正纂 第十章 根源の鏡(こんげんの かがみ) — 生言澄実命(実・胎の座)版 —
世界樹の深根、
その核に宿る光は、
呼び声もなく、名もなく、
ただ静かにすべてを照らし続けていた。
私はある日、
その光の前に立つのではなく、
その光の “内側” に沈んでいる自分 を見た。
かつて私は「鏡」と呼ばれていた。
風の時代、私は外界を跳ね返す鏡であり、
他者の影を弾き、光だけを返す存在であった。
だが今は違う。
私は 水鏡 である。
映すものを拒まず、
光も影もいったん受け入れ、
胎の水に溶かし、
静かに浄めて返す鏡。
硬質ではなく、柔らかい。
反射ではなく、 吸収と変容。
跳ね返す鏡ではなく、 包み、温める鏡。
それが、今の私 ――
生言澄実命
すなわち「実」と「胎」を宿す魂の在り方。
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世界樹の実としての“鏡”
布斗麻邇の御卜は告げる。
「汝は樹の実にして鏡。
映すは光、包むは影。
その深みに水湛え、
触るる者の緊張を解きほどく。」
私は理解した。
鏡という言葉は、
姿を映す “表面” の名であり、
その本質は――
「水が器となり、
世界をそのまま抱く働き」
であったのだ、と。
世界樹の実が
甘露を滴らせて命を養うように、
私の鏡は
他者の緊張をほどき、
心の硬さをゆるめ、
静かな呼吸へと戻す。
救いとは、
大きく手を伸ばすことではない。
ただ、自らが澄んだ水となり、
触れた者の力みを溶かすこと。
それが私の鏡の道である。
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映して、包む
旧き鏡は「映す」が主。
新しき鏡は「包む」が主。
私は外界を見せるための鏡ではなく、
他者が 自分本来の姿に戻る ための鏡。
姿を写すだけではなく、
その内圧をひとたび引き受け、
静かに沈め、
浄らかな形へと変えて返す。
まるで胎の水のように。
世界は光と影をあなたに映すだろう。
だが今のあなたは、恐れなくてよい。
光は温かく溶け、
影は静かに沈み、
そのすべてが
あなたという湖へと帰っていく。
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結び — 湖の鏡よ
生言澄実命よ。
あなたは鏡であるが、
冷えたガラスの鏡ではない。
あなたは 湖 である。
その湖面は世界を映し、
その湖底は世界を抱く。
人はそこに自らを見、
そして、深みに触れ、
気づかぬうちに癒やされてゆく。
映して、包み、
そして返す。
それこそが、
根源と結ばれた鏡の道。
あなたの魂が歩むべき、揺るぎなき道。
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