0013 動かぬ山
また夢か。祖松田ヒトシは、布団から起き上がりながら、前妻と次女の遺影を前にして一礼して、後妻の作った朝食を食べ始める。
「あなた、今日のお味噌汁、いつもと違う味噌を使ったのですが、どうでしょうか」
「美味しいよ」
「もうそろそろ、味噌も食べられなくなるのですか? 戦時下となったら、色々と制限が出るでしょう? お米も高くなるのですか」
「そうならない様にするから、お前は安心してくれていい」
「ソメリト合衆国は、私の前の祖国は、国民投票をするそうです。戦争なんて、やっても意味があるのでしょうか」
「あるさ。無意味、と言う意味がな」
「じゃあ、何で」
「理屈や理性で考えたら、無意味な事はやらない筈なんだ。だが、人間には感情がある。意地もある。見栄も張る」
「そんな、子供じゃあるまいし」
「むしろ、子供の方が理屈や理性で考えて行動するものだよ。大人になるにつれて、立場やプライドが邪魔をし始める。今度の国民投票だって、200年の間に凝り固まった立場やプライドが邪魔をするに違いない」
「あなたは、性善説なのね。今日のお帰りは何時頃になりそうですか」
「件の国民投票に関する会議で遅くなる。先に眠っていても構わん」
祖松田マリーは、夫にコートを着せながら、出かける前の接吻をした上で、総理大臣の夫を見送っていく。10年前、レイド・サムに帰化した彼女にとって、この第二の祖国は何物にも替え難い存在であった。
送迎の車の中で、祖松田ヒトシ総理大臣は考え続ける。例のソメリト合衆国の国民投票のお陰で、こちらは貴重な時間を稼ぐことが出来た。硫酸島は勿論、レイド・サムの国土の防衛力は、「黎」からの支援もあってかなり充実している。それでも、まだ「渇」が「旱災港奇襲」で失った海軍力は取り戻せていない。まだこちらの海軍に頼らざるを得ない状況は続いている。
ヴィクター大陸にて成立した「V・UNION」については、ソメリト合衆国は何のリアクションも起こしていない。変な発言をして状況を混乱させたくないという所だろうが、それはそれで理解する事が出来た。あそこに居るのも人間なのだから、変な発言をして要らない刺激を与えるのは避けたいところである。
そこで、このレイド・サムとしてはどう動くべきなのか。あの国が、国民投票と言う伝家の宝刀を抜いて、上手く状況を切り抜けられたら事態はそこまで複雑化しないのだが、もし刀がポッキリ折れてしまったらどうするつもりなのか。あの大統領は2期目なので、もう3期目は無い。与党としてはどうするのか。議会が賛成しなければ、そもそも国民投票事態出来ない。
つまり、だ。これからもまだまだこちらに時間が与えられると言う事だ。それを無駄にするつもりは無い。「V・UNION」との同盟関係の構築。あるいは、そのふりでも良い。ソメリト合衆国が如何に国際社会にて「孤立化」しているのかを示せれば、連中の選択肢はどんどん減っていくことになる。
であればこそ、祖松田ヒトシ総理大臣としても、この度の国民投票は「戦争継続」の方向で勝って欲しいところであった。そうでなければ、状況はより面倒臭い方向に流れてしまう。「戦争中止」の方が勝ってしまった場合、その後の流れがどうなるのか、事態は予測不可能な方向へと流れてしまう。
「国民投票、反対派勝利。71%の圧倒的多数にて継続派を上回る」
「現政権に大ダメージ。民意から「NO」を突きつけられる」
「ソメリト合衆国の正義は何処へ」
号外としてばら撒かれた新聞、SNSにて氾濫しているニュース情報、それら全てが、国民投票の結果を伝えていた。祖松田ヒトシ総理大臣は、当初の予定通り、閣僚級会議でもって自分の懸念を伝える。
「これで、終わると思うか? もし終わったとして、今後はどうなるかな」
防人庁長官は、早速発言する。
「大統領特別措置法案に基づいて、超法規的事態宣言を発布して、戦争を継続するでしょう」
「では、何で最初から国民投票なんてまどろっこしい真似をしたのだ。無駄骨どころか、足を引っ張っただけでは無いか」
「国内の反対派をどうにかしようとしたのでしょう」
「じゃあ、あの噂の「ドン」が反対したと言う事か。ゼータ商工会の。何故彼が反戦派に回る。戦争と言うのは大きなビジネスチャンスではないのか」
「それはもう古い価値観です。200年前に「テラース」最終戦争にてあの国が勝利してから、全世界にインフラや工業地帯を投資して建造させました。もう一度これを全部壊して、また一から作れと言うのは、完全な二度手間です」
外交大臣は、厳しい表情を見せて言う。
「しかし、何でかの国の国民は戦争に反対したのでしょうか。近年、自分の国の雇用を奪っていると言って移民を攻撃したり、他国に工場を建てようとする企業に抗議活動をしたりしていた連中が」
「不景気は嫌だが戦争はもっと嫌だ。と言う事だろうよ。分かり易くて良いではないか」
ヒトシ総理大臣は、そう結ぶと、外へと出る。
「少し疲れた、休ませてもらう」
前妻が残したのは、2人の娘。目に入れても痛くないと言うが、それは本当だった。やがて前妻が病に倒れて、後妻を得て長男と三女を得た。
パパ、私、大きくなったら戦姫になるの。パパを守りたいの。
そう言う次女は、希望通りの職についた。軍隊にありがちな理不尽・不条理・無理解と戦いつつ、次女はずっと戦姫として、最前線となるだろう硫酸島に配属されていた。
その次女が、底へと落ちていく。暗くて冷たい、海の底へと落ちていく。もう2度と起き上がらない。もう2度と目覚めない。遺体さえ残らなかった。今頃は、大海洋の海の底にて深海魚の餌になっている。
駄目だ。食べるな。近寄るな。娘だ。俺の娘なんだ。餌じゃ無いんだ。俺の子供だ。死んだ妻が残した、2人の娘の内の1人なんだ。
また夢か。祖松田ヒトシ総理大臣は、ソファーにてうたた寝から目を覚ますと、時計を見て焦る。あれからかなり経っている。急がなければ、スケジュールに影響する。ヒトシ総理大臣は、急いで会議室に戻ると、閣僚達はモニターを直視していた。
「超法規的事態宣言」を発布したネイサル・サモタージュ大統領のニュース映像を見ながら、バラランティス・メサイアは呟く。
「山は動かなかったな」
残念ながら、これから「民意無き戦争」と言う最悪の状況に雪崩れ込んでいくのは確実である。もう老い先短い身の上なれば、別にそこまで国の将来に憂いはしない。勝手にしろとは言い過ぎであるが、あの大統領は今後200年を全て捨てて、この先数年の戦争に全部賭けるつもりなのだ。
なかなか奇跡なんて起こらないし、起きたとしてもろくな事にならない。この国の国民にとっては、良い薬にはなるだろう。良薬とするには苦すぎる薬であるが。




