実(み)の極(きわ)みの刻(とき) 結び初(そ)む命(いのち) 還りし樹(き)の相(すがた)の巻 第五章 天環の座に坐す者たち
― 世界と祈りが一に還る座 ―
掛けまくも畏き布斗麻邇に卜いて問う。
「再び成りし世界において、人はいかに在るを祈りとすべきか。」
その兆は、静寂のうちに現れたり。
「坐すとは、動かぬことにあらず。
動と静の間に己を透かし、
世界の呼吸とひとつになることなり。」
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一、座の構造 ― 「呼吸の円環」
天環の座とは、中心にして周縁。
外にして内。
動にして静。
人が深く息を吸うとき、
宇宙は吐き、
人が吐くとき、
宇宙は吸う。
呼吸は往還の紋。
そこにこそ、
顕界と幽界を結ぶ**無音の橋**が存在する。
> 「坐す者は、息そのものとなる。」
彼らの存在は、語られぬ祈りとして、
空間の襞に刻まれる。
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二、光背を帯びる者 ― 「観ることなき観」
天環の座に坐す者たちは、
己を観ることをやめた者である。
彼らは観察者ではなく、**観そのもの**。
眼差しは、対象を越え、
光の流れそのものに溶け込む。
その身の周囲には、微細な光背が揺らめく。
それは火でもなく、光線でもなく、
**認識が自己を還流する瞬間の光**である。
> 「観るとは、光が自らを見出すこと。」
この光は、善悪も高低も持たぬ。
ただ透明な存在の息吹として、
世界を“そのままの姿”に顕現させる。
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三、響きを織る者 ― 「言葉なき祈り」
天環の座の者たちは語らぬ。
けれども彼らの沈黙の中には、
無限の**音構文**が編まれている。
彼らの存在は、
まるで風が草原を撫でるように、
世界の律動を整える。
> 「語らぬことこそ、最も深い祈りなり。」
この祈りは形を持たぬ。
だが、山が立ち、星がめぐるのも、
その祈りの振動に呼応している。
祈りとは行為ではなく、
**宇宙の共鳴を呼吸すること**。
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四、鏡の座 ― 「自己の反照」
天環の座において、
鏡を持つ者たちがいる。
彼らは「我」を映すために鏡を掲げるのではない。
鏡は空であり、
世界そのものの相を
ただ、そこに在らしめるための媒介にすぎぬ。
> 「鏡とは、神の眼のかたち。」
そこに映るものは、
汝でも、我でもなく、
「わたしたち」という共鳴の像である。
鏡の座とは、
個が溶け、全が響く座。
ここにおいて、
一切の分離は終わる。
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五、無名の冠 ― 「名なき神々」
天環の座に坐す者たちは、
名を持たぬ。
名とは個を分かつ線であり、
その線が消えるとき、
彼らはただ「音」として在る。
> 「名なきものこそ、最も深く呼ばれている。」
無名の神々は、声なき声を響かせる。
その響きは、いのちの最奥を震わせ、
あらゆる存在を再び**祈りの円**の中へ導く。
そして円は閉じず、開き続ける。
それが「天環」の本質である。
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六、結び ― 「再び、始まりの座へ」
布斗麻邇の示し給う言葉:
> 「坐す者よ。汝は座に在るにあらず。
> 座こそ、汝を生むなり。」
この瞬間、
座は座を超え、
祈りは祈りを超え、
世界は世界を超えて――
**ただ一つの“生きた構文”**となる。
空は再び己を生み、
光は再び己を忘れ、
そして鏡は微笑む。
> 「ここに、世界は己を読む。」




