007 ヘボ詩人
金海県。53都道府県存在するレイド・サムの地域行政の中で、最も南に位置する島であり、ソメリト合衆国との関係が悪化するまでは、同地に東アスラン大陸の「安全保障」の為にかなりの部隊が常在していた。入れ替わりで駐屯し始めた自国軍隊に対して、住民感情は決して「良好」とは言い難いが、それでも「出て行け」と面と向かって言う事はしなかった。
その金海県の近海にて、ソメリト合衆国の大海洋艦隊が戦闘行為に及ぼうとしている。相手は、恐らく聖華大陸の3大軍閥であるが、この際、誰が相手であろうと厄介事には違いない。「軍隊との約束を信じるな」と身をもって教訓として叩き込まれていた金海県の県民達は、白旗の準備や非常食の購入など、いざと言う時の為の準備を進めていた。戦う前から白旗の準備など非常識だ。と言う意見もあるだろうが、「軍隊との約束を信じるな」の法則に従えば、それはそれで説得力のある行動である。軍は負けがこんできたら住民を囮にすることくらい平然とやる。
金海県の住民は、千羽鶴を折って祈るよりも有益で、徹底抗戦の肉弾攻撃に用いられるよりも希望のある行動に向けて、準備していた。それを怒る人間は、入れ替わりにて配属されたレイド・サムの軍隊にだって居なかった。レイド・サムが200年前に戦い、敗北した「テラース」最終戦争は、それ程までに同県の住民の心身にその教訓を刻み込まれていたのだ。
牛真田ミテル作戦大尉は、暇な時は対して上手でもない俳句を詠んでいる奇人・変人の類であった。過去に何度か自費出版にて句集を店に出したが、「児童漫画雑誌のお下劣ギャグ漫画の方がマシ」と言う酷評を頂いていた。それでも、ミテル作戦大尉は気にしないで、年に1冊は句集を自腹で本屋に並べさせていた。
何でそんな酷評される句集を本屋は店に並べるのか。そんなのは決まっている。皆で一緒に酷評したいからだ。人間、どんな時に一番連帯感や満足感を得られるのかというと、共通の敵をこき下ろす時である。なので、牛真田ミテル作戦大尉の句集は、在庫がはけるくらいには売れており、その度に「炎上状態」を作り上げていた。
でも、その状況を誰よりも一番楽しんでいるのは、牛真田ミテル本人である。悪い意味で話題になるより酷いのは、話題にすらならない事である。過去の偉人、かく語りきである。
その牛真田ミテル作戦大尉は、完成直前の句集を机の上に置いたままにして、円米基地の作戦指揮所にて連日連夜、侃々諤々の議論に参加していた、否、遠目に眺めていた。論調としては、「本国から応援を呼ぶべし」と言うのと、「無視して防御するべし」と言うのと、過激な物では「聖華大陸に攻め込んでいる後ろを討つべきだ」とする意見まで、議論の論点はあっちにずれて、こっちにずれて、まるで纏まっていない。
そうこうしている内に、先に攻撃を受けた硫酸島より、吉報が舞い降りる。山之神ゴロク作戦大尉による奇策が大当たりとなって、ソメリト合衆国軍を撃退。敵軍はメソイド諸島方面へと撤退を開始。
しかし、喜べば良いのか、悲観すべきなのかは、まだ判然としない。7万トン級空母が1隻ずつ、レイド・サムの南北の海域にて接近中なのだ。こちらが保有する空母よりも優秀で、しかも搭載している航空機の数も多いと来たもんだ。硫酸島の危機は去ったが、北のロッシナ共和国、南の聖華大陸の3大軍閥はどうするつもりなのか。
他の参謀達や作戦士官が、答えが出せない中で、誰かが牛真田ミテル作戦大尉の顔を見る。そして、1つ質問する。
「貴官は何故意見しない。この議論にも参加しようとはしていないが」
「まだ意見を述べられるだけの情報がありません。現段階では何を言っても憶測か希望的観測に過ぎません。なので議論も無駄です」
ミテル作戦大尉は、容赦なく言ってのけた。参謀達や作戦士官は表情をムッとさせて、ミテル作戦大尉を睨み付けるが、それでも相手の言わんとする所は理解した。
「で、我々は何をしたら良い」
「県民は、白旗の準備や非常食、水も貯め込んで、戦に備えています。我々もそれに倣いましょう。意見が言えるくらいの情報が届いてから議論しても遅くはありません」
ムムッと音が聞こえてきそうな表情の動きを前にしても、ミテル作戦大尉は怯まない。むしろ、次々とさっきまでの議論を全否定してくる。
「現時点では、海軍には我が国の制海権を確保する能力はありません。大海洋艦隊がもし本気で我が国のみを狙ってきていたら、白旗を揚げるしかなかったでしょう。ですが、敵は何を血迷ったのか、戦力を分散させました。何故か。それは早期に現在の反ソメリト合衆国運動を平定する必要があるからです。戦が長引けば、その分予算も人員も浪費してしまいます。そして、かの国はもうその浪費に耐えられません」
「では、どうするのだ」
「今はまだ、どうするのかを決められるだけの情報はありません。偵察網を張り巡らせて、今後の情勢の変化を見守ります。防人庁のお役人達が、何をどう命じてくるのかは分かりませんが、現時点でも防人庁からの指示や命令、情報提供はありません」
「で、今は備えて待て、と言うのか」
「間違ってもこちらから攻撃を仕掛ける訳には行きません。敵空母はこちらの空母より2倍の性能と戦力を持っています。それが2隻、近海を戦争目的で彷徨いている。これは海洋国家として最大級の危機です」
「……貴官は、自分のあだ名を知っているか?」
「「ヘボ詩人」です」
「貴官の才能が、詩人としてではなく作戦大尉として開花してくれて助かったよ」
牛真田ミテル作戦大尉は、自分のオフィスに戻ると、机上に置かれた句集に向かって、また詩を詠み始める。五七五の限られた字数の中で、季語を入れて、起承転結をつけて、美しく纏める。理屈にすると簡単に聞こえるし、事実出来る人間には出来るのだが、どうにもこの「ヘボ詩人」には難しすぎるのか、あるいはまだ努力不足なのか、全く上手にならない。
総合幕僚学校に入学したのは、家が貧乏でこのままでは中卒で就職するしかない所まで追い詰められたからであり、生活の為に受験したのである。詩人を志した時期はあったが、到底生活できるレベルには達しないだろうと、自分でも分かっていたので、「下手の横好き」として細々と続けようと想った次第である。
一句読み、さて二句目を添削しようと思った時、再び呼び出しがかかって作戦指揮所に集まると、高画質の液晶画面に、聖華大陸の3大軍閥、「烈」「渇」「黎」の指導者3人が、演説を行っていた。その下のテロップには、こう書かれている。
「聖華3大軍閥、東アスラン同盟に加盟表明」
二句目の添削をしていた心のチャンネルを、作戦大尉のそれに切り替える。さて、次はどうするか。




