005 ケルベロスの目覚め
かつてアスラン大陸にて最も広大な国家が存在していた聖華大陸は、3つの軍閥の支配域に別れていた。北の「烈」、南の「渇」、西の「黎」である。イデオロギー上の対立と言うよりは、前政権の支配基盤があまりにも脆弱であったが故に発生した内部分裂に端を発した、「よくある話」であった。
その「烈」「渇」「黎」の3勢力の指導者が、旧首都・北城に集まっていた。かつてはここで聖華大陸の全人民が集まって重要事項を決めていたのだ。今こそ、3つの勢力は対等な立場にて話し合う必要に迫られていた。
「烈」の指導者、甲斐烈。「渇」の指導者、渇任田。「黎」の指導者、東黎男。背広でビシッと決めたその3人が一堂に会するのは、温和そうな表情を浮かべて爪を研ぐ鷹の如く、見る者に緊張を強いていた。
「さて、つい先日、レイド・サムの祖松田ヒトシ総理の演説文が全世界に中継された。それとほぼ同じくして、ソメリト合衆国の大海洋艦隊の一部が、こちらに進撃中だ」
「無念だが、例え我々が共同戦線を構築しても、ソメリト合衆国には勝てない。もっと大きく、周りを巻き込まないと、また理不尽な要求を武力でゴリ押しされかねない」
「例の東アスラン同盟、私は参画すべきだと思う。聖華大陸をまた1つに纏める戦いは、それから後でも間に合う。我々は当面の敵の為に、最後の敵となるだろう相手と手を組むのだ」
「はて、最後の敵とは、レイド・サムの事かね」
「200年前の「テラース」最終戦争」では、ソメリト合衆国はたったの一国で世界中と戦い、これに勝利した。元々、当時から潜在的国力では「テラース最強」と言われていたのだが、それでも全世界が連合していれば、ソメリト合衆国は負けていた」
「しかし、この聖華大陸に向かってくる艦隊と、ロッシス共和国へ向かっている艦隊、はね除ける力はあるだろうか」
「やれるかどうかは分からん。しかし、ソメリト合衆国にはもう世界の警察としての力は無い。「星王朝」がその資格を失うのと同時に分裂したように、合衆国にはその座を降りてもらう」
「残酷だが、元々このルールを定めたのはソメリト合衆国だ。自分で決めたルールも守れない奴が皇帝には慣れない」
「……決まりだな」
甲斐烈は、その帰り道にて、指導部の作戦室に電話をかける。
「これより「烈」「渇」「黎」は共同戦線を組む事になった。その後に、レイド・サムの東アスラン同盟にも参画する」
「……運命の歯車が回り始めましたな」
「ああ、大勢の人間の血を油にしてな。細かい話は、ソメリト合衆国の大海洋艦隊に対応してから詰める。レイド・サムも、当面は硫酸島の防戦で手一杯だろう」
渇任田は、専用電車で帰途に着くと、随員していた幹部達に言う。
「これから忙しくなるぞ。同じ聖華大陸にて生きているとは言え、敵同士で同じ舟に乗るのだ。何かとトラブルも起こるだろう」
「指揮系統の一本化、組織の見直し、同盟諸国との打ち合わせ、やるべき事は幾らでもありますな」
「だから、今日から暫くは寝る間もないぞ。今夜の夕食は、評判の料亭で豪勢に行くぞ」
東黎男は、専用の航空機で西に向かう中で、誰からの質問も聞かず、自分から誰かに質問もしないまま、椅子に座ったまま腕を前に組んで、黎男は思案に耽っていた。周りのスタッフは、これが自分達の指導者が重要な事態にて考え込んでいる仕草であると知っているので、慣れた調子でこれをやり過ごす。
そのまま空港が近くなった頃になって、黎男は無線連絡でもって、司令部の作戦課の課長に連絡を入れる。
「我が聖華大陸が世界一の文明国へと返り咲くチャンスが見えてきた。今すぐに必要な人員を集めて、シミュレーションを行うぞ。1週間は缶詰にするから覚悟しろ」
硫酸島守備隊は、200年ぶりの戦死者が発生したのに、戦意が落ちるどころか、やる気満々、何時でも来いと言う士気の高さである。敵も何でか分からないが、折角の大戦力を三分割して違う方向へと向かわせている。
そして、あの祖松田ヒトシ総理の呼びかけた東アスラン同盟には、続々と加盟を申し込む国々が出て来ている。200年前のようにバラバラで戦っていたら、同じ轍を踏むことになる。
そんな若干ではあるが明るいムードが広がりつつある中で、1人、面白く無さそうな顔をしている作戦少尉がいた。山之神ゴロクである。理由を聞かれたゴロクは、突然、妙な事を口にする。
「今、この「テラース」の軍隊が保有する戦闘機の中で、ステルス機能を持っていない戦闘機はあるでしょうか」
少なくとも、我が国はほぼ全機種がステルスである。それがどうかしたのか。
「いや、そうなったら、これまで通りの空中戦なんて成立しませんね。お互いにロックオン出来ない機体同士で、どうやって戦えというのですが」
とどのつまりを言え。
「200年前の最終戦争で、航空機が長らく決戦兵器としてウェイトを占めていたのですが、何処の何奴も皆ステルス戦闘機で戦っていたら、空中戦なんて成り立ちません。あるとすれば、夜間に忍び込んで爆撃を行う程度です」
つまり、決戦兵器としての航空機はもう限定的な使い方しか出来ないと。
「ええ、ですから、代わりに何か使えそうな武器は無いかと、色々と考えていたんですが、どうもこうも、決定打と出来る様なものは1つも思い浮かびません。機甲軍や戦姫軍、巨神軍も、単独で用いてもかつての航空機の様な優位性は確立できません」
……確かに。
「多分、今回の戦、これまでの常識が通じない場面に入っていくと思います。200年前とは違う形で、運命が変わるかも知れません」
それは我々も例外ではないな。
「ええ、ですから、もう少し時間が欲しかったのですが、そろそろ敵が攻撃してくるタイミングでしょう。我々が知っている戦争がそこで行われるのかどうか、結果次第では戦略の大転換を強いられる可能性もあります」
生きて帰れたら、首都の統合作戦本部にて、全ての戦備計画をやり直す必要がありそうだな。
「まぁ、生きて帰れれば、ですが」
メイ・サイザーランド作戦中尉は、キリル・ネストルーデ戦姫軍曹の前に立って言う。
「君は今回の出撃枠から外す。理由は分かるな」
「分かりません。私は別に負傷もしていなければ、軍律違反もしていません」
「君は、ソメリト合衆国がこの戦争にて最初の一撃を出した、生き証人なんだ。出撃枠からは外すが、護衛枠からは外さない」
「嫌です、戦えます」
「これは命令だ。部下は上官の命令通りに戦わなければならない。軍人としての常識を忘れないでくれ」
「……あなたの命令だから、聞きます」
「今はまずい、後にしよう」
合衆国暦201年10月15日。大海洋艦隊C部隊は、レイド・サム領である硫酸島をその射程に収めたのである。それは、この200年の停滞を全て吹き飛ばす時代の始まりであった。




