0063 最初で最後
ヴィクター大陸の中心にあるクァンタム共和国の首都ハリスの中心地に、その人の墓はあった。人々の記憶の中に、この自由・博愛の国に置いて、永遠に記憶されるべき人であった。
名誉皇帝。その人に与えられた称号を持つ者は他には居ない。権威を忌避する英雄は、「権威」や「肩書き」と言った概念を嫌っていた。だからこそ、あのマベルタ王国から呼び寄せられた大司教が執り行った皇帝への戴冠式にて、無礼千万、だが痛快無比な形でこれを覆した「伝説」を知らぬ者は独りもいない。
「私は愛される人間で居たい」
それだけを理由にして、その人は、レオポルド・ヴァスチーユ名誉皇帝は、当時のヴィクター大陸にて最大の権威であった大司教に対して狼藉を働いたのだ。名誉皇帝と言う肩書きを与えられたのは、死後からであった。
その時代、ヴィクター大陸の国々は大半が帝政か王政にて政が運営されていたが、ただ一国、後の民主主義の雛形となる世襲王政を否定する国が誕生した。
クァンタム共和国こそが、それである。近代での大国で最初の民主主義国家が誕生していた。貴族と司教の課す重税と不平等に対して、農夫や市民は「血」でもって報いようとしたが、当時の某姫が言ったこの一言が、当時の特権階級の去就を決していた。
「もう私が食べるケーキは無い」
王党派と呼ばれる人々は、自分達にとって象徴的な人物の発したこの言葉に、自分達が未来を喪失した事を知ったのである。流血を伴う筈の革命は、最小限の犠牲の元に果たされたのである。
他のヴィクター大陸の王や皇帝は、この事実に恐怖した。クァンタム共和国の存在は、即ち自分達の制度の否定であり、うちはうち、よそはよそと言う理屈の入り込む余地は無い。この波が自分達の国に押し寄せる可能性は、いや、それはもはや可能性の領域ではなく、現実味を帯びていた。
だからこそ、叩き潰さなければならない。「対クァンタム同盟」なる合従連衡が成立したのは、そう言う背景があった。
ヴァスチーユ家の末裔であり、その最後の1人は、男としてこの世に産まれてきた。普通ならば、「世継ぎ誕生」を家総出で祝うべきである所だが、1つだけ問題があった。このヴァスチーユ家は、「戦姫」を産み続けた家系であったのである。「男」が産まれてしまう確率は低いが、この場合、「戦姫」の力は子に受け継がれない。
「この子は女だ、女として育てる。付いている物があっても、こいつは女だ」
そう言うのは、戦姫であり母親であり、レオポルド・ヴァスチーユをこの世に産み落とした女性である。彼女は母親となってから、すぐに病死してしまったので、今思えばその時点で止めておけば良かったのに、遺された家族や使用人は、後生大事にレオポルドを「女」として育て続けていた。
だが、どんなに鈍い人間でも、思春期に入るくらいでその程度の嘘は幾らでも見抜ける。それでも、レオポルド少年の身体は華奢であったので、男子にも女子にも人気であった。仕草も外見も、女の子のそれと同じか、あるいはそれ以上に美しく見えた。
それでも、レオポルド・ヴァスチーユにとって、「男」も「女」も嫌悪の対象であった。「男」は大した仕事もしていないのに家庭や社会で威張り放題の暴君で、「女」は「男」を「愛」ではなくて「財布」と「地位」と「見栄え」で選ぶ吸血鬼である。男にも女にもなれない自分は、そのどちらでもない。暴君にも吸血鬼にもなりきれない、出来損ないだ。「男」や「女」には、絶対のアイデンティティーがある。自分は、それを奪われたのだ。
レオポルド・ヴァスチーユは、だからこそ義務教育を卒業すると、さっさと共和国軍の陸軍幼年学校の門をくぐっていた。出来損ないなりに考えた末の選択である。先天性ではなく後天的な事情から「女」として生きる事を強制されたのだ。今更、一般社会にて生きていける気がしなかった。
陸軍幼年学校を1年で主席にて卒業したのであるが、問題は、兵科である。矢張り、砲兵であろうか。学校でも数学が得意であったのだ。大砲を扱うのに、数学は絶対に必要である。
「「戦姫」よりも強い兵科が良い」
「巨神」使いも悪くは無かった。でも、もっと活躍できて、もっと脚光を浴びる兵科が良かった。そんな贅沢で塗り固めた様な兵科なんて、1つだけあった。
後に「機甲」の雛形となる発想、「戦姫」と同規模の力を「男」に持たせる為の兵科があった。その主力となるのが、「魔狼」と呼ばれる三ツ目の巨大な狼であった。品種改良を幾度となく加えられた「魔狼」は、自然界には居ない。否、生きていけない。必要な餌、世話、手間は、人間が用意・準備しなければならない。
空こそ飛べないが、地上戦とあらば「戦姫」を圧倒出来る巨軀と牙、そして顎を用いて、全てを噛み砕く力を持つ。その「魔狼」と共に戦場に立ち、これを扱う兵科、軍狼科と呼ばれる兵科がそれであった。
レオポルド・ヴァスチーユが軍狼少尉として陸軍幼年学校を卒業した頃には、対クァンタム同盟はほぼ成立しており、巨大な戦雲がヴィクター大陸を呑み込もうとしていた。
華奢な身体のまま、身長も男の平均的なそれよりも肩1つ下がる程度で、見栄えも美しいままのレオポルド軍狼少尉は、自分が「アスカ」と名付けた「魔狼」と共に、メリスト連邦王国との間を流れるゼハード海峡の警戒任務をになっていた。
まだ16歳のレオポルド・ヴァスチーユ軍狼少尉は、「アスカ」の背に乗りながら、沿岸部をブラブラとしながら警備していた。メリスト連邦王国が世界に誇る海軍力で、クァンタム共和国のシーレーンを遮断しようとしており、それに対して海軍が何ら手を打てない状態にて、ここは退屈な警備任務であった。
マスケット銃は携行しておらず、剣と盾を背負いながら、長閑な風景の中で、ブラブラと警備していた、その時である。「アスカ」が足を止めて、その3つ目を海へと向ける。それを見て、レオポルド軍狼少尉も海に目を向ける。
「凄いわ」
視界を埋め尽くす某、と言う表現は幾らでもあるが、その中でもこれ程圧倒的な光景はあるまい。言葉を尽くしても、この「絶望」は言い表せない。大量のマストが、水平線を埋め尽くしていた。
「絶望」に対して「アスカ」が、怒りを込めて唸るのが聞こえる。そうか、こいつは怖くは無いのだな。当たり前だ。この時の為に産み出された存在である。怖ければ、その存在価値は無い。例え神が相手でも、その喉笛に噛み付くのが、「アスカ」の、「魔狼」のレゾンデートルである。
そして、レオポルド・ヴァスチーユ軍狼少尉もまた、それを共有している。「男」でも「女」でもない自分に出来る事が、他にあると言うのか。「男」よりも強く、「女」よりも勇敢に戦うのだ。
この長い人類史の中で、ただ1人しか居ない「名誉皇帝」の戦いがここに始まる。




