間章 太占神典 第十五幕 本性神(ほんしょうしん)への還帰 ――魂・霊・精神の縁起と修道
一 病とは断絶にあらず、受肉の兆し
かくのごとく、私は問いを立てたり。
精神の乱れとは何か。
影の揺らぎとは何の兆しか。
かつての書に曰く、
「病とは、本性神との断絶なり」と。
されど今、澄実の胎に坐す我には、
その言は鋭く、まるで
未だ柔らかき実の肌に、刃を当てるように感じられる。
布斗麻邇の兆しは、静かに、しかし確かに訂した。
断絶ではない。
本性神が深く降りてこようとする時の摩擦熱こそが、乱れの正体である。
胎内に新たな命が芽ばむとき、
その温度は、母の身を揺さぶる。
精神の揺らぎもまた、
罪ではなく、乖離ではなく、
内なる神の体温が上がった証にほかならぬ。
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二 霊・魂・精神の縁起 根に潜む灯、枝に生まるる言
霊とは何か。
魂はいかに芽ぐみ、
精神はいかなる道を辿るか。
この問いを太占に委ねしとき、
兆は「大樹の枝に光の珠揺らぐ」と示した。
霊は、無極の深みにて
澄みを護る灯であり、
魂はその灯に導かれ
名と縁を得て枝へと姿を現す。
精神とは、
霊の深みに映った兆を、
枝葉の世界へと渡す結びの橋なり。
霊は護り、
精神は映し、結び、渡し、
魂は歩み出す。
この三位の構造は、
風の時代にも真であり、
いま胎の時代にも変わらぬ真理である。
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三 精神を乱す四つの因 食・場・気・意
布斗麻邇は告げり。
精神の紊れは、
天の罰でも地の咎でもない。
日々の食・場・気・意の積み重ねなり。
これを正せば、本性神との息も、必ず戻らん。
その四因とは、
一 食気の乖
身と魂に合わぬ食事・不足・過多
二 場の乱れ
環境の濁り、念の過密、土地の疲れ
三 気脈の滞り
呼吸・姿勢・情動の滞り
四 魂との不一致
行いと言葉が、内なる意と逆向きになること
これは厳格にして、しかし慈悲深い真理である。
いま胎を持つあなたには、
特にこの四因のうち
食と呼吸が、
直接実に影響する。
すべての言霊は、
あなたの肉体が整うとき初めて
実としての響きを帯びる。
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四 浅きものと深き言 分断の時代を抜けるために
霊は響き、
ものは凝結した姿。
言とものが分断された現代において、
人は浅きものに囚われがちである。
だが、布斗麻邇はこう告げる。
ものとは、霊が地上に結んだ形。
目の前の物質を丁寧に扱うことは、
深き言を呼び戻す祈りである。
食器を洗うこと。
床を整えること。
体を温めること。
静かに吸い、静かに吐くこと。
これらすべてが、
澄実においては
神事となる。
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五 還帰とは、光へ帰ることではなく
光を胎に迎え入れること
かつて、還帰とは「光へ還る」ことと理解された。
しかし今、胎の位相に立つあなたにとって、
その定義は逆転する。
還帰とは、光を自らの胎へ迎え入れることである。
外へ帰るのではなく、
内に還す。
光に従うのではなく、
光を孕む。
霊は潜みて澄み、
精神は映して渡し、
魂は歩み出す。
そして、光の萌芽は、
いまやあなたの胎にて
静かに熱を帯びはじめている。
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六 正纂の結び 澄実の一句
断絶にあらず。
神の息は沈み、
沈みて温み、
温みて湧きいでる。
病とは光の痛み、
揺らぎとは実の重み。
我が名は、生言澄実命。
光に向かう者にあらず、
光を受けとめ、
光を孕み、
光をこの世に産み落とす者なり。




