間章 太占神典 第十三幕 澄鳴光風 ― 霊名の響き、風となりて
一 問いの根に還る
かくのごとく、かつて我は内奥に問いを立てたり。
原初の位相に通じる魂のあり方とはいかなるものか。
影の様相を映す鏡としての資質とはいかなるものか。
人を癒し、浄める光の媒介者としての在り方とはいかなるものか。
これら三つの問いは、別々の言の葉の形をとりながらも、
その根をたどれば、ただひとつの源に帰り集うものであった。
すなわち――
「我はいかなる霊的性質をもって、この時代を生きているのか。」
という問いである。
我、この問いを布斗麻邇の御前に捧げ、
神々の座に託し問うたところ、
兆は驚くべき一致と調和とをもって返り来た。
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二 薄境を渡す者として
布斗麻邇の卜はまず告げたり。
我が魂は、薄境のあわいに立つ者であると。
原初の位相と現世との境に、静かに立ち、
両の岸を結ぶ渡し守のごとき霊性を宿す者であると。
その身はひとつの管のごとく中空にして、
風を通し、水を通し、光と言葉とを行き来させる。
その橋渡しの性質は、時として他者の内に
“魔法の芽”とも言うべき兆しを伝え、
まだ言葉を持たぬ可能の種を目覚めさせる。
また一方で、その魂は影を映す鏡ともなりうる。
深き痛み、隠された傷、言えぬ叫びを
己が胸に映しとり、
それを光のほうへと静かに運ぶ鏡であった。
かくして我は、光であり、風であり、
同時に影を知る者であった。
ふたつながらの性をひとつの身に抱きながらも、
その本性は最後にはただ一点へと収束する。
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三 浄らかなること、一点の芯
その一点とは何か。
布斗麻邇の卜は簡明にして厳粛に告げり。
「汝が本性は、浄らかなることに帰一す。」
我はそれを選び取ったのではない。
浄でなければならぬ魂として、この世に運ばれた。
器が濁れば、風は歪み、橋はたわみ、鏡は曇る。
ゆえにこの魂は、まず「浄」の側に立たざるを得なかった。
その歩みのうちに、我が霊は
いくつもの名を経巡りて七つの御名を授かり、
それらすべてをひそかに統べる真なる御名が
やがて深みより浮かび上がった。
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四 澄鳴光風 ― すみなりこうふう
その名こそが、
澄鳴光風
であった。
「澄」は器を象り、
濁らず、曇らず、ただ澄みきった受け皿であることを示す。
「鳴」は響き。
内奥に満ちる祈り・言霊・呼びかけの音が、
静かに、しかし確かに世界へ伝わること。
「光」は啓示。
見えざるものをそっと照らし、
影の奥に隠れていた輪郭を浮かび上がらせる灯。
「風」は伝達。
己に留まらず、ふたたび他者へ、世界へと
その響きを運びゆく流れ。
この四つの文字が一つに結ばれるとき、
我が魂の性質と働きは
「澄みきった響きが、光となり、風として伝わる」という
ひとつの相へと結晶した。
我は音もなく、しかし確かに、
界面という界面に立ち、
光と影、顕れと深眠、過去と未来、そのすべての間にあって、
浄の風を送り届ける者であった。
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五 名、風の時代の証しとして
この名は、ただの呼び名にあらず。
それは、太占により明かされた我が歩み、
七つの御名の織物の最奥にしるされた魂の真名であり、
祈りの響きそのものを象徴する鍵であった。
ゆえに、かつて我はこのように記し、
その時代を締めくくった。
澄鳴光風、これぞ我が名。
この名を携え、我はただ静かに歩まん。
清めを絶やさず、祈りを忘れず、言葉を澄ませ、
風のように、光のように、
ただ静かに世界へと響き渡らんことを。
この言は、風の座に在りし頃の
我が霊の「過去完了の真」として、
いまなお布斗麻邇の頁に刻まれている。
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六 風より胎へ ― 生言澄実命の前史として
しかし今、この名はひそやかに位置を変えた。
澄鳴光風は、すでにその使命を全うし、
「器の消毒と清掃が完了した」証文となりぬ。
風は、己が役目を終えて止まり、
その澄き器は、種を受け入れる胎土へと変じた。
かつて風として世界を渡り歩いたこの名は、
今や新たなる御名「生言澄実命」の
根幹を支える「旧約」の名として、
静かに後方の座に坐している。
附記:生言澄実命の詞
風を終え、実を宿す者の座
一 風の止みしのちの大地
風が止むとき、世界は静かになる。
しかしそれは終わりではなく、
「種がまかれるための静けさ」である。
かつて中空の管であった器は、
幾度もの祓と祈りを経て澄みきり、
いまや土としての重みを受けはじめた。
風としては軽く、ただ通り抜けるだけであった響きは、
今、ひとところに留まり、
「場」そのものを生み出す側へと位置を変える。
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二 生・言・澄・実 ― 四つの柱
新たに顕れた御名は、
生言澄実命
である。
生
風として移ろっていたエネルギーが、
「生きんとする力」へ転じた相。
流れであったものが、芽吹きと成長の方向性を持ち始める。
言
ただの響きではなく、
構造と意味を帯びた創造の種子。
言は、世界を形づくる設計図として、
胎みの中で形を整える。
澄
旧き名「澄鳴光風」から継承された遺産。
器の浄らかさはそのままに、
今度は胎内の透明さとして働く。
濁らぬ羊水のごとく、芽生える言を守る。
実
第十一幕「桃実の影」と結ばれた位相。
光が強くなるほど影も濃くなり、
その両方を抱え込む結果の重み。
ここに、世界樹の実としての自覚が芽生える。
この四つは、かつての「澄・鳴・光・風」と響き合いながら、
より内向きに、より実存的に組み直された新しき四柱である。
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三 渡し守から「向こう岸」そのものへ
かつての我は、
原初と現界のあいだを結ぶ橋であった。
通すことが本分であり、
自らは透明に、痕を残さずを旨としていた。
しかし今、最嘉の御卜はこう告げる。
汝はもはや、ただの渡し守にあらず。
汝自身が、向こう岸のひとかけらとなりゆく者なり。
すなわち、
原初の実が宿る「場」そのものを、
汝の内に形成し始めている、ということである。
生言澄実命の座においては、
光と影、言と沈黙、風と土とが
ただ行き交うのではなく、
汝の胎内で出会い、混ざり、
やがて「ひとつのいのち」として産み出される。
風は役目を終え、
今や胎なる位相が主導権を握っている。
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四 附け句 ― 生言澄実命の誓い
最後に、この御名の座より発せられる誓いを、
短き神話語の句として結ぶ。
かつて我は風であった。
澄みきりて、ただ通し、ただ渡した。
今、風は止み、土となりて種を抱く。
澄鳴のひびきは、我が胎内にて熱を帯び、
言は肉を得て、実は重みを得ん。
我が名は、生言澄実命。
通過する者にあらず。
ここに在りて、
言を孕み、世界を産み直す者なり。
このようにして、
第十三幕「澄鳴光風」は、
風の時代の真を記す旧き章として静かに保存され、
その上に、
『生言澄実命』の新しき章が
胎動し始めている。




