第五章 火と水のはざまにて ― 呑まれし者の霊譚より、生言澄実命の産道へ(正纂)
私はこの書において、語るべきを語り、秘すべきを秘す…
一 呑まれし者の名
ここに記すは、火と水のはざまに生きた一つの魂の霊譚なり。
我が性は、物語にいう“業魔”にも似たりと、かつてはそう呼ぶほかなく思えた。
されど今、澄実の胎より振り返るとき、それは「破壊の魔」にあらず、
過剰な共鳴と受容により、世界のすべてを呑み込んでしまう、深き胎のかたちであった。
人の情を受けすぎて喉につかえ、ことばは塞がれ、息は細り、心は「社交恐怖」という名の暗がりに沈んでいった。
これはただの「病」ではない。
呑まれし者の運命であった。
---
二 世界より剝がされ、神域へ囲い込まれる
人とつながろうとすればするほど、波は寄せては返し、好意も親愛も、やがて矢となって胸に突き刺さる。
職を得ては去り、新たなる門戸を叩きては、また拒まれ、押し出される。
ひとはそれを「転落」と呼ぶかもしれぬ。
しかし布斗麻邇の卜は、別の名を告げる。
これは出家に似たり。
社会の衣を強く剝がされ、神の囲いへと移される、聖別の工程なり。
家賃の滞納、一か月に及ぶ野宿、飢えと渇きのなかで叫んだ「早く死なせてくれ」という嘆きもまた、
外の家を失い、内なる神殿をこしらえるための厳しき削ぎ落としであった。
---
三 占の声と、産道の闇
言葉によって艱難に抗い、儒学と易経にて己を律しながらも、なお道が見えぬとき、
一つのカードリーディング動画が、暗闇の底に灯る微かな灯火となった。
「皆、あなたを見上げている。」
その一言は、崩れ落ちんとする足場に差し出された細き糸のようであった。
「仕事は辞めよ」との助言に従い、「お金なくとも人は生きられる」と信じ、
我は社会の河岸から一歩、外へ外へと押し出されていった。
それは愚かなる選択にも見えよう。
しかし今にして思えば、
人の世から離されねば、神の世の声を聞き切ることができぬほどに、我が胎には“火と水”が満ちていた。
---
四 野宿と福祉 地母の胎内に包まれて
家を失い、橋の下、冷えたコンクリートの上で、何度も「早く終わってくれ」と天に叫んだ。
けれど天は、終わりではなく、別の形の庇護を与えた。
福祉の庇護のもとに置かれた日々。
それは世間から見れば「保護」であり、当時の我には「敗北」の烙印にも見えた。
しかし、太占の兆しはこう語る。
それは地母の胎内に戻されし時期。
社会という子宮の外殻からいったん抜け出し、もう一度、産みなおされるための仮の胎内であった。
娯楽を控え、祈りと断食を続けた日々。
時に娯楽に触れつつも、祈りの灯を絶やさなかったことは、火と水の均衡を保つための本能的な修法であった。
---
五 触れてはならぬ御力と、巫病の門
やがて、一つの動画を世に送り出したのち、幽霊に憑かれる体験を得た。
土地霊の加護があったこと、後の易占にて判明した。
御力は常に両刃なり。
加護なきままに似た道を辿れば、魂は裂け、そのまま迷界へと引き込まれかねない。
触れてはならぬ御力も、たしかにある。
その強さは、再び邂逅すれば己が軸ごと引きちぎられかねぬほどである。
しかし布斗麻邇の御卜は、この時期をこう総べる。
これは「狂気」ではなく、巫病なり。
人としての生活が保てぬほどの圧で、「巫の器」へと造り替えられるための工程であった。
---
六 太占の啓示 三つの象
一 内に大いなるものを蓄えし者
山天大畜 → 雷風恒
強き霊的体験を内に受けいれ、理性と意志で必死に抑え、崩れずに耐え続ける象。
狂気と神秘の境を歩みながらも、恒なる種火が消えぬまま残された姿。
これは病ではなく、巨大なエネルギーの貯蔵庫としての魂の相であった。
二 迷える霊との邂逅、そして救い
山雷頤 → 風地観
外よりの霊的影響、迷える霊の残響に触れ、心身に揺らぎが生じた時期。
祈りを手放さなかったことで、土地霊や鎮守の神の加護が働き、その影響は静かに解かれていった。
敬いと慎みのうちに、清めと護りが差し入れられた期であった。
三 御力に囲われし魂の試練
水天需 → 水地比
抗い難い大いなる御力により、行動や思考が定められ、自由を奪われたかのように感じた時期。
だがその実は、
魂の成熟を待つための拘束時間であり、
御力との親密なる結びを育てるための囲いであった。
支配に見えたものは囲いであり、囲いとは導きであった。
---
七 火と水のはざまにて生まれた第三の光
こうして太占は総べて述べる。
あなたの歩みは、火と水が背反しながらも深く溶け合い、第三の光を生むための産道であった、と。
内なる矛盾、葛藤、試練。
それらすべては、新たな光、生成化育の種を生み出すための陣痛であった。
かつて我は、自らを“業魔”と呼んだ。
だが今、澄実の座から言い換える。
我が性は、毒も薬もすべてを胎内に受け入れ、それを新しい命へと濾し替える、国生みの母に似た構造を持つ、と。
世界からの拒絶や攻撃は、我が胎を強く締め付け、内なる子(神性)をより強く育てるための圧力であった。
---
八 結語 病ではなく、神の器作りであったと知る
こうして見れば、この章に記された苦難は、もはや「病」の記録ではない。
人間としての破綻を通じて、神の器としての完成に至るための必然の工法であったと知れる。
あなたは、社会の部品となるために生まれたのではなく、神を宿すための空洞をつくるべく、何度も外殻を壊され続けた。
いま、生言澄実命の座において、その空洞には、すでに実が宿っている。
もはや、空っぽの苦しみはない。
あるのは、満ち足りた重みである。
---
終の短き詩
火に焼かれ
水に呑まれし
あの日々は
破れにあらず
器を穿つ
御業なり
今、胎に満ちて
重く甘き実
名は生言澄実命、
この身ひとつが
神の産道となりぬ。




