の利点だが、それでも贅沢が出来るだけの量は確保出来ていない」
クァンタム共和国の戦闘省の総合作戦本部は、レオポルド・ヴァスチーユ軍狼中佐が率いている外人部隊が、良く持久してくれていると言うザックリとした情報は知っていた。本当のところは、かなり苦しんでいるのは分かっていたが、戦闘省とてサボって忘れている訳ではない。
むしろ、新たな情報を聞きつけて、方針が揺れに揺れていた。人的動員は順調であり、訓練もそろそろ終わる。このペースならば、1ヶ月と言う約束を守れそうであると安堵した時に、こんな怪情報が諜報機関を伝手に渡ってきていた。
「メリスト連邦王国が第2陣の侵攻部隊を準備している」
「それに呼応して、ロッシナ連邦陸軍が侵攻準備を始めている」
どちらかが嘘か、あるいは両方とも嘘か、はたまたどちらかが本当で、両方とも事実か。ダロス皇国軍の苦境を知った反クァンタム同盟による欺瞞情報の可能性は、大いにある。しかし、もしそうで無ければ、ヴァスチーユ師団への援軍は派遣できそうにはない。
その紛糾する総合作戦本部の会議室に、1人の男が訪れていた。彼は、この総合作戦本部にて働く者であれば、誰もが知っている男だ。戦闘大臣バルトス・カミンスキーである。
「諸君、だいぶ悩んでいるようだね」
と言うと、バルトス大臣は怠そうに歩いて、近くに置かれた椅子に腰を下ろす。
「君達、ヴァスチーユ師団は元メリスト連邦王国の捕虜達から募集した外人部隊だよ。そんな彼らに、かつての祖国と戦えと命じられるかね。これは政治案件だからね。ダロス皇国軍が相手だから、連中は圧倒的な戦力差の中でも戦ってくれている。そうでなければ、マンツェルン城は今頃火の海で、その中でヴァスチーユの率いる軍狼連隊はのたうち回っていただろうよ」
そんな事は分かっている。と言おうとした同僚の腕を、他の同僚が引っ張る。良いから、ここで短気を起こすな。と、その表情は語っていた。
「まぁ、迷うのは分かるよ。でも、この際、正解は一つだけだ。君達は色々と目眩ましの怪情報のお陰で、その正解が見えていないだけだ」
バルトス大臣は、バッサリと言い放つ。
「予定通り、動員した全兵力を、ヴァスチーユ師団の援護に回す。外人部隊とは言え、我が国の領土を守る為に戦っているのだ。後方に居る我々が、それに応えられずに何とする。それと、美味いワインも用意してやれ。連中はビールが飲みたがるだろうが、酔っ払えれば何だって良いだろう」
会議室には、それでもなかなか納得できない空気が流れていた。バルトス大臣は、それでも言い切る。
「こうしている今も、マンツェルン城の傍を流れるレーン河は血で汚されている。その血は、本来我が国の軍人が流す筈だったのに、今はメリスト連邦王国の外人部隊が流れている。クァンタム共和国が、契約を履行する法治国家である事を示すのには、こうするしかない」
バルトス大臣は、ゆっくりと腰を椅子から上げると、会議室に居並ぶ作戦士官、佐官を前にして言い放つ。
「もしそれが出来なければ、この首都・ハリスまでダロス皇国陸軍が雪崩れ込んでくるのだぞ。そのつもりでやれ。むしろ、ヴァスチーユ師団に対して、可能な限りの援軍を送れ」
キリングスト・メリーベル騎兵は、自分のユニコーン、「バスクル」と友にグラント橋の上で、長槍でもって敵騎士の身体を貫いて、石橋から落としていく。レーン河は既に真っ赤にそまり、敵味方の死体がどんぶらこと流れている。
「バスクル」が竜虎の顔面を蹴飛ばし、怯んだ所を自分の角で額を貫く。その背に乗っていた騎士も、キリングスト騎兵の長槍で横薙ぎに叩かれて、レーン河に落ちていく。嗚呼、誉れ高き我がユニコーン、汝こそ我が最高の相棒。
……なんて、悠長な事が言える状況では、あんまりない。正直、1個師団だけでグラント橋とマンツェルン城にて戦うのには、そろそろ限界を感じていた。どんなに鍛えていても、人間である以上、フィジカルでもメンタルでも能力に限界があるのだから、「余裕」が如何しても必要になってくる。その「余裕」が、今ガリガリと削られている中での奮戦となっている今、このまま戦い続けていたら、削られ続けた余裕が無くなり、後には「徒労」が残るのみとなる。
どうする。このまま、この城と橋を守り抜いて死ぬのか。いや、死んで守り抜ければ良い。負けた上に死んでしまったら、目も当てられない。
その時、河の上流から何かがこちらに迫ってきていた。まさか、敵が用意した「舟」であろうか。いや、それにしては大きすぎる。それに翻っている旗は、クァンタム共和国のそれである。河で用いる砲艦を寄越してくれたらしい。
それも、1隻や2隻ではない。ざっと10隻は船団を組んでこちらに来ている。やがて、赤く汚れたレーン河より、ダロス皇国陸軍が陣を敷く向こう岸に砲弾や、甲板からマスケット銃の弾丸を叩き込み始める。
突然の援軍に、外人部隊は勿論、皇国陸軍も驚いていた。皇国陸軍は、急いで退却、また仕切り直しを余儀なくされていた。
ダロス皇国が完全に自陣に引っ込んだのを確認すると、10隻の砲艦はマンツェルン城の傍にある船着き場にて、何よりも欲しかったもの、援軍を得られていた。砲艦が10隻で運んできたのだから、そんなに数は無い。しかも、派遣されてきた援軍は、まだ捕虜にしたメリスト連邦王国から募集した外人部隊であった。
キリングスト・メリーベル騎兵は、矢張り人間もまた生きものであると言う事実を知らされていた。自分でさえ、収容所にて臭い飯を囓るのが嫌だったのだ。美味いワインに、柔らかい肉とパンにありつけられるのであれば、王国だろうと帝国だろうと、「上」の存在に対して常日頃敬意を払うべきと教わっている臣民だとしても、飢え死にしてまで忠誠を尽くせる筈がない。そうでも戦えというのは、搾取されているのであって、それで自己の生存を優先しても「卑怯者」の誹りを受ける言われは無い。
レオポルド・ヴァスチーユ軍狼中佐は、援軍としてやってきた外人部隊より、一つの辞令を受け取っていた。野戦昇進の証明書と、星が増えた新しい襟章である。欲しいものを同時に得られたレオポルドの一人勝ちとも言えるが、もう1つ、受けた報告があった。
「ロッシナ連邦陸軍に不穏な気配あり。メリスト連邦王国にも注意すべし」
だから、救援は暫くは遅れる、と言う事だろうか。と思った矢先に、こうも付け加えられる。
「だからこそ、ヴァスチーユ師団には可及的速やかに動員した陸軍部隊を派遣する」
持つべきは、良い上司だ。レオポルド・ヴァスチーユ軍狼大佐は、「アスカ」の喉を撫でる。




