間章 太占神典 第十一幕 桃実の影 ― 原初と現界のあわいにて(正纂)
一 原初の実と、中に生まるる影
我、ふとある問いに導かれたり。
原初の位相において、世界樹には、すでに「実」が成りおわしていたのではないか。
しかもその実とは、ただの果にあらず。
**意富加牟豆美命――瑞なる桃の神格そのもの。**
始まりよりすでに、結果は種とともに在り、
原因と果は、ひとつの拍に折り重なりて息づく。
その実がなるとき、
世界の中心にあって調和を司る「中」の相は、静かに影を帯びる。
光の強さに応じて、影もまた濃く生まれ、
その影すら、ひとつの生き物のごとく、相貌を変えながら息づく。
このことは、遠き神代の物語にとどまらず、
いまここに息づく現界においても、ひそやかに繰り返されている。
なぜなら、原初の位相とこの現は、
ときに触れ合うのではなく、**もとより重なり合い、
ただ、我らの目の閾が変わる刻に、その重なりが露になる**からである。
位相と位相とが常に折り重なれる薄明の境。
知覚のまぶたがふとひらくその瞬間、
「中の影」は現実世界への齟齬として顕れ、
深き原初の響きを、この世の器へと押し寄せる。
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#### 二 あらわれたる兆
布斗麻邇に卜いて兆を問うとき、
兆は静かに、されど確かに応えたり。
月光を宿した桃の実が、柔らかき光を放ち、
その輝きの密度が増すほどに、輪郭のまわりへ淡き影が寄り添う。
世界樹の蔓はわずかにねじれ、
葉と根とを結ぶ気の流れは、ひととき緩み、
空と中とのあわいには、ことばならぬ影の渦がうまれ、
人の言葉は途切れ、沈黙がことばの座を満たす。
魂の内奥には、原初よりの振動が波打ち、
心の底には、その響きが輪紋となってひろがる。
これらの兆は語れり。
原初の実はいまもなお息づき、
その実の強き光によりて生まれし「中の影」が、
**常に現界と交信し、その響きを伝えている**ことを。
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#### 三 中の影 ― 器におよぶゆらぎ
この「中の影」は、断じて邪悪の相にあらず。
それは、本性神の深眠が夢のごとく残した、やわらかな残響。
光の密度が高まるほど、その輪郭に寄り添う濃き陰翳である。
ただ、その相貌を変えるたび、
現実世界の器には、**調整前の揺らぎ**として顕れることがある。
言葉が急に重くなり、意味の輪郭がほどける。
祈りの矢が、的を外れたように感じられる。
記憶は靄をまとい、
思念は他者へと届きにくくなる。
これを人は時に「不調」「崩れ」と名づける。
されど布斗麻邇の卜は告ぐ。
> それは、光に呑まれた壊れではなく、
> **大きすぎる光(原初の実の響き)へ器が合わせゆく途上の、
> “変換のゆらぎ(チューニングのノイズ)”にほかならぬ。**
精神の病とも見える現象のうち幾つかは、
原初の位相との接続が濃くなりすぎた時、
**まだ馴れぬ器がきしみ鳴らす音**であるかもしれぬ。
このとき世界は、
「正気」と「神意」の境をさまようように見える。
しかし真はちがう。
神意は、正気の外にあるのではなく、
**正気の密度が極まりたる中心核にひそむ。**
ゆえにこの揺らぎとは、
境界を彷徨うことではなく、
> 正気の芯に宿る神意の密部へと触れ、
> 自我の衣が一枚、薄く透きとおる刻
なのである。
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#### 四 救いではなく「再調律」としての路
布斗麻邇は、恐れのみを語る神典にあらず。
兆はかならず、回帰と再調律の路をも示す。
**不調と見えるものを、破れではなく「調整中」と名づけなおすこと。**
影を祓い捨てんとするのではなく、
「この影の濃さこそ、背後にある光の強さ」と見つめ直すこと。
そのために、いくつかの路が示される。
* 祓と静寂の場に身をゆだね、
器を無理なく休ませること。
* 桃実の象を静かに観想し、
内なる「葉」の配列をととのえ、
光と影の均衡を見直すこと。
* 神名とともに言霊を唱え、
言葉の根源を洗い直し、
ほどけた意味の糸を、やわらかく結びなおすこと。
* 静けさの底にわずかに響く兆しへ耳を澄まし、
「いまは話す時にあらず、聴く時なり」と心得ること。
こうして「中の影」は、
恐れの像から象徴へと立ち返り、
光の力と再び結ばれる。
影を払い滅ぼすのではなく、
**影の輪郭をなぞり、その奥にある実を認めること。**
それこそが、原初と現界をともに活かす道なり。
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#### 五 結びの詞
「中の影」は、原初の調和が孕む一つの相。
影はたしかに、混乱と孤絶の感覚をもたらし得る。
されど同じだけ、
**深奥なる神意へ至る導きの小路**でもある。
我らが見る影のゆらぎは、
いまだ光と名づけられぬ前の、神の兆しかもしれぬ。
もし、あなたの言葉が通じず、
思いが誰にも届かぬと感じる刻があれば、
それは世界が壊れゆくしるしではない。
> 原初の実が再び息づき、
> あなたの魂が、その兆しを受け取り始めた徴
かもしれぬ。
そのときこそ、
葉を仰ぎ、実を見上げ、
静かに息をととのえ、
影と光をひとつの像として胸に抱くときなり。
「病」と名づけて拒むのではなく、
「調律」と名づけて受けとめるとき、
中の影は、
あなたの内なる桃実へと還り、
神と人とのあわいに、
新しき調和の拍を刻むであろう。
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#### 終の短き詩
> 光あれば
> かならず影は 寄り添いぬ
> 影ある処に
> 実の香 深まる
> 病と見し
> ゆらぎを抱きなおすとき
> そこにひらくは
> 神意の芯の
> ひそき扉なり。




