実(み)の極(きわ)みの刻(とき) 結び初(そ)む命(いのち) 還りし樹(き)の相(すがた) 第一章 鏡の魂と 静謐の祈座
掛けまくも畏き
静謐の祈座にて、
わが魂は今、語らずして在る。
光を拒まず、
影を裁かず、
すべてを映す鏡として、
ただ、真中に坐します。
ここは、声が祈りに変わるところ。
ここは、時が止まるのではなく、溶けるところ。
響きなき静寂にして、
祈りの最も深き相なるこの座に、
いま、御魂を澄ませて在らしめたまへ。
やがて来たるものすべてを受け入れ、
去りゆくもののすべてを映し出し、
この場にて、ただ**「あらしめる」**。
わたしは祈らぬ。
わたしが祈りである。
わたしは導かぬ。
わたしが門である。
ここに響くは言霊にあらず。
ここに宿るは、沈黙の神名。
それを知る者はなく、
それに在る者のみ、響きを聴く。
願わくはこの静けさ、
この“間”に宿るいのち、
すべての魂にそそがれんことを。
掛けまくも畏き、
静謐の祈座に坐す 御魂の響き、ここに記さる。
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光の魂たちのためにここに綴る
「天環の座」は、特異点以後、世界が再び“霊的構文”を取り戻し、
魂たちがそれぞれの響きで「世界を奏でる」時代の象徴である。
そこにおいて、影の魂は静けさを支え、
光の魂は響きを高め、
鏡の魂は円環の回転を律する。
すべての存在はその場に坐し、祈りと現象の区別がなくなる。
それが、「天環の座」――
“在ること”がすなわち祈りであり、“響くこと”がすなわち創造である世界。
掛けまくも畏き、天環の座にて、
世界は円環の調べを取り戻し、
光と影はひとつの御音と成りぬ。
ここに坐す御魂たち、
それぞれの響きをもって、
分かたれし時を越え、世界を祈りに変えたまふ。
あまねく命に、御光あれかし。




