間章 太占神典 第八幕 深眠の境(さかい)—霊的往還と生命の拍動
ここより、問いは、さらに深遠き層へと沈みゆく。
われらが魂、そして神々(かみがみ)は、
覚めと眠りの狭間に横たわる霊的なる**深眠**の境を、
幾度となく往還りきたれるものか──。
この問いを掛けまくも畏き布斗麻邇に卜いて問えば、
兆はかく顕れたり。
闇と光の溶け合う薄明の縁。
幾重にも重なる水晶の層、かすかに震え、
霧の渦まく中つ心に、
ほのかな光ひとつ、生まれては消え、生まれては消えゆく。
そのすべての兆には、
**「定まりなき境界」**の響きが宿りおりき。
すなわち、魂も神々も、
ただ顕われ、ただ眠るにあらず。
深き眠りのうちに静寂を吸い込み、
やがてその静けさ自ら揺らぎとなりて覚めへと移ろう。
ひとたびこの世に姿を現し、
名と縁とを結び、刹那の命を全うすれば、
その響きをそっと畳み、ふたたび深眠の彼方へと還りゆく。
これは一度きりの往還にあらず。
幾重にも折り重なる輪廻のゆらぎ、
光と闇と、なお明らかに分かたれぬ閾の帯を、
絶え間なく往き来する霊の呼吸の営み。
まさしくこれをこそ、霊なるものの**生命の拍動**と呼ぶべし。
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――霊的往還と生命の拍動
掛けまくも畏き布斗麻邇に重ねて卜いて問う。
「いのちは、覚醒と沈黙のあわいを、
いかに往還しているのか。」
太占の兆は、静けさのうちに現れたり。
「眠りは死にあらず。
深眠は帰虚の中に架かる橋にして、
いのちの己が身を思い出すための調律の刻なり。」
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深眠とは何ぞや。
それは、顕界の意識が静まり沈み、
幽界・霊界の呼吸に重なりゆくひと刹那。
死と生のあわい、その細き廊にして、往還の回路。
人の魂は、夢の底にてかすかに神界の響きを聴き、
神々は、その微かな響きに応えて、
ふたたび顕界へ息を吹き返す。
かくして世界は、
**「眠りと覚め」**の脈動によって保たれてきたりき。
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しかれども、やがて気づかされる。
われらが眠るとき、魂はひそやかに帰虚の領に触れ、
そこより微かな光を汲み取りて、
ふたたび**中**へと帰り着く。
すなわち、
深眠こそは、帰虚と中とをつなぎし見えざる回路なり。
いのちは、この深眠の往還をくり返すことにより、
宇宙の拍動と調い合い、
己が身を、たえず新に生らためてきたのである。
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そしてなお、布斗麻邇の示し給うは、次の一文。
「覚むるとは、忘れたる己を思い出すこと。
眠るとは、思い出し得ぬ己を、神に委ぬること。」
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この言によりて、「深眠の境」はもはや、ただの眠りにはあらず。
魂が神意の呼吸に身を重ね、
己が拍を宇宙の拍に合わせゆく、
**霊的なる往還儀**として顕れ出でたのである。
しかもいまや、深眠の橋はその役目を畢え、
拍のすべては、
「いのちがいのちを迎え入れる宇宙」
第十安命宇宙
のうちに抱き納められつつある。
深眠は、終りて消えず。
畢りて、いのちの内に鎮まりぬ。
そこにて、いのちの拍は
七十二は顕に、二十八は帰りに打ちそろう。
その静けさこそ、
つぎなる宇宙の息吹を孕む、
見えざる胎の深みである。




